足音
ドタドタと走り回る音がする。
かつて保育園として使われていた場所。今は誰もいない。そのため、足音が聞こえてくる、というのはおかしな話だ。
ここにやってきた理由は、この足音にある。
最近、この地域に住む住民から何度も同じような話を聞くようになった。
「今は使われていないはずの保育園で、なぜか足音が聞こえる」
一度や二度ならまだ、そこに住み着いた生き物が悪さをしているということで、何とかなっただろうが、話が十件を上回ったあたりから、どうもおかしいということになった。
かくして僕は、その保育園跡地へとやって来た。
僕自身は別に、特別な能力を持っているといったこともない。そんな自分がどうしてこのような所に居るのか、自分でもよく分からないのが正直なところ。
なぜ、そんなことに首を突っ込んでいるのか。
僕がこの町の便利屋だからだ。
と言っても、請け負うのは僕一人居ればどうにでもなるようなこと。家の電球を換えてほしいとか、庭の草むしりをしてほしいとか、それぐらいだ。
どこからともなく人のいるような足音が聞こえてくる廃屋に立ち入る、というのは、今までの依頼に比べるとなかなかにハードな内容な気もするが。
一度こういう立ち回りになってしまった手前、断るわけにもいかず、ずるずると引き受けてしまった。
園内は想像以上に綺麗だった。当時の子どもたちの描いた絵やら、使っていた靴箱にはヨレヨレになった名前が書かれていて、覚えたてのひらがなで頑張って書いたのだろうと分かる。
教室の名前プレートもひらがなで書かれている。こちらは綺麗な文字。きっと、先生が書いたものだろう。
窓から射す光は園内をくまなく照らして、この光景を写真に撮ったらきっと、ほとんど真っ白に映るだろうな、と思った。
さらに奥へ進むと、図書室がある。子どもたちの身長に合わせて低く作られた本棚の中には、様々な色や形を閉じ込めた絵本が並んでいる。自分が小さい時に読んでもらった本、少し大きくなってから、自分で読んだ本。初めて見る、変わった形の本。背表紙を引き出してページをめくるたびに、懐かしさと新しい発見、驚きに胸が弾む。
思わず、本来の目的を忘れてしまいそうになる。慌てて我に返る。足音の原因を見つけなければいけない。これを遂行しなければ家に帰ることもできないのだ。
どこ、ど、た。
ど、どたた。
足音。急に聞こえてきたそれに、心臓が跳ね上がる。それをきっかけに、緊張感が一気に膨れていく。耳から入ってくる音の全てを聞き逃さないように、音の出処を探るように、ゆっくりと歩く。自分の足音すら雑音になり得るため、細心の注意を払う。
もう一度、聞こえる。
どたた、どた。
どこ、どた。どた。
居る。何かが居る。この通路に先から、一番はっきりと聞こえてくる。何かの足音。一つではない。何人もの、大小様々な音が、ランダムに、けれど、生き物が出すそれだと分かる形で響く。
目的地を定めて、確実に歩みを進める。自分の息を呑む音が、これほど鮮明に聞こえたことは未だかつて無い。
そこは、開けた一つの部屋だった。白い壁。他の空間より一際広いため、おそらく体育館として使われていたのだろう。そこここから、元気に走り回る足音が聞こえてくる。
全体を包む空気に、嫌な気配は無い。むしろ、洗いたての洗濯物みたいな、雨が止んで日の射した道路の輝きみたいな感じ。一切の曇りがない。
そこまで考えて気づいた。ああ、そうか。この音は幽霊とか、ましてや呪いとか、そういう類のものではない。
この建物自体が出している音なのだ。
かつてここには、たくさんの子どもたちが居た。たくさん遊び、学び、眠り、共に過ごした。
そんな景色を、この保育園はずっと見守り続けていたのだ。
元気な子どもたちの姿に引き寄せられるように集まる人たち。
その賑やかで楽しかった日々が、もう一度やってくる日を待ち望んでいるのかもしれない。だから人が集まるように、子どもたちが駆け回るような、元気いっぱいな音を立てて待っていたのだ。けれど、もちろん人が現れることもなく、むしろその音で人々は怖がって、近づかなくなってしまった。
この建物からすれば悲しい話ではあるが、人間側の反応も間違っていない。普通、怪しげな音がどこからともなく聞こえてくる場所になんて、誰も立ち入らないだろう。
──けれど。
あの日以降、保育園からの音は消えた。
町の人達が年に一度、短い期間だけれど、保育園でお祭りを開くことにしたからだ。
不思議なことに、そこには毎年、県外からも沢山の人が集まった。祭りの噂が口コミで徐々に広がっていったのだろう。
僕はと言えば、相変わらず町の便利屋。けれど、以前より少し活気の増したこの町も案外悪くないかもしれない。