地域包括ケアを 医療デザインで進化させる
医療デザイン Key Person Interview:三輪医院 院長 千場 純
神奈川県横須賀市は、自宅や老人施設など病院以外で最期を迎える「地域看取り率」が人口20万以上の都市で全国トップ*。その立役者の一人、千場純は横須賀市医師会の副会長を務め、自身も在宅医療を20年以上続けてきた看取りのプロだ。(*2019年調査)
独自の「看取り」観はどのように育まれたのか。また、より良い医療を追求する想いが強いのはなぜか。医療デザインに感じた可能性を語ってもらった。
命を救う現場から看取りの在宅医療へ
横須賀に根を下ろし、看取りのプロとして生きてきた。一人の医師としての活躍だけでなく、看取り医療を根付かせてきた千場の活動は地元のみならず広く知られている。
大病院で救命救急に携わっていた時期もあるが、若いころから僻地医療や在宅医療に関心があったため、先輩医師の導きを受けて現在の道を選んだという。
「そんな立派な信念ではありませんよ。先進的な医療がもてはやされる中で、私はあまのじゃくだったのかも。
ただ医師は大勢の患者さんが亡くなる場面に遭遇します。そこで死の意味に気づいたのです。すべての生命は“生もの”で、やがては腐り壊れていきます。」
ーー病院で先進的、高度な医療を施しても治らない方もいるのですよね?
「治らない患者がたくさんいるのが現実です。
ある患者が亡くなれば、また次の医療が始まる、休息のない戦いの連続ですよ。
でも、在宅医療は目の前の一人の終わりがあり、残される家族にも一つの幕が下りる瞬間です。戦う医療ではないかもしれませんが、節目を迎えさせてあげられた感覚はあります。」
ーー治す医療と看取る医療は別物なのでしょうか?
「本来、別物だとしてはいけないと思いますね。『治る力があるから治る』のであり、医療で無理やり治すという認識は、本来ないことです。
治せずに亡くなられるのも人智の及ぶものではないと私は考えます。それを運命(さだめ)として考えれば、いかに自然に迎えさせられるかが医療の技かもしれません。
『理想的な人生だった、満足だ!』と言う方は少なく、ほとんどの人が『残念だ、無念だ』で死を迎えているのが現実ではないでしょうか。でも、それを修正し緩和して、やわらかい布団に寝かせてあげられるのが在宅医療、緩和医療だと思うのです。」
看取り率ナンバーワンの横須賀をけん引
千場が院長を務める三輪医院があり、医師として地域医療に36年間取り組み続けてきた横須賀市。
2015年の調査では人口20万人以上の都市で自宅死亡率が全国トップにもなった。横須賀市医師会の副会長として、市役所や診療所と調整役を担った千場の貢献は広く知られている。
「偶然やタイミングがうまく重なりました。行政側にも看取り率向上をめざそうという流れが生まれたタイミングであり、先輩たちの中にも病院と診療所の連携を重視する先生がいたのです。
横須賀には以前から往診を行う町医者の誇りを持っている人が多かったのも幸いでした。」
ーー横須賀は地域医療、地域包括ケアシステムのお手本という評価もあります。
「地域全体の力で社会や医療を支えようという地域包括ケアシステムはとても優れた発想です。ただ、国からいきなり制度だけ説明されてもなじまない地域もあるでしょう。行政の方向性も、医療や介護の現場の状態も大事。
それらをマッチングする機能が、行政や医師会に求められているかなと思います。」
ーー医療グループで在宅医療を展開する例も増えてきましたが、横須賀は違うそうですね。
「横須賀には、看取りを行う医療グループはなく、年間で100名以上を看取っている医院も一か所だけなんです。つまり、個々の在宅医療の集合体で今の数字になっている。これは誇ってもいいことでしょう。」
千場は決して「自分の手柄」とは言わない。しかし千場のような在宅医療を推進する信念あるリーダーがいなければ現在のような看取りの先進地域は生まれなかっただろう。
日野原重明医師から教わった
「向学のエネルギー」
70代を迎えた今も、千場の新たな知識を採り入れる意欲は尽きない。
年を重ねると自分の経験や常識にこだわり、他者を受け入れられない人はいる。医師のように、若いときから「先生」と呼ばれ続けてきたことを考えると、かなり稀有な存在に思える。
ーー失礼ですが、ちょっと特殊な医師なのでは?年配の方は、新しい方法に反発する、抵抗する傾向は強いのではないかと思います。
「そうですかね。私には、『新しいものは違う、今までの自分が正しい』と言える自信はないですよ(笑)。そんな確実なものは世の中にはないと思っていて、必ずYESもあればNOもある。
できれば断言せずに済ませていきたいくらい。優柔不断なのかな(笑)。」
ーー学習意欲は衰えないですか。
「生涯消えないでしょう。日野原(重明)先生はいつも医学生のような好奇心でした。10年先までの予定も手帳に書かれていた貪欲な人。体は老化しても、気持ちは変わらないですよ。先生から教わったことだし、私もそうありたい。
それに人間は、『先輩だから』いい意見を言うわけではなく、『先輩なり』の意見を言うものですよ。」
前横須賀市長で日本医療デザインセンターの顧問である吉田雄人氏に依頼を受け、横須賀の在宅医療について登壇する機会があった。それが「医療デザイン」との出会いだった。
「医療デザインという言葉自体が発見でしたね。これからの医療を作っていく集団になるかもしれないと、団体のコンセプトを聞いたときに思いましたよ。桑畑(代表理事)さんという青年を中心に、彼らくらいの40代前後の人たちが『何かを変えていこう』というエネルギーや行動は、信頼できると感じました。」
既成概念を変えたり、新たな考えを採り入れたりなど、「デザイン思考」では頭の柔軟さが求められる。それを楽しいと言い切る千場は、医療デザインを自身の課題にどう生かすのだろうか。
医療デザインで「畑を耕したい」
地域住民が交流できるようにと、看護師も常駐する形のコミュニティハウスを千場が作った。名前を「しろいにじの家」という。6年前に設立し、歌やレクリエーションなどが活発に行われている。
維持管理には赤字だが、人々が集まれる場所を長く守っていきたいと千場は考える。
ーー運営面の課題もありますか?
「医院の一番の課題は後継者問題。僕もそうなんだけど医師も70歳を超えると、そろそろ今後のことを考えないと。ただし、昔と違って子どもが後を継がない。
医者になっても地元に帰らない。専門分野が違うなどいろいろ事情があります。全国的な課題で、昔は大学の先輩が後輩に声をかけたけど、今は人材派遣会社の仲介が当たり前になってきました。」
ーーそんな社会的課題にも医療デザインは使えるかもしれません。
「学びたいのはそこですよね。思いもつかないアプローチがあるかもしれない。また医院単体の後継者だけでなく、在宅医療に取り組む人々全体の優しさだとか、心根が整った地域を作っていきたいんです。
畑を耕すというのかな。まあ僕がコンバイン1台で耕せる畑は限られているけれど、行政を巻き込んで畑も広げていきたい。」
ーー畑を耕して、育つ「芽」が医療の後輩たちですね。
「はい。日本が考えた地域包括ケアシステムという理念は世界からも評価されています。ただ実現させるのは大変。いくら国が種をまいても。耕された畑がないと人は育たないかもしれません。
診療所の役割もさらに広げていきたい。病院なら『在宅医療支援病院』というのがあるでしょう。ただ『地域支援診療所』はない。地域を支援する診療所という肩書を認めてもらいたい。そこから、質の高い在宅医療が広がっていくイメージです。
リーダー的な診療所が100のうち2か3でもいいのだけど、近隣の人や他業種と連携していく。そして『病気でなくても相談に来る』とか『診察券はなくても地域の役に立つ医療の授業が受けられる』とか、公共的な部分を発信できるようにしたい。」
畑を耕すと言いながら、千場は自分でもクリニックの進化を実践するだろう。まだまだ千場の挑戦から目が離せそうもない。
取材後記
「看取り」の言葉一つでも、何度も自分の言葉で定義し、考えを絞り出すように整理されるのが千場先生のスタイルでした。その実直さに、「最期を迎える患者一人一人の人生に向き合ってきた様子」を垣間見たというと大げさでしょうか。
どんな会合に参加しても「最長老になってしまう」と笑う千場先生。だからこそ意見を押し付けないように気も遣うとか。そのバランス感覚にも感動させられました。(聞き手:医療デザインライター・藤原友亮)
日本医療デザインセンター 桑畑より
千場先生の素晴らしい評判は以前より伺っておりましたが、この1年で千場先生と時間をご一緒させていただく中で、千場先生が本当に人生を懸けて地域医療に取り組まれていることの凄さを知ることができました。
その継続力、創意工夫、そして向学心。心から尊敬しています。
現在の日本医療デザインセンターの賛助会員の中では最年長になりますが、その探究心と熱意に、僕はもちろんのこと、関わる人たちは、ものすごいパワーをいただいております。
千場先生は、在り方だけで人をあたたかい気持ちさせる人です。そんな千場先生の地域を医療者の立場から発展させるチャレンジをご一緒できることを心より光栄に思います!
(日本医療デザインセンター 代表理事 桑畑健)
千場 純 先生 プロフィール
神奈川県横浜市出身、横須賀市在住。
名古屋大学医学部卒業後、横浜市立大学附属病院、国立横須賀病院(現横須賀市立うわまち病院)などを経て、療養型のパシフィック・ホスピタル院長に就任し、2001年に三輪医院へ。2010年より院長を務める。
2020年まで横須賀市医師会副会長。行政や病院、開業医と連携し、在宅での看取りを推進してきた。