韋駄天ドクターがデザインで加速する
医療デザイン Key Person Interview:野﨑 礼史
「医師法」という医師の職責や資格を記した法律がある。第1条では「医師は、医療及び保健指導を司ることによって(中略)国民の健康な生活を確保する」とされている。
野﨑 礼史(のざき れいじ)は外科医になって20年、この条文を胸に刻んできた。
救命救急の現場にも立ち、多数の患者さんの生命を守るために全力疾走し続けてきた野﨑。日本医療デザインセンターに関わり、医療従事者がデザインを学ぶ可能性に惹かれている。
野﨑が目指す「国民の健康な生活を確保する」ために、医療デザインは何ができるのか。自身が関心を持ったあらゆることにフルコミットし、全力投球を捧げる野﨑の原動力とは何か。
(所属・役職は2022年2月7日現在)
医師、陸上日本一、栄養学すべて全力投球
野﨑は筑波大学を卒業して、医師になった。現在は茨城西南医療センター病院の消化器外科科長。初期研修医のリクルーティングや、NSTと呼ばれる栄養サポートチームなど院内全体に関わる分野でも責任者を務める。
ーー外科医になったのは、お母様ががんで亡くなったことが影響していると聞きました。
「母が亡くなったのは大学6年生のときでした。当時の私は手術もできず、母を助けられませんでした。そのことが外科を志望する動機になりました。
今は、医師として、患者さんが真の健康な生活を送れるようにすることをモットーにしています。」
また一般的な認知度も高まってきたが、栄養の管理は患者さんの手術後の回復に大きく影響する。
「だからこそ、栄養の重要性を医療関係者にも、一般の方にも広めたくて、栄養サポートチームとしての活動にも注力しています。」
さらに2019年、陸上100mで日本一になった経験もある。(全日本マスターズ選手権、40歳以上の男性の部で100m優勝)自身が試したトレーニングや栄養の理論の正しさを証明してみせたのだ。
「自分で試行錯誤して、“科学的に正しい”運動や栄養の有効性を実証したつもりです。日本一になったことの達成感はもちろんありますが、患者さんも日本一経験者の意見だったらより信用してくれるかもしれませんよね。全力で挑んだ結果の価値だと捉えています。」
野﨑の特殊性は、「すべてに全力を注ぐ点」だ。全力と文字で書くのはたやすい。多忙で多才なドクターが、なぜデザインにたどり着いたのだろうか。
学生時代の縁から「面白そう!」
5年ほど前、野﨑が病院で初期研修医の採用と教育の責任者を任されたころにさかのぼる。筑波大学でともにアイスホッケー部に所属していた後輩、桑畑(現:日本医療デザインセンター代表理事)と連絡を取る機会があった。
「研修医をリクルートしようにも、SNSやWebすらない状態でした。しかし慌てて作ろうとしても、ほぼ予算もなし。そこで、ウェブ制作会社を経営していた桑畑のことを思い出して、相談したのが最初でしたね。」
桑畑はちょうど日本医療デザインセンターの構想を練っていたころ。
大学時代の後輩だった桑畑には「憧れの存在だった人。ストイックで独自の世界観がある野﨑礼史さんと一緒に仕事したかった」という野﨑からの誘いは渡りに船だった。
中心メンバーに ”医師” の肩書があれば、法人としての説得力は間違いなく高まる。桑畑は、病院の公募にすぐ応募し、仕事を受注した。
野﨑は、自身の業務をやりとげてくれた桑畑から理事への就任依頼を受け、快諾。そして全く馴染みのなかった医療デザインにハマっていく過程が野﨑らしい。
「引き受けた以上は活動にもコミットしました。たとえ依頼されただけであっても何もしないのは私の流儀に反しますから。」
ーーただ学んでみたら面白かった?
「面白そうだなとは思っていたけど、本当に奥が深いですよ。私はまだ勉強し始めたばかりですが、本を読んだり、勉強会で学んだりするたびに自身の成長を感じます。」
デザインの第一歩は ”課題に気づくこと”
医療の世界では高い専門性が求められる反面、閉鎖的だという指摘もある。そんな専門的な世界で野﨑の好奇心や視野を広げようとする意欲は特別なものに感じられる。
「僕は最初から医療関係者のつながりだけということに違和感がありました。そもそも患者は医療関係者ではありません。
地域の人たちを守るのが僕の使命と考えると、医療をしっかりやりつつも新しいことを取り入れていきたい気持ちはありました。」
そんな野﨑の知的欲求を満たすのが医療デザインなのかもしれない。桑畑の話を聞いたり、デザインに関する書籍を読んだりするたびに野﨑は自身の変化を感じている。
「以前なら、『違和感』で止まっていたものが、『課題』としてはっきりと輪郭を捉えられるようになりました。気づくことがデザインの第一歩だと学びました。
そして、気づいたら解決したくなるんですよ。気づいただけでは気が済まなくなる。この変化は大きいです。たとえば『救急搬送された患者さんを手術して、歩けるようになって退院したから終わり』にはならない。」
ーー救急の現場で、そんなことを考えるのですか?
「その患者さんの住まいの環境や家族構成を考えたら、もっといろんな事情があるでしょう。そこまで考えなければ、患者さんの真の健康とはならないんです。気づけるようになった、見えるようになった、これは大きな自分の進化です。」
ーーそんなことを考えている医療関係者はまだいないでしょう?
「このような視点で考えている医療関係者はまだまだ少ないと思います。地域と病院のかかわり、職員同士のかかわりなど、せっかく学んだ医療デザインを活かしていきたいです。だから、まだ多くの人が見えていないものもデザインの力で伝えていきたいと考えています。」
野﨑のような医師が増えたら、社会は変わるかもしれない。いや、変わるだろう。病気を治すこと、身体の機能回復は、医療の役割の一部に過ぎないという、これまでの常識よりもだいぶ先を野﨑は真剣に考えている。
医療の現場へ学びを還元
野﨑たち栄養サポートチームでは活動の1つとして、院内にポスターを掲示して正しい栄養知識の啓発を行っている。
見た目の「デザイン」も野﨑のリードによって改善した事例だ。
「小さな工夫ですけどね。以前は文字の羅列で誰に読んでもらうのかも定まっていなかった。だからデザインで学んだこと、あるいはマーケティング的な発想で、一目でメッセージが分かるポスター作成に取り組みました。
かかわる看護師、管理栄養士、それどころか基本的にすべての医療従事者にデザインを学ぶ機会はありません。ただ目的や方法論をリードすれば、目に見える変化は生まれる。こうしたことの積み重ねだと思っています。」
デザインが取り入れられる前後のポスターを見せてもらった。上が最近のものだ。確かにイラスト、表、文字のメリハリなどが大きく変わり、「伝えたい」という意志がより感じられる。
医師として理事に名前を連ねる意味
野﨑は、大学時代のつてから請われて日本医療デザインセンターの理事会に加わった。医師として関わる責任は小さくないと自覚している。
「医療デザインセンターの本分は、デザインで世の中を良くするということ。ただデザインという言葉は定義が広いので、人によって解釈が分かれる。これは良いことであり課題でもあると思っています。」
ーー最近、日本医療デザインセンターでは行動規範のような「Theory of Change」という理念図を定めましたね?
「こういう立ち返る『原点』のようなものは大事ですね。この理念に沿っているかどうかをチェックしていかなくてはいけません。残念ながら、世の中には医学的にいい加減な情報も溢れています。「怪しいもの」「儲け話」など、世の中のためにはならないものも、私たちの組織に近づいてくるかもしれません。
そんなときに医師の眼から精査していき、活動を守れる存在でありたい。」
地域に暮らす住民の健康を守る役割、病院やスタッフをデザインの力で導く役割に加えて、日本医療デザインセンターの発展を医療者の視点で支える役割がある野﨑。
彼の両肩にはさまざまな期待と責任がかかっている。
取材後記
医療やデザインの真剣な話をするときの切れ味の鋭さと、代表の桑畑さんとの出会いを振り返るときの人懐っこい表情のギャップにすっかり魅了されました。何にでもフルコミットして成果を出す姿、憧れますね。
桑畑さん、野﨑さんの相互のリスペクトの関係が「相棒」のように感じました。
(聞き手:医療デザインライター・藤原友亮)
野﨑 礼史プロフィール
茨城西南医療センター病院 消化器外科科長。
筑波大学医学専門学群卒業。
日本外科学会 外科専門医、日本消化器外科学会 消化器外科専門医・指導医、日本静脈経超腸栄養学会 認定医・学術評議員、日本サルコペニアフレイル学会指導士など。
医療現場の課題をデザインを用いて解決する日本医療デザインセンターでも理事として活動し、2022年4月に新設する医療デザイン大学の学長に就任。
医学系のアスリートを応援する対談動画や栄養療法に関する勉強会の動画をYouTubeで配信中。外科医の傍ら、マスターズ陸上短距離選手として、2019年全日本マスターズ陸上M40 100mに優勝し、日本一になった。
<マスターズ陸上での主な成績>
2014年 アジアマスターズ選手権M35/100m 6位
2017年 全日本マスターズ選手権M40/200m 2位🥈
2018年 全日本マスターズ選手権M40/200m 2位🥈、400m 3位🥉
2019年 全日本マスターズ選手権M40/100m 1位 🥇
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?