ゲームにお金をカけるということ、好きに挑戦するということ

こんにちは、ゲーム・イズ・マイ・ライフ、カタカナ3文字でタケルです。

今回は、色々なゲームに関する記事を書いていくなかで、世間で言われる「ゲームにお金をかけてもムダ」という言葉に対して一つ答えがでたのでそれについて書きたいと思います。

まず、「ゲームにお金をかけてもムダ」と言われる理由で、よく挙がるものを考えます。一つは「生産性がない」でしょうか、厳しい言葉ですよね。ゲームをしていても、学べる知識もなければ、生まれる財産もない。つまるところ、未来に繋がらないということです。
自分で書いてて少しツラくなりました。そんな悲しいこと言わないでほしい。

気を取り直して!
ここからは、私の個人の感想であることを踏まえて聞いてください。
私はenjoy勢ガチなので「今はプロゲーマーやゲーム配信で稼げるもん!」なんてことを言うつもりはありません。そんなことを言わなくても、そもそもゲームには価値があると私は思うのです。

ゲームは多くの挑戦の機会を与えてくれます。こうやって攻略してみよう。こうやって戦略を立ててみよう。これらは「生きていく」中では、箸にも棒にもかからない小さな挑戦です。しかし、今何人が挑戦できているでしょうか。正しく言い直します、「何人が自分の意志で挑戦できているでしょうか」。「難しいことに挑戦する」、「苦手なことに挑戦する」など、生きていればそこら中に挑戦は転がっていますが、その中のどれくらい本来の自分の意志で挑戦できていますか。正直、私の生きてきた四半世紀の中で、ゲームを除いて自分の意志で挑戦したことはたったの3つです。片手で足りてしまうのが恥ずかしいですが、他の挑戦とこの3回は大きな違いを感じました。どれも成功はしていないのですが、後悔がないのです。挑戦して良かったと思えているのです。逆に、他の人からの指示や周りへの忖度でした挑戦は結果が出ても虚しいものもありました。
今の時代と括るのは大げさかもしれませんが、"成功"の像がハッキリしすぎて「するべき挑戦」が多くなりすぎてはいないでしょうか。「いい会社に入る」「起業する」「アーティストになる」「プロゲーマーになる」……このどれにも「するべき挑戦」が設定されてしまっている気がするのです。

すみません、ゲームに話を戻します。こんな「するべき挑戦」が多い時代に、好き勝手に試行錯誤していい、好き勝手に挑戦していい「ゲーム」という存在は貴重なものだと思うのです。少し詩的な表現をすれば「自主性の砂漠にたたずむオアシス」だと言いたいですね。

そして、そのゲームに「お金をかける」ということについてもなのですが……
ここからは、大きな飛躍があるので共感できないときは、戯れ言だと笑ってください。
「ゲームにお金をかける」それすなわち「自分でいることを買う」ということだと思うのです。学校や職場で「社会の一部」である私に「自分」をあたえてくれるゲームに対して、私はお金をかけているのです。世間がいう「ムダ」じゃないものは確かに未来に繋がるかもしれませんが、そこに「自分」はいるのでしょうか。私は「自分」を未来に繋ぐためにお金をかけているのです。

ごめんなさい、壮大な話と勢いで筆を走らせてまいました。

さて、ここでタイトルを回収して絞めにしましょうか。
「命を懸ける」という言葉がありますが、それと同じように私も「ゲームにお金を懸ける」のです。
そして、ゲームを通して、周りに流されず「好き勝手に挑戦する」のです。

タイトルの印象が少し違って見えてきたと思えたなら、幸いです。
ご閲覧ありがとうございました。

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