同性愛者として良かった事・悪かった事
改めてゲイ歴と今回書く事
この世に生を受けて52年の内ゲイ歴は31年・・・
21歳までは、ノンケ生活(異性愛者)だった。
32歳まで地元(地方生活)、その後上京し都会生活をしている。
同じ男性同性愛者でも、先天性(生まれつき)と、後天性(ゲイへ途中転身)の人が居る。
この例えで言うと、俺は後天性男性同性愛者だ。
その性の揺らぎの中で、良かった点・悪かった点を綴ってみる。
「LGBTかも?」と悩む人に、一例として聞いて貰えたら良いかと思う。
※ゲイ呼びを辞めてホモ・オカマを名乗る俺として、ゲイ歴と書く事は違和感があるが、呼称でゲイの方が一般的になってるので使っている。
※決してLGBTに連帯はしてません😤
ゲイとしての良かった事
恋愛もエロ目的相手も、男女のプロセスより短い。
これは、お互い同性でお互いの立場がなんとなくわかりやすいのだと思っている。友達の延長上であったり、親友の延長上なのかもしれない。
ノンケ男性に告白して、所謂「ノンケを落とす」というプロセスが、異性愛者の恋愛プロセスと似てる気がする。
エロにしても、男性同士でツボはある程度心得てる部分が多い。
お互い仕事をしていれば、同性間ならではの理解がある。
女性に媚び売りをしなくて良い分、気持ちは楽だし、
毎月「出来たかも・・・」という、謎の悩みもない・・・
(ちゃんと付けてたって言うねん😤)
大きな良かった事ってこれしかない・・・
だからと言って今の自分には「自信と誇り」しかない。
他にも色々あるのかもしれないが、当たり前の幸せとして気づいてないだけかもしれない。
ゲイとして悪かった事
先にも書いた通り、俺は後天性男性同性愛者だ。
なので、最後の「出来たかも」で、本当に出来ていれば結婚し、最低「一児の父」をやってる道があったし、この世界に入ってないだろう。
この経験があるからこそLGBT思想団体の「同性カップルの子を持つ権利」という言葉には魅力があるが、女性の事・子供の事考えて反対だ!という話はまた別の機会に…(^^ゞ
と、性の揺らぎがあったからこそ、あの分岐点で「この世界」ではない道の俺に興味がある。
あと人と人との恋愛としては、何ら異性愛者とは変わらない。
では私生活・仕事上ではどうだろう・・・
先述した通り、俺はこの世界に生きているという事に「自信と誇り」があり後悔していない。
だから俺は、機会があれば「カミングアウト」している。
機会があればという意味は、そういう話になった時に「俺の事」を言う機会があればと言う事だ。
昨今、アウティング問題ばかりクローズアップされている。
俺は、勝手にカミングアウトをしといて「相手には秘密にしろ!」は、身勝手すぎると思うし、人間としての自信がないのかと問いたい。
大勢を占める異性愛者から見れば、同性を好きになる気持ちが解らないだろうし、究極「キモい」と思われて当然と思えば、アウティングなんて言葉は無くなる。自分の弱さの言い訳にしかなってない。
アウティングを利点だと、思うようになったのはこの辺だ。
だって、いちいちカミングアウトしなくて良い(^^ゞ
手間が省けたと思っている。
(あれ?悪かった事になってない?)
ただ一つ、後悔という事で言えば、「親友へのカミングアウト」だろう・・・
「将来子供同士遊ばせような」という約束は反故になっている。
それを親友から言われた時・・・ゲイになった事を後悔した。
まとめ
いろいろ経験したら、いろいろ諦める事で、何ら生活に影響はない。
同性婚がないから、婚姻プレッシャーがない。
ただ、友達との約束や親の期待(夢)などへの裏切りと、自分らしい生き方の選択だとも思う。
自分らしい生き方を選択したならば、それなりのリスクは伴う。
そのリスクを「国のせいだ!」「制度のせいだ!」「差別のせいだ!」は逃げ口上でしかないと思っている。
では先人(諸先輩方)は、どうやって生きて来たのか❓
同じ国・同じ制度・同じ環境で生きてきている。
逃げ口上は甘く聞こえるが、将来の責任は誰も取ってくれない。
経験談を聞き、自分はどうするか!を、考えてからでも遅くないと思う。
ゲイバー店子経験上、若くしてデビューした子の方が「拗れた人生」歩んでいる。よく考えて❓😎