【解説】カーボンプライシング(2)
おことわり
本稿は、「【解説】カーボンプライシング(1)」の続きであり、以下のような方のお役に立つように書いたものです。
(1)カーボンニュートラルは知っているけれど、カーボンプライシングとは何か、それが導入されると経済にどのような影響があるのかを知りたい方
(2)カーボンプライシングについての、現在の日本の検討状況をざっくり知りたい方
前回は経済学の知識を要する内容が含まれていましたが、本稿では特に含んでいないので、幾分読みやすいかと思います。
4.炭素国境調整措置(CBAM)
脱炭素への取り組みに熱心な国(C国)とそうでない国(D国)がある場合、それぞれの国で製造された財の価格に差は生じるだろうか。
通常、設備投資にかけた金額を製品価格に転嫁するため、C国の財の価格はD国のそれより高くなる。消費者がより低価格を志向するならば、C国の製品は競争に敗れるであろう。あるいは、C国企業の一部は生産拠点をD国へ移し、脱炭素にコストをかけない製品を製造・販売するだろう。こうして、脱炭素に取り組まない製品が市場にはびこり、脱炭素に熱心なC国の技術・経済は衰退することになる。これをカーボンリーケージ(炭素リーケージ)という。
このような事態を防ぐためにEUが実施している施策が炭素国境調整措置(Carbon Border Adjustment Mechanism、略してCBAM)である。これは、EU域外から域内に輸入される製品に含まれる炭素価格を把握し、EUでの炭素価格との差額分の支払いを課すものである。この措置はEU域外に脱炭素の取組みを促す効果があるが、EU域内産業を保護する側面もあると考えられている。
図表10 炭素国境調整措置(CBAM)
EUのCBAMは2023年10月に暫定運用が始まっており、2026年から本格運用となる。暫定運用時の対象商品はセメント、肥料、電気、鉄鋼、水素、アルミニウムに限定されている。これら6種類の製品はとりわけカーボンリーケージのリスクが高いと言われているためだ。
なお、この期間内で対象製品を輸入する事業者に課せられる義務は、製品に含まれる炭素排出量を報告することであって、金銭的な負担は生じない。
日本での対応については、内閣府が2021年に発表した経済財政運営と改革の基本方針(いわゆる「骨太の方針」)2021で「国境調整措置については、我が国の基本的考えを整理した上で、戦略的に対応する。」と記載されている程度で、EUのCBAMへの対抗措置や国内CBAMの導入などといった具体的なことは現状検討されていない。
5.「GX実現に向けた基本方針」におけるカーボンプライシングの位置づけ
「GX実現に向けた基本方針」は、2023年2月10日に閣議決定されている。同方針ではGXについて、①エネルギーの安定供給につながる②日本経済を再び成長軌道へと戻す起爆剤となりうる、と説明している。②は、具体的には「脱炭素分野で新たな需要・市場を創出し、日本の産業競争力を再び強化することを通じて、経済成長を実現していく」と説明している。(なお、②については、2022年5月12日中央環境審議会炭素中立型経済社会変革小委員会 中間整理でカーボンプライシングを「成長に資する」ものと記している。)
GXは、脱炭素のためにしぶしぶ取り組むものではなく、経済を活性化させ世界における日本のプレゼンスを高めるため前向きに取り組むべきものである、というわけだ。
図表11 今後10年を見据えたロードマップの全体像
GX投資は今後10年間で150兆円超を見込んでいる(この中には政府支援20兆円が含まれる)。この巨額投資を実現するために考えられたのが「成長志向型カーボンプライシング構想」なのだが、その構想は以下の3つからなる。
①「GX経済移行債」等を活用した大胆な先行投資支援
②カーボンプライシングによる GX 投資先行インセンティブ
③新たな金融手法の活用
上記①~③のうち①、②について説明したい。
図表12 投資促進の手段としてのCP
①「GX経済移行債」によって集められた資金が、GXのための大胆な先行投資を支援する。いきなり脱炭素を促しても、それを実現する技術等が存在しなければ機能しない。まずは脱炭素技術について研究開発する意欲のある者に補助金などの形で資金提供する。その資金の原資がGX経済移行債となる。図表12では水色の記載部分がこの流れにあたり、アクティブな投資促進方法といえる。
ではGX経済移行債を満期にどうやって償還するのかというと、前稿で紹介した、将来導入予定の化石燃料賦課金や有償オークション方式の排出量取引によって得られる資金を財源とする(その意味で、これは「つなぎ国債」といえる)。②はGX技術を導入しない者・不十分な者にはペナルティを課すとアナウンスすることでGX投資を促すという、①と比較すればパッシブな方法で、図表12ではオレンジ色の「投資促進」がこれにあたる。
なお、GX経済移行債は、2024年2月に「クライメート・トランジション利付国債」として初めて発行された。この時は10年債と5年債がそれぞれ約8,000億円発行されている。トランジションとは「移行」という意味で、いきなりの脱炭素ではなく、少しずつでも排出量の削減を目指していくことを指している。欧州ではトランジションを中途半端な方策と批判する向きもあるようだが、日本は現実的な路線としてトランジション(具体的には省エネ機器の普及、水素還元製鉄の開発など)を進めている。
次に、②で導入される制度の具体的な内容についてだが、現在は以下の4段階に分けて考えられている。
(1)2023年度~GXリーグでの排出量取引(GX-ETS)の試行
(2)2026年度~排出量取引の本格稼働
(3)2028年度~化石燃料賦課金導入
(4)2033年度~排出量取引で段階的に有償オークションを実施
※(1)、(2)および(4)は排出量取引に関するもので、(3)は化石燃料賦課金に関するものである。
(1)で書かれているGXリーグとは「カーボンニュートラルへの移行に向けた挑戦を果敢に行い、国際ビジネスで勝てる企業群が、GXを牽引する枠組み」であり、2023年度から活動を開始した。翌2024年度では計747者が参画している。参画した企業はいずれも業種を代表するような大手であり、今後官・学と協同し、脱炭素への取組みを進めていく。
図表13 GXリーグ参画状況
そのGXリーグにて、現在GX-ETSが試行されている。ETSとはEmissions Trading System(排出量取引)の略称であろう。
これは余談だが、経済学のテキストでは、主に「排出権取引」と記載されている。取引の内容を考えても、「排出権取引」や「排出枠取引」の方が筆者としてもすっきりと感じるのだが、なぜ「排出量取引」なのだろうか。日本が参考にしたのは2005年から開始されたEUのETS(Emissions Trading System)であろうが、このEmissionsを直訳しただけで「排出量」になったと思われる。ではなぜ欧州はEmission Rightsとしなかったのだろうか。これについては"Right(権利)"を付すと、減らすべき(しかも最終的にはゼロにすべき)CO2に対して、排出してよい「権利」というポジティブな印象を与えてしまうからだろうか、と筆者は推測している。
図表14 GX-ETSの各フェーズ
2023~2025年度はGX-ETSの第1フェーズであり、企業の自主参加型である。年度(4月~翌年3月)の直接排出実績を翌年10月までに公表し、目標値またはNDC水準を下回っていれば、その分を「超過削減枠」として売却することが可能となる(よって実際の売買取引は2024年10月以降となる)。逆に、目標値またはNDC水準を上回る排出量を計上すると、その「未達分」をカバーするだけの超過削減枠を調達したり、未達理由を説明したりしなければならない。第1フェーズは試行段階のため、未達であっても超過削減枠の購入は義務化されていないが、2026年度からの第2フェーズでは取引が本格化することから、どこまで自力で削減し、どれだけGX-ETS経由で調達するか、市場価格をにらみながら各企業は現段階から思考を巡らせるだろう。
前段落に記載したNDC水準や「超過削減枠」「未達分」については、下記図表15が分かりやすい。
図表15 GX-ETSの取引対象
NDCとはNationally Determined Contributionの略で、2030年までに2013年度比で温室効果ガスを46%削減するという、日本が設定した削減目標を意味する。NDC水準とはその目標が2030年まで直線的に達成される削減水準を指し、1年間に2.7%(≒46%/(2030-2013))ずつ増えていく。そのためx年度のNDC水準は、(x-2013)×2.7%となる。
図表15で示すとおり、企業が設定した直接排出目標を実績が下回ったとしても、NDC水準を下回る削減分しか「超過削減枠」にカウントされない。一方で、直接排出目標以上に排出してしまった場合、NDC水準ではなく直接排出目標との差が「未達分」となるため、未達企業には多少甘めの制度になっていると感じる。
カーボンプライシングの具体的段階の話に戻るが、(4)2033年度からのGX-ETS有償オークション(図表14の第3フェーズ)については、CO2排出量の多い発電事業者を対象とし、排出量の見通しのもとまずは排出枠を政府が無償交付し、その枠を段階的に減少させて有償比率を上昇させる方策が考えられている。対象が発電事業者というのは電力の脱炭素化が非常に重要であるからだが、事業者数が少ないため比較的実施しやすいこともあるだろう。
(4)の有償オークションが多排出産業である電力部門を念頭に置いているのに対し、(3)化石燃料賦課金は炭素排出に対する一律のカーボンプライシングとして検討されている。これは広範囲でのGXへの動機づけを図るためである。導入時期として2028年度からと考えられているのは、代替技術もないまま導入したり、国際競争力への影響を無視したりすれば、日本経済に悪影響が生じたり、(CBAMの章でも触れたが)コストアップを嫌って生産拠点が国外へ移転する「カーボンリーケージ」のおそれがあったりする、というのが理由だが、このような大きな影響力を持ちうる制度の導入にはそれなりの準備期間が必要だから、ということもあるだろう。
(3)化石燃料賦課金や(4)GX-ETS有償オークションのような支出側にとって大きな負担増となりうる施策が2028年度以降に実施される、もう一つの理由が考えられる。現在、エネルギー利用者は既に再生可能エネルギー発電促進賦課金(以下、「再エネ賦課金」)や石油石炭税を負担しているが、それらの負担が減少する時期が2030年前後と考えられているためだ。
図表16 再エネ賦課金等の将来的な負担額の推移
現在の電気料金には、再エネ賦課金が含まれている。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー発電を推進するため、これら発電設備を設置し発電する者から通常よりも高値で電気を買い取る「固定価格買取制度」が2012年度より始まった。その買取りに要した費用を賄うために、再エネ賦課金が電気料金に含まれるようになったのである。
図表17 再エネ賦課金単価の推移
図表17を見てもわかるとおり、制度導入当初である2012年度の再エネ賦課金はまだ負担が小さかったが、2018年度になると3円/kWh近くまで上昇している。これは、固定価格での買取総額がそれだけ膨れ上がっていったことを意味している。ちなみに、図表17のグラフは2020年度までだが、2021年度には3円/kWhを超え、直近の2024年度では3.49円/kWhと過去最高を更新している。
なお、図表17では表示されていないが、固定価格での買取総額の大半を2012~2014年度に認定された事業用太陽光発電分が占めている。つまり、その時期の買取価格があまりにも高かったといえるのだ。当該発電分の固定価格買取期間は20年間なので、この時期の買取が終了する2032年度頃から、図表16のように再エネ賦課金による負担額が減少するであろうと考えられているらしい。
これは筆者の個人的見解だが、実際には再エネ賦課金総額が2032年度から劇的に減少することはないのではないだろうか。というのもこの固定価格買取制度は仮に2012年度に発電が認定されたとしても、その後設置工事に着手し、5年後の2017年から発電を開始するとその時点から20年間、つまり2036年まで固定価格で買い取る制度だからだ。図表17で再エネ賦課金単価が2015年度から急上昇しているのも、そうした認定~発電開始までのタイムラグが反映されているものと推測する。
上記原稿は8月中にほぼほぼ完成させ、カーボンプライシングについて書くのはこれで一区切り、と考えていたが、9月3日、内閣府は「GX実現に向けたカーボンプライシング専門ワーキンググループ」(CP専門WG)の第1回会合を開催した。そのため、図表12と14は上記CP専門WGにて公開された最新のものに差し替えている。
また、排出量取引参加企業において、2026年度以降は、未達分を排出量取引でカバーしなかった場合に課徴金が課せられることになりそうだ。具体的な内容については、今後CP専門WGにて議論されるだろう。
ということで、引き続きCP専門WGでの議論の状況をウォッチしていきたい。
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