備忘録 私の京大合格までの軌跡

前書き

 今回、私がこのような記事を書くことを思いついたのは、某Youtuberの自身の経歴を語る動画を見た時でした。私がこれまでの人生で最も長く触れてきた「勉強」というものに対する私の関わり方を記録し、文章として残すことで、将来、学生時代を振り返るとき、子どもが出来た時に当時の自分はどのように勉強していたかを振り返るときに活用するためこの記事を書いています。

1 : 小学生時代

 小学生だったころの記憶はあまり多くないですが、こと勉強に関していえばクラスでも常に1位をとるような子どもでした(自分でいうことではないような気がしますが…)。私の通っていた小学校は、全校生徒70人ほど、一学年10人前後が平均の田舎の小学校でした。私は勉強が特段好きというわけではなかったし、両親も「勉強しろ」などと私にいうことは全くありませんでした。こうした、「ちょっと勉強ができる子ども」だった私でしたが、小学校4年生の終わりごろに転機が訪れました。私の周りの人々が続々と近所の塾に通い始めたのです。これを知った私の両親はその流れにのって私に塾に通うことを提案してきました。周りの子たちと同じ塾かな、と思いきや、母は私を家からはかなり離れた塾に連れて行きました。この時から、私は大学受験に至るまで「能開センター」さんにお世話になることとなりました。

2 : 能開センターへ入会

 能開センター(以下能開)では、入会テストなるものが実施されていました。このテストで私はなぜか高得点を取ってしまい、当時全く視野に入れていなかった「中学受験クラス」へ入ることとなりました。これが私が思う人生のなかで最も京大合格につながった出来事だったと、今となっては思います。このクラスでは、県内最難関と呼ばれている某中学校を目指すクラスだったらしく、かなりの頻度でその対策についての話を聞かされました。それ自体に興味はなかったものの、やはり最難関を目指すクラスなだけあって、勉強する内容は小学校よりも難しく、とても楽しかったことをよく覚えています。このかいあってか、学校では今まで以上に良い成績を取るようになりました。定着度テストと呼ばれる能開による毎月のテストにおいても、常に県の上位ランキングにのるくらいの実力になっていました(その価値や意味については当時は全く気にしていなかった気がします…)。中学受験には面接試験もあったため、塾の先生と同じクラスのみんなとで面接練習をしたのもよく覚えています。

3 : 中高一貫校へ入学

 上記のような日々の勉強の結果(当時は苦ではなかったが、友達と遊んでいるなか一人塾のため途中で抜けるなどかなり頑張ってたなと思う)、無事合格することが出来ました!!合格通知が来て、両親は落ち着かない様子の中、特になんとも思っていなかった私が封筒を開け、「あ、受かってるわ」といい両親を驚かせたのをよく覚えています(笑)。さて、こうして京大合格のファーストステップを踏んだ私でしたが、進学した中学校で待っていたのは今までに経験したことのない試練の数々でした。まず第一に、入学当時はクラスに一切知り合いがおらず、さらに1クラス40人と今まで1クラス18人で6年間を過ごしてきた私には違和感と不安しか感じませんでした(何度も地元の中学校に戻ろうかと悩みました…)。なんとか小学校の友達との間で流行っていた「カゲロウデイズ」の話で友人が増え始めた私に、第二の試練が待ち受けます。それは、とにかく勉強、テストの難易度が高い!!ということです。今まで1位しか経験したことのない私は、120人中40~60位程度の点数しかとることが出来ず、「まぁ周りのみんなも同じ試験を突破してるし、私より頭いいもんな…」と言い聞かせながらも内心は少し悔しいと感じていました。その後はなんだかんだで楽しい中学生活を送り、中高一貫のためそのまま高校へと進学することとなりました。

4 : 高校ーすべてが今までと違うー

 私の高校生活はすべてが中学生のころとは異なっていました。部活動、委員会、学園祭など、中学生のころとは盛り上がり方が違いました。そしてもっとも衝撃的だったのは、高校1年生、最初の自己診断テスト(既習範囲すべてから高難易度の問題が出題される)でのことです。当時40~60位/120だった私の成績は、20位くらい/280人と一気に上位10%に食い込むようになったのです。これには私自身が一番驚いており、「前まで私の上にいた20~40人はどこ行った?」と疑問に思っていました。その後も自己診断テストでは上位10%をキープし続けるという好成績を残し、継続して通っていた能開では最上位クラスの授業を受けていました。こうした成績をみた当時の担任が私に一言、「お前、京大目指してみたら?」当時は大阪大学を第一志望としていた私にとってはあまりに想定外のことで、「何を言っているんだこの先生は」と内心思う一方で、「まぁ先生が言うなら次からの進路志望調査では京大を第一志望に書いとくか」とも思いました。以降、学校でも塾でも、私は京大を目指しているとの認識が固まり、私自身も、一度上を見たからには京大を目指してみようと思うようになりました。部活を引退してからはこの思いは一層強くなり、1日8時間~10時間ほどの勉強を毎日行いました。

5 : ある意味最大の敵ーセンター試験ー

 京大のセンターのボーダーは大体85%ほど、つまり760/900程度は必須となるわけだが、模試を何回やっても700点を超えない!!!!二次試験の問題に対しては、なんとか対応できる実力がついてきていると感じている一方で、センターの点が全く伸びませんでした。12月末からはセンターに絞って勉強しましたが、それでもダメ…600点台前半を何度もとり、泣きそうになることもしばしばでした。直前の最後の模試ではなんとか700点前半程度の点を取ることができ、本番前に点数は伸びたものの、大きな不安を抱えたままセンター本番を迎えました。

センター試験当日

 「ここで点を取れなければ京大に挑戦することすら叶わない」というプレッシャーもあるなか、本番を迎えました。最初の対戦相手は世界史、倫理・政治経済。これらを解いているうちにだんだんと楽しくなってきたのをよく覚えています。続いて国語、英語、二日目になり理科基礎、数学と受け、無事センター試験を終えることが出来ました。手ごたえは全く感じておらず、不安しかありませんでした。私は勇気が出なかったため、自己採点を母に任せてしまいました(母が一番心臓に悪かったと思います笑)。結果は…800/900!!(世界史88、倫理・政治経済89、国語180、英語188、理科基礎96、数学159)、ちなみに自己採点ではミスがあり797点だと思っていました。この点を踏まえて、私は京大に出願することを決定し、二次試験対策を開始しました。二次試験の勉強はセンター対策とは比べ物にならないほど楽しく、解きごたえのあるものばかりでした。対策内容としては以下の通りです。

現代文

かなり難易度の高い読解が要求されるため、過去問を中心にどのような回答が要求されるのかを見極め、必要な要素をできる限り漏らさないように記述することを意識した。

古文

私は現代文よりも古文のほうが得意(というか、京大現代文が得点源にできる人なんているのでしょうか…)なので、こちらを重視しました。7割取ることを目標に、和歌の読み取りや傍線部訳、登場人物の心情を読み取る練習を主におこないました。

英語

一番の得意科目だったので、100/150を目標にひたすら過去問を解き、添削してもらいました(確か20年分以上やったはず)。和訳、英訳は自分の得意分野だったので、楽しんで問題演習に取り組めました。

数学

過去問演習や、学校での添削指導を中心に、求められる記述の書き方、発想、証明力を身に着けることを意識しました。「世界一わかりやすい京大文系数学」には本当にお世話になりました。

世界史

京大に受かるならここで点を取らないでどうする!といった科目。とにかく一門一答をすべて合わせること、論述は過去に出たもの、模試に出たものを中心にねんぴょうと重ねながら暗記し、自分の中でのつかえるテンプレートを増やしていきました。

 こうした対策を重ね、本番に臨みました。練習をかねて受けた同志社大学での教訓は、前日入りではやはりホテルでうまく寝れなかったときに支障がでてしまうということ、ホテルのベッドは暑いため、冷感シーツを持っていくべきということの2つであり、これらを踏まえ前々日に京都に向かい、冷感シーツも持参しました。このとき、部屋に空きがあるからと最上階の静かな部屋を、わざわざ私の勉強用と母親用との2つ、値段の増額なく用意してくださったホテル京阪さんには感謝しかありません…こうして、多くの人からのサポートを受けて私の京大受験は本番を迎えました。

6 : 最終決戦ーvs京都大学ー

 受験当日、前日からおなかにやさしいもののみを口にし、十分睡眠も取り、万全の状態で臨むことが出来ました。1日目、最初は国語。目標は70点越え。今までの模試と解答用紙の形が異なっていたため少々焦ってしまったのをよく覚えています。試験開始後、まず開いたのは古文のページ。和泉式部日記からの出題で、難易度は過去問と比べるとかなり易しめでした。当初は古文は30分ほど時間を使う想定でしたが、「これは得点源になる」と判断し40分ほど使ったような気がします。手ごたえはそれなりにあったので、ここでの点が国語の得点に活きたのではないかと思います。現代文1問目は、小川国夫「体験と告白」からの出題で、京大らしい文学的な文章でした。これも個人的には分かりやすい問題がいくつかあったため、そこを完璧にしつつゆっくりと時間をかけて解きました。たしかこの問題を解き終えた段階で残り時間は40分弱だったような気がします(もっと少なかったかも)。現代文2問目は、小山清「井伏鱒二の生活と意見」からの出題。読んでわかったことは、筆者はとにかく井伏氏のことが好きなんだということ。これだけです。おそらくこれは難問だと判断し、解答は必要と思われる要素を、日本語として不自然にならない程度に簡潔にまとめるだけにとどめたと思います(それでもかなり時間がかかってしまった)。最後に、誤字脱字、解答欄ミスなどの初歩的なミスがないかを確認して国語を終えました。ここで一旦お昼休憩。学校の先生と会い、「古文のわいずみ式部日記、割と易しめでした!」と言ってしまい笑われた記憶があります笑。

1日目、2科目目は英語。センター試験での話では書き忘れていましたが、基本的に私は試験の日は何も口にしないようにしていたので、この日もお水を少し飲んだだけでした(お茶はトイレに行きたくなったら困るのでNG、センター試験当日は2日間で口にしたのはお水数口と、2日目におにぎり一口のみでした…笑)。英語は今までの傾向と少しずれていて、またまた少し困惑した思い出があります。1問目は動物の認知について。これはかなり簡単で、スムーズに次の問題に進みました。2問目、アメリカ先住民についての文章で、これが奇問だった。特に下線部はなく、まとめろ、といった指示の問題で、実質かなり長い長文の全文訳のように感じる問題でした。3問目、英訳問題。なんども同じCD?レコード?を聞く、物を大切にしようといった内容の文で、日本語的表現が多い京大らしい問題だった。かなり推敲し、良い英文が書けたと思っています。4問目、奨学金についての質問を「丁寧に書け」というもの。指示の意味がよく分からなかったため、とりあえず史上最高レベルできれいな字を書いたのは、我ながら面白いと思います笑。結果的に解答速報に書かれてた条件はすべて満たしてかけていたので良かったです。

 2日目最初の科目は数学、今年の数学は近年まれに見ぬ圧倒的な難易度で、第一問の積分以外は正直完答できた人は少なかったのではないかと思います。第一問をゆっくり解き終えたあと(答えをみると最後の値が違っていましたが)、まだ何か書けそうな大問2へ。二つの二次関数が二点で直行する条件を求めるもので、解答を見ると自身で文字を設定し、それが答えにまで出てくるというものでしたが、おおむね途中までは同じ解答を作れました。大問3はほとんど解けず、状況整理をしただけで終わってしまいました。大問4に関しては、ベクトルの問題でしたが、個人的にはかなりの手ごたえがありました。まぁ実際には全くあってませんでしたが…笑 大問5の魔方陣もなにがなんやら、当時はなぞの自身に満ち溢れていましたが、実際の結果は44点といい点ではありませんでした。

 そしてラスト科目、世界史です。昼食をとる時間も惜しんで論述、歴史の流れを頭に叩き込みました。(京都に向かう車の中でもひたすら論述のテンプレートを読み込んでいました。一問一答問題では「白雪姫を世界で初めてアニメかした人は?」というなかなか面白い問題がでて驚いたのをよく覚えています。肝心の論述では、事前に出るであろうと予測していた唐とソグド人の関係で、おそらく7、8割程度は取れたと思います。よくぞ当てた!!!二つ目の論述は核問題に関するものでした。正直世界史としての核問題は全く意識していなかった範囲でしたが、同時に高校で履修していた倫理・政治経済分野での知識をフル活用して何とか書ききることが出来ました。各条約の名称、時系列は合わせたはずなので、半分ほど点が入ったのではないかと思います。

 以上、私の長い長い受験が終わりました!!!試験が終わったあとは、受かったという確信はなかったですが、今までのなかでもかなりいい出来だったし、なにより楽しめたので悔いはありませんでした。試験後に親と一緒に食べた牛かつは死ぬほどおいしかったなぁ。試験後は京都にもう一泊したのですが、ホテルでおいしいものを食べながら大好きなスマブラの大会を見て、とても幸せでした。家に帰ってからは、後期日程の勉強をするよう先生に言われましたが、正直あまり身が入りまでんでした。友人とひたすら駄弁って、文系なので未履修の数Ⅲを少しかじって、帰ったら深夜までゲームして…とても楽しい日々でした。しかし一方でふと「受かったかなぁ、落ちたかなぁ」と試験の結果への不安も頭をよぎりました。ちなみに、もし落ちていたら浪人すると決めていました。楽しい日々はすぐに過ぎて行き、気付けば合格発表日に。12時発表だったので、朝起きたその瞬間からドキドキでした。案の定サーバーダウンが発生し12時ピッタリには見ることが出来ず、「まだかなぁ、まだかなぁ」と再読み込みを繰り返したのを覚えています。そして40分?ほどしてついに合格者ページにつながりました!自分の受けた学部を開くと大勢の合格者の番号が!私の番号は全体の真ん中くらいだったので、となりでひやひやしている母をしり目にさーっと自分の番号付近までスクロールしました。「もうちょっとゆっくり行ってよ!」と言われたのをよく覚えています笑。スクロールしていくと…目に入ってきたのは自分の受験番号!!合格でした!!この時はとにかくうれしかったですね、「京大に勝った!!」と叫んでしまいました。あの時の高揚感は今でも忘れなてないです。今までのなかで間違いなく最高の瞬間でした。祖父母に連絡し、ともに受験期を過ごした仲間と結果を共有し、学校、塾の先生に報告へ行きました。高校の先生には「浪人すればいけるとは思ってたけど、まさか現役でいくとは思ってなかったわ」「正直落ちるんやないかと思ってた」などなどお褒めの言葉、驚きの言葉をかけていただきました。まぁ自分が一番びっくりしていたので、先生方はもっとびっくりしていたことでしょう笑。塾の先生にも同じようなことを言われましたが、同時にこれから京大生という肩書を背負うことの重みや将来のことなど、今後につながる有意義なお話もしていただきました。親戚一同もとても驚いていて、正直かなり気持ちよかったです笑。こうして私は無事18年間の長い受験生活を終えることとなりました。すべての始まりの中学受験のきっかけをくれた母親や当時の塾の先生、中学受験を応援してくれた小学校時代の恩師らを始め、多くの人々に支えられた受験期でした。最後の最後に、自分の限界だと思えるレベルの目標を達成することができほんとよかったと思います。







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