同級生の死
大学時代の同級生が亡くなったと連絡があった。
37歳。乳がんだったそうだ。
不思議と実感がなかった。悲しいという感情も湧いてこない。
今日までずっと存在を意識していなかったからだろうか。
この世に存在しない、二度と会う事はないのに、違和感がない。
テレビで有名人が亡くなった報道のようだ。
「え、あの子が死んじゃったんだよ。学生時代、あんだけ一緒にいたんでしょ。わざわざ会いにきたし、年賀状だってもらっていたじゃん。なんで悲しくないの?」
過去の僕が自分に声をかけてきそうだ。
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彼女とは同じ大学の同じ学科で4年間過ごした。そんなに多く関わるわけではないけれど、会ったら話す仲だった。卒業論文の時期は一緒に頑張った。卒業旅行も一緒に行った。卒業後は、僕が地元に戻ったので、疎遠になったけど、年賀状だけは送ってくれていた。
結婚して、子どもができたことを年賀状のやりとりで知った。
7年前、家族を置いて一人で僕の地元に来たことがあった。数ヶ月間、僕の地元で仕事をし、過ごしていたそうだった。声をかけられて地元で一緒に食事をした。
「なんで一人できたんだよ」と聞いたけど、適当にしか返事をされなかったので深入りはしなかった。夫婦間か子育てから少し離れようと思ったんだろう、とその時は想像していた。今になって思うのが、病気のことがわかり、精神的に追い詰められていたのかもしれない。
それからしばらくして再会した時に「がんの治療中だ。今髪がないんだよね」と笑って言われた。その時も深入りはしなかった。
そしてそれが最後にあった彼女の姿だった。
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僕自身はそう遠い存在だと思っていない。
自分のことを多く語る人ではなかったし、病気のこともあまり知らなかった。
まさか、ずっと闘病していていたとは。7年以上になる。どれほど苦しかったのだろうか。
家族を残して死ぬことはどれほどの悲しさだったんだろうか。
想像をしていくと胸が苦しくなる。
でも亡くなった悲しみはまだ、ない。
もう会えないのに。人の死というものはこういうものなのだろうか。
言葉にしてみたけど、わからない。
でも、言葉にしなかったら、またいつもの日常に戻ってしまいそうだ。
彼女が生きてようが、生きてなかろうが僕の今の人生にはあまり影響はない。
影響はないけれど、何もないわけではない。少なくとも僕の人生の中で一緒に過ごした時間と思い出があるからだ。
人の死というものはこういうことなんだろうなと思う。
身近か遠いかで感じるものは違うけれど、
埋められない「何か」があると思う。
最後に
「今までありがとう。墓参りにいくからな」
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