故郷にかえる
先日、2、3日仕事を休みました。
気晴らしに育ちの故郷にきました。故郷の風景を見ながら、自分の過去のことを思い出しました。
僕は東京にうまれ、小学校2年生の春に両親の故郷である九州に来ました。集合住宅に住んでいたため、近い年齢の子達がたくさんいました。同じクラスや学年の子たちと一緒になって登校していました。
その時、僕の東京育ちの言葉遣いをからかう子たちがいました。「女みたい」「気持ち悪い」「弱虫」何日も何日も続くので、一人で泣いて行き帰りしていました。一生懸命地元の言葉を覚えて強気の言葉を使うようにしていたら、そのようなこともなくなりました。
小学校6年生は過去にないくらい学級が荒れていました。日々、授業妨害、脱走、破壊、仲間はずれが横行していました。同級生の悪ふざけを一緒になってすることはありましたが、仲間はずれだけは絶対にできませんでした。良心の呵責といいますか、小学校2年生の時の自分がよぎったからだと思います。しかし、ある日僕の机の上が鉛筆で落書きだらけになっていることがありました。いったい誰がなぜこんなことをしたかわからずままでしたが、先生や親に言っても仕方がないので、波風立てずに日々を過ごすことを選びました。卒業式は記憶にも残っていません。
中学校は、小学校の横にある公立中学校に進学しました。中学校2年生の時です。僕の机の上に、国語の授業でつかった「蝿とり紙」が置かれ、パンチであけた紙クズと画鋲が散乱していました。黒板には僕宛でしょう、悪口がたくさん書いてありました。朝の会、それを一人で片付けている姿を担任や周りの生徒は眺めていました。女子のクスクスという声が脳裏に響きました。はじめは犯人を見つけてやろうと思いましたが、次第に周りの視線がこわくなり、特に女子と話せなくなりました。いわゆる対人恐怖症というのでしょうか。
中学卒業後、男子高に進学したため、女子と関わることがなくなり、中学時代から引きずっていた対人恐怖症を気にする必要はありませんでした。学校生活のすべてを部活にすべて注ぎ、人間関係もさっぱりしたものでした。他人に対する不信感、恐怖感は心のどこかにありましたが、それらを払拭し、ナヨナヨしていた僕に自信をつけて、それまでの人生をすべてひっくり返してくれる人との出会いがありました。(今更だけどありがとうね。)
あとは、1年間の浪人生活を経て、北海道に進学。5年間の生活ののち、九州に戻り、小学校の教員になって今に至ります。
ここまで書いてきたことは今でいえば「いじめ」でしょう。それも激しい方です。自分が強気な言葉を覚える、関わらないようにする、自分で乗り越える…いろいろありましたが、「なんでこんなことされるんだろう」と不安や恐怖はたくさん感じました。現に今でも当時のことはよく覚えています。
ただし、僕が気付かぬ間に「いじめ」をしていたかもしれないし、忘れてしまってるかもしれません。だから、されたことだけを並べても偉そうにいえる人間ではないでしょう。
僕はたまたま何とかなっただけであって、小学校の教員になってから、子どもに同じようなことをアドバイスしたことはありません。むしろ、いじめ案件に関わると過去の自分と重なり、感情移入しすぎる傾向があります。無視や嫌がらせは受けた方にしか分からないということが、過去の自分と重なるからかもしれません。また『学び合い』にフィットしたことも、そのような経験があるからかもしれません。
いろいろ書いてきたけど、今僕は「休む」ことを選びました。
19歳まで過ごした故郷の風景をみていると、なんだか涙が出てきました。「きつかったね。よく我慢したよ。よく頑張った。」過去の僕たちがそんなことを声かけてくれるようです。そうだ、僕はいつもそうやって、自分に声をかけてきたんだった。でも今は少しちがう。
大事な家族、僕を支えてくれる同僚がいるし、「助けてください」と言ったらすぐに連絡をくれる仲間たちがいます。そして正当におかしいことはおかしいと訴える仕組みや法規も知りました。だから少しだけ休んだら、行動しようと思います。
きっとできるはずです。
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