ありがとうと言えてまだ会社員な訳
ありがとうという言葉がいい効果を生むと、今までで一番今が広まっていると感じます。会社勤めしていても小さな事でありがとうと言える人がたくさん居て気分がいいです。小さい子供達でもありがとうと言ってくれる事も多く、もしかしたら今広まっているわけではなく、ずーっと受け継がれてきて今も昔も変わらないのかもしれません。
ありがとうは有難うで、有る事が難しい事にお礼を言っているんだと思いますが、どんな些細な出来事もお礼を言う文化なんてとても素晴らしいです。
たくさん言えている人は日々おおらかに過ごし、望み通りの現実を過ごしている事でしょう。ありがとうと言って感謝する事はすごくエネルギーを生むんだと思います。
ありがとうを続けて何万回か言うとすごい事が起こるとも聞いた事があります。これはやった事ないのでわからないのですが、1日何もする事がない時間があればやってみようと思っています。6万回だったかな?ひすいこたろうさんが言っていました。。
私もありがとうは意識しているのですが、 軌道に乗りきるにはもう少し工夫が必要なのでしょうか。例えば〇〇してくれてありがとうとか。一つ一つが奇跡であると思って普段気付かない所まで感謝するとか、いろいろ言われていますが、今のところ思うのは、本当に心の底から感謝していないともしかすると効果がないのかもしれません。言うだけでは効果として表れにくいなのでしょうか。
有名ラッパーのKOHHさんは「貧乏なんて気にしない」という歌で「ありがとうごめんなさいって言うより行動が大事」と唄っています。自分の一番大事な時間を使って何をすれば喜んでもらえるか考えてお礼をするので、それは心を込めたりなんで有難いのかを理解した上でありがとうと心の底から自然と言って行動するようになればいいのか、とにかくいい悪いでなく、この世は有難い事だらけだと改めて認識を深めてみようと思います。
言っているのに効果がないと思っている人も居ると思いますので考察してみると、効果を求めて言う人は邪な氣持ちが入ってしまい、心の底からでないのでは?また、ただ私のように、「言うように意識している」人は、ただ言っとけばいいとなってしまい、ただ言っとけばいいのは〇万回言ってから本当に有難く思えてくるのではないか。とも思います。
生きている事自体が奇跡で、一つ一つの出来事全てが有難ければ、どんな事があっても乗り越えられるし、ネガティブに捉えがちな事すら有難くなれば、有難いのみとなって、もし好きでやりたい事をやっていればそれが出来ている事をありがたく感じれるでしょう。
まとめ
短い記事ですが、「ありがとう」に関しては魔法の言葉であり、全世界共通、昔も今もずっと受け継がれてきた事だと思います。
それでもまだ会社員でやりたくない仕事をやっているのであれば、「ありがとう」について細かく分析してみるのはいかがでしょうか?
私が体感しているのは、自分が怒ってしまいがちな事を言われた時でも、自分では気づけなかった事を気付かせてくれて有難いと思うようになって心が楽になったし、自分目線でこうあるべきだというのが徐々になくなってきた事だし、嫌いな人も自分が持っていない所を持っていると思えて感謝できるようになったし、効果としては心が楽になり、好きな事に取り組めるようになったから、やはりすぐ効果が表れると勝手に期待するのが邪なのかもしれません、ただただ、生きている事自体が有難く、生きているなら起こる事全てが有難いので、今情熱を持って取り組める事をやり、それが出来ている事に感謝するようにしていきます。
また、一日の終わりにノート1ページ分、有難かったことを記載したり、朝起きてから夜寝るまで、有難い事ばかりを感じ取るように生きていきます。
短いですが、ありがとうと言えるようになったのに未だに会社員なのが何故なのかを考えて記してみました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。