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天狗からいろいろと学んできた少年 続✖️九


 父を亡くした母や家族を心配していると、師匠に心を読まれてしばらく家に帰れと言われた。帰り道の神社に奉納してあった小刀(脇差)を授かっている儀式中、いつの間にかワープして家の近くまで帰ってきた寅吉だった。

前回のあらすじ




 家に帰ると母と兄に、またお寺に行って出家を遂げろと勧められたが、それには従わなかった。



 前に剃髪して寺に奉公したのは師匠の命令だったからで、生まれたときから三宝の道は悪だと思っている。



 

 還俗(げんぞく)して3月から6月までは家にいたので、髪の毛は去年の夏に剃ったきりのイガグリ頭で、まだ結べるほどでない。




 家族は一向宗を信じ、明け暮れに阿弥陀仏を唱え、神を嫌って卑しく思い、抹香くさいのが日常だった。





 対抗して、太神宮のお玉串を棚になおし手を打ち拝していると、兄は穢らわしいと言いながら塩を撒き散らしてくる。




 寅吉も負けじと、仏壇に唾を吐きかけて対抗していたので、兄弟の仲は良くなかった。




 山から持って帰ってきた書物では、天気を見る本、その他いろいろな法が書いてある本、薬の作り方を書いた本も、みんな母と兄に焼き捨てられ、小刀(脇差)も古鉄書いに売り払われてしまった。





 6月の末ごろには髪の毛も伸びてきて野郎頭となった。わけあって近所の人に奉公したが、もとは山に居た事が長かったためか、現世の人が普通に出来ることが出来ず、いくら教えられても馬鹿馬鹿といわれ8月に帰されてしまった。



 この後また多少の縁で、上野町の下田氏に居たところに山崎美成が来た。




 どこからか寅吉の話しを聞いて興味を持っていて、『おれのところへ来い』と言うから、母にも言わず9/7から下田氏をあとにして、山崎美成の家にお世話になっていた。




 山崎美成の家で話を聞かれ、お寺に出家したけど今は還俗している事も、師匠から言っていいと言われている範囲の事も、だいたいの身上を話し、寅吉の噂が世間に広まってしまった。




 珍しがったり面白がったり多くの人が訪ねてきて、萩野先生、山崎美成のように仏法を
好んで信じる人には、仏法の話題に合わせて話し、印相の事なども答えた。

↑印相記事

 師匠の教えの通り、神道を信じて仏道が好きでないからといって仏法を悪い道だとは否定しなかったので、『そんな仏法に詳しいのに還俗するのには惜しい。我々がいくらでも世話をするから、また僧になればいいのに』



 
 としばしば山崎美成などに勧められるけど、師匠の言うように、自分でも宿縁があって神道に導かれている氣がするし、仏法が好きになれないから断っていた。




 世間体ばかりを気にする人が言う悪口も聞かされ、癒着的な付き合いに立ち会うこともあり、どうかわそうか返答に困りあぐね本音を言える人も居なく、時々外に出てお日様を見に行ったり岩間山を眺める日々を過ごしていた。



 9/30に、美成の店の者に使いを頼まれて出かけている途中、同友高山左司間(天狗の1人)とすれ違った。


 同友高山左司間も寅吉もお互いに人と居たので何も言わずに別れたが、ずっと師匠の使いが来てほしいと心待ちにしていたところだった。


 その夜、外で呼ぶ声が聞こえたので、それとなく出てみたらやっぱり左司間がいて、
左司間『近いうちにお前にとっていい出会いがあるから、そんなに思いふけらなくても大丈夫。あと、今年も12月3日から“寒”に入って30日の寒行をやるから、11月の末までには山に登ってきなさい。でも、もしも師匠が讃岐の国の山周りに行くことになれば休みになるから、里に帰れって。師匠からの伝言だ。
 と言って帰っていった。


つづく




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