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心の観光地 一乗谷

 2008年から、国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」(福井県福井市)の撮影をライフワークに取り組んでいる北野と申します。
 
 古い話ですが、2011年に初の写真集「一乗谷余情」を出版させていただきました。何分にも10年以上も前のものであり、その中身も掲載作品はもちろんのこと、自分の想いを綴った文章等も拙いもので、今読み返してみると我ながら冷や汗の出る思いがします。  
 しかしその反面、世に公表させていただいた以上は、拙作であってもできるだけ多くの方々に読んでいただきたい、ご覧いただきたいという気持ちが
あり、この「note」でも4回シリーズで転載させていただいています。
 今回はその3回目で、写真集の巻末の記事、「追記2 心の観光地 一乗谷」です。
 最後に、例によって写真集より10枚画像を貼付しました。併せてご覧いただけるとうれしいです。。


心の観光地 一乗谷

 一乗谷を訪れる観光客の中には、便数の少ない路線バスや鉄道を利用してお出でになる人々も時々見かけます。このような人たちとはよく挨拶を交わし、会話が弾むことがあります。
 三脚を立てて鬼の形相で撮影に集中している時には、さすがにどなたも近寄ってきませんが、散策しながらカメラを手持ちで撮っている場合には、いろいろな出会いがあり楽しいものです。彼らが穏やかな笑顔でしみじみと言う言葉があります。
  「ここは、ほんとうに静かでいいですねぇ」
 散策していると、いつしか時を忘れ、我を忘れて、心のふるさとに誘い込まれるような安らぎを覚えると言います。
 心の観光地・一乗谷には、自然に恵まれ、自然に溶け込んだ遺跡の情景があります。それは「静」と「無」の世界に通じるものであり、心象的な風景と言えます。
 団体見学や物見遊山の駆け足見物も否定しませんが、「何もない静かなイメージ」を心でじっくり味わうなら、やはりリピーターとして次回からは一人旅や少人数で訪れたいものです。
 
 ちなみに「心の観光地」の先輩格は、私の場合はかなり俗化していますが奈良大和路です。凄惨な血が流された飛鳥や斑鳩の里は長い時の流れに浄化されて、日本人の心のふるさととして親しまれています。
 ましてや百余年の間、一度も争乱の地とならず平和と繁栄に包まれていた一乗城下町です。輝かしい歴史と豊かな自然に育まれてきたその風土は大和に劣らず、心ひかれるものがあります。一乗谷もまた、訪れる人をやさしく包み込む不思議な魅力を有しているのです。

 今日も、遊歩道を散策する年配の方を見受けました。昨日は若いカップルが仲睦まじく歩いていました。
 一乗谷には、のんびり散策する姿が似合います。朝倉時代の歴史に心を向けなくてもいいと言っては語弊がありますが、山川や礎石や周囲の草花を眺めながらゆっくり歩けばいい、心穏やかにゆったりとした気分で、時には瞑想に耽りながら歩けばいい、それが一乗谷の遊歩道や野道だと思います。

 遊歩道と言えば、時々外国人の姿を見受けるようになりました。城戸ノ内町のはずれにお地蔵様の祠があります。その祠の前には朝倉時代のものと思われる愛らしい小さな石仏が四季折々の草花に囲まれて、ひっそりと佇んでいます。
 私も時々、この場所へ撮影に訪れますが、観光客と出会うことはめったにありません。ところが昨夏のことです。百日紅の花と組み合わせて撮っていると、初めて女性二人組がやってきました。外国人でした。微笑みを浮かべた顔で私と視線を合わせると、その後しばらく微動だにせず、祠の前で佇んでいました。

 今年1月3日には義景館跡の展望台でアメリカ人の青年に出会いました。
福井市内の中学校で英語講師をしているとのこと。日本へ来てまだ半年にも満たない彼が真剣な顔で、「ビューティフル!」の連発です。
 彼は京都の金閣寺も訪れたことがあるそうですが、そのきらびやかさとは違ったシンプルな美しさが朝倉氏遺跡にはあると語ってくれました。外国人のハートにも響く魅力が一乗谷にはあると確信しました。
 「越前一乗谷朝倉氏遺跡」は戦国風情と野趣に満ち溢れた史跡公園です。心の観光地として未来に残したい貴重な歴史遺産を、私は表現者の立場からいつまでも大切にしていきたいと思っています。

拙著「一乗谷余情」(2011年刊)より「追記2」を原文のまま転載

 拙文で失礼しました。
 最後に、「一乗谷余情」から抜粋した作品を10点ご覧ください。


義景館跡背後の空堀付近にて

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