知られざる遺構 ~1~
*本稿は2023年11月投稿の拙稿「よみがえる情景」(有料記事)と一部内容が重複します。ご了承ください。
国特別史跡「一乗谷朝倉氏遺跡」は室町時代に103年間にわたって栄華繁栄を極めた戦国大名、朝倉氏の城下町跡です。
発掘により当時の遺構がそっくりそのままの姿を現したことで、「日本のポンペイ」とも称されています。
今回は、ボランティアガイドさんのお話や観光パンフレットにも出てこない「あなただけにそっと紹介したい知られざる遺構(石垣)」です。
上掲の3枚は、朝倉氏最後の五代国主、朝倉義景が居住していた「義景館跡」を正面から眺めた画像です。
義景館は一乗城山を背にしています。
正面(唐門)を挟んだ左右両脇と南北両側を土塁と外濠でコの字形に囲まれています。
今から12年ほど前のことです。
「義景館跡の土塁を注意して観察してみると発見があるよ。」
懇意にさせていただいている歴史学者の水野和雄先生(元福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館館長)からそのように言われました。
早速、現場へ行って調べました。気がつきました!
上の④の画像がそうです。雑草が生えていて確認しにくいですがお分かりになるでしょうか。
もう少し分かりやすいように私の親友のダイサギ君に傍まで案内してもらいました👇
⑤の画像をご覧ください。
ダイサギ君の下部の土塁法面がわずかに崩れて石が数個露出しています。
これにより、唐門両側に伸びる土塁の法面は朝倉時代には垂直に近い石垣だったと考えられます。
水野先生のお話でも、義景館は(南北両側は不詳だが)少なくとも前面は垂直の石垣だった可能性が高いとのことでした。
もし、土塁法面の土砂を取り除いて復原すれば、①、②、③の画像のような現在の景色とは雰囲気がかなり変わってくるでしょう。
私は義景館跡前広場に佇むとき、戦国の世にふさわしい重厚な趣の館を想い浮かべて往時を偲んでいます。
(まとめ)
450年前の朝倉人が目にしていた国主、朝倉義景の館の前面は戦国時代にふさわしく頑強な垂直の石垣で築かれていたのでした。
興味深い話ではなく、しかも記録写真ばかりで大変失礼しました。
最後までご覧いただきありがとうございました。