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一乗谷は泣いていた

 「ここは本当に静かでいいですねぇ‥‥‥」
 
西山光照寺跡の満開の桜の下で、大阪から来た若いカップルがしみじみと言いました。
 境内の静寂が時の流れを語っています。もの言わぬ遺構から語りかけてくるようです。

 「義景の奥さんがふっと現れてきそうな雰囲気ですね」
 諏訪館跡庭園に佇む一人旅の女性が話しかけてきました。
 わが国の文化史にさん然と輝く超一級品の庭園。義景と手を取り合って散策したであろうその石橋に澄みきった朝の光が射しこんできました。

 「まさに土門拳の世界だなぁ」
 本物の迫力に圧倒されたのでしょう。写真の大家、土門拳のイメージに重なるのでしょうか。平面復原区を散策する男性二人組が感動の面持ちで私の傍らを通り過ぎました。
 道路際の巨石や住居跡の遺構から、朝倉人の気配が感じられます。

 「何もないって宣伝にあったけどさ、本当だね。でも昔のままの礎石って
  やっぱり本物でいいよね」
「『へんに上がで下が』ってこの漢字どう読むんですか。」東京から初めて来たという年配のご夫婦が私に尋ねました。
「アズチと言いましてね、弓の的場なんですよ。弓の名手だった義景は、多分向こうから凛々しい姿で矢を射ったはずですよ。」私は福井訛りで俄かガイドに変身です。

 「一乗谷は泣いていた」
 じつは私には忘れられない日があります。一人息子が亡くなるおよそ一か月前のこと。平成20年4月14日、一乗谷の桜を見たいという彼を案内しました。
 霧雨に煙る中、握力が萎えた手で、それでも渾身の力を振り絞って桜の花を撮っていた彼の後ろ姿。今も瞼に浮かんできます。その時だけは、満開の華やかな一乗谷が悲しげに泣いているように見えたのです。
 今も一乗谷には時々、涙雨が降るように思います。
 この日のことがきっかけで、私は足しげく一乗谷へ通い詰めることになります。そしてわずか3年たらずの短い期間でしたが、朝倉人への思慕を交えて四季折々の情景を撮りためてきました。
 一乗谷に関する私自身のささやかな歴史認識と地域理解をフィルターにして、「風景の中に朝倉人の心が感じられる作品」を撮りたい、この大それた願いとは裏腹に、私の技量では当然ながら未熟な作品ばかりになってしまいました。ご笑覧くださり、ご批正賜りますれば幸いです。
 最後になりましたが、序文を賜りました岸田 清  様( 一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会会長)に厚くお礼申し上げます。
              
             平成23年4月8日       北野武男

北野武男写真集「一乗谷余情」(2011年自費出版)より原文のまま転載

 冒頭から過去の文章を転載し、失礼しました。

① 城戸の内町にて


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