コンビニ店員奮闘記 第一話
「由紀、ちょっといいか」
2月9日火曜日。時刻は午後7時。夕飯を終えて私はソファでファッション雑誌を広げたところだった。
「何、お父さん」
せっかく読もうと思って本を広げたところだったのに、という恨みがましさを若干含めてそう返した。
「もう次の仕事先、決まってるのか?」
「…いや、まだだけど」
大学を卒業してすぐ入った就職先が、肌に合わず一年で辞めたところだった。ただいま絶賛求職中。
「そうか、それならちょっと頼まれてくれないか」
「は?」
仕事をしてないから頼みたいとは。
「実は俺の弟…お前の叔父だな、にあたる人の店が人手不足で困ってるらしいんだ。良かったらお前に来てくれないかと頼まれてるんだが」
ほら、お前も正月とかに会ったことあるだろう?と手を上下させている。
「そんなこと急に言われても…どこで何の店やってるかなんて知らないし」
「ああ、このすぐ近くだよ。すぐそこの交差点の角」
「そこって、コンビニじゃん」
父が言っている場所を私の記憶から検索すると、国道沿いにある大手チェーンのコンビニがヒットした。
「そうそう。そこのオーナーをやってるんだよ」
「…私、接客業なんてやったことないんだけど」
前職はデータ入力の仕事で、完全に内勤だった。今レジに立たされてやっていける自信なんてない。
「そこらへんはベテランの従業員にフォローさせるって言ってたから大丈夫だろう」
そう言う問題じゃないんだけど。
「コンビニかぁ…コンビニねぇ…」
正直乗り気にはなれない。だって強盗とか事故とか怖いもん。最近そういうニュース見た。
「そこをなんとか、行ってやってくれよ」
すがるようにこの通り!と拝んでくる。
「なんでまた、そんな必死なの?」
「言ってなかったか?お前の大学の授業料、一回分だけ立て替えてもらったことがあるんだよ」
一応返済済みだけど、とか言ってるけどそりゃ断れないわ!
「いつから行けばいいの?」
「とりあえず、今週金曜日朝9時に待ってるって言ってたからその時間に店に行けばいいよ。父さんから連絡しとく」
「はーい…」
こんなんでやってけるのかな。
不安とともに私は金曜日を迎える。
2月12日金曜日。指定の店舗にたどり着き、私は一回深呼吸をして一歩踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
当たり前の挨拶が飛んでくる。声のしたほうを見ると、背の高い黒髪の男の人が無表情にこっちを向いていた。
「あの、オーナーの姪の田中由紀と申します。オーナーにお会いしたいのですが…」
「ああ、わかりました。こちらどうぞ」
言うなり、無表情な男性は跳ね上げ式のテーブルをひょいと持ち上げてレジの中に入れてくれた。
「ど、どうも…」
何だか緊張してしまう。スタッフオンリーと書かれた看板の部屋に先に男性が入った。
「オーナー。いらっしゃいましたよ」
「おお、すまんね」
返事が聞こえるや否や、どうぞ、と手で中に入るよう促された。
「お久しぶりです。おじさん」
「久しぶり!正月以来かな。忙しいところ悪いね」
はいこれ、とペットボトルのジャスミンティーを渡された。ありがとうございます、と受け取る。
「接客業は初めてなんだって?」
「はい、前職は内勤だったので。その、あんまり自信がないといいますか…」
「大丈夫大丈夫。ベテランの二人がサポートするから、どーんとまかせといて。そんなに難しい業務を任せるつもりもないし」
とりあえずレジの練習しようか、と事務所の隅に鎮座していたレジスターを指さされる。
「これ、新人教育用のやつだから、どんどん間違えても大丈夫だよ」
冗談めかして叔父はそう言うけれど、初めて触る機械にはやはりドキドキしてしまう。
「ます、お金を受け取ったらいくら受け取ったか数えてね。で、ナントカ円お預かりします、って言ってからお札はここ、小銭はここに入れて少し待ってね。そうすると画面にいくら入れたか出てくるから、金額を確認して、客層ボタンを押すと、ここにおつりが出てくるんだよ」
試しにもらったジャスミンティーのバーコードを読み込んで100円と表示されたところで練習用とかかれたお札を入れると画面に1000円と表示される。そして客層ボタンから20代女性を選んで押すと、丸い出口に900円のおつりがあらわれた。
「…もっとアナログなレジかと思ったら、案外ハイテクなんですね」
「うちもちょっと前はアナログのやつ使ってったんだけど、会社の方針で一斉にこの形式に代わったんだ」
慣れるまで大変だったよ、と笑う。
「今日は慣れるまでそれ使ってレジの練習ね。昼までで終わってくれていいからね」
「わかりました」
もらったジャスミンティーで何度も練習していると、コンコンと扉を叩く音がした。
「失礼しゃーす」
先程の男性とは違う茶髪で軽薄そうな男性が段ボールを抱えてドアを開けるのに四苦八苦していたので、いったんレジから離れて
「どうぞ」
とドアを開けて、閉まってしまわないように手で押さえる。
「あ、すいません」
ぺこりと会釈した後彼は叔父に向かって話しかける。
「新しいポップが届いたんで持ってきました。どこ置きましょ?」
「ああ、そこら辺に置いておいてくれるかい?後で出す奴と捨てるやつ選別するから」
叔父は部屋の片隅を指してそう答えた。
「うっす」
言われたとおりに段ボールを置くと、私に向かい合う。
「うお、女の子?!オーナーの知り合いっすか?」
「そうだよ。こないだ言ってた新しく入ってもらうことになった田中君だ」
「田中由紀です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた。
「こちらこそよろしくっす。俺、金田亮平っていいます」
「金田さ…先輩」
「…あー」
彼はガシガシと頭を掻き毟った後、
「俺、堅苦しいの苦手なんすよね。金田でいいっすよ」
恥ずかしそうにそういった。
「でもここでは先輩にあたるわけですし…」
「いいですいいです。その代わり俺も遠慮なくさん呼びさせてもらうし、口調もこんな感じでいくので」
にかっと満面の笑みで断られてしまった。
「それに俺より田中さんの方が年上って聞いてますよ。年下に敬語使うの、疲れねっすか?」
「別にそんなことはないですけど…そこまでおっしゃるなら」
私も遠慮なく親しく話させてもらおう。
「おう。どんどん話しかけてくれてOKっすよ。何でも聞いて下さい」
屈託のない笑顔でそう言われるとこちらも自然に笑顔になってしまう。
と、またしてもノックの音が部屋に響く。
ドアが開くとともに先程の黒髪長身の男性が顔をのぞかせた。
「金田、レジ混んできたから応援頼むわ」
「マジか。今行く」
それじゃ、と片手を上げて、バタバタと部屋を出て行った。
「何だか人懐こい人でしたね」
事務机に向かっていた叔父にそう言うと、うんうんと同意してくれる。
「いい笑顔だったろう?あれで常連客からは評判良くてね。彼に会いたくて時間見計らっていらっしゃるお客様もいるくらいなんだよ」
「へぇ~…」
確かにあの笑顔は客受けがよさそうだ。
「もう一人、黒髪で背が高い子は和久井誠人君。大学2年生のうちのホープだよ。仕事の速さと正確さで彼に勝てる人いないんじゃないかな」
ここまで聞くと、私の手伝いなんていらないんじゃないかと思えてくる。
「そんな顔しないで。二人でもここをまわすの厳しいし、僕も四六時中ここにいられないから、由紀ちゃんがいてくれて大助かりなんだよ」
ポンポンと、まるで私の思考を見透かしたかのように背中を叩かれてフォローされる。
「とりあえず、制服のサイズなんだけど、Mサイズでいいかな?Sサイズのほうが良い?」
ちょっと着て見て、と渡された制服のジャケットに袖を通す。
「うん、Mでよさそうだね。それから、今度から下は今日みたいに長ズボンで来てもらえるかな。ジーンズとかで大丈夫だから」
「わかりました」
悪いね、衛生面の問題で社内の決まり事なんだよ、と叔父は申し訳なさそうにしょぼくれている。
「構いませんよ。それより、今の時間帯って混むんですか?」
「ああ、もうお昼時だろう?この辺りには会社や工場が多いし、国道沿いで交通も多いから今多分てんてこ舞いしてるんじゃないかな。…僕が行ければいいんだけど本部への報告で手が離せなくてね…」
困った、と首を傾げる叔父にあの、と手を上げる。
「私、手伝いましょうか。レジは無理でもお弁当温めたり袋詰めしたりくらいはできると思うので…接客の練習もできたらなって…」
せっかくの機会だ。使わない手はない。
「…そうかい。何かあったらすぐ言うんだよ。二人が何とかしてくれるだろうから」
「はい」
私は覚悟を決めて、初めての接客の一歩を踏み出した。
「いらっしゃいませ。お弁当の温めはいかがされますか?」
「ありがとうございます、合計で1255円になります!」
レジでは二人があわただしくレンジとレジを行き来している。
見ると2つのレジのどちらも長蛇の列だ。
「和久井さん、袋詰め手伝います」
一方的にそう話しかけると、白い袋を一枚ちぎり取り冷たい商品を詰め始める。
「他に入れるものありますか?」
「…いや、これで全部」
突然のことに少し困惑しながらも、ごく普通にありがとうございました、と商品を渡している。
と、その時、ピーピーと電子レンジの温め終了音が響いた。金田さんの後ろだ。けど、彼は精算業務をしていてお弁当を取り出せない。
急いで彼の後ろに回るとレンジを開けて、落とさないように一つずつ取り出す。
「これ、両方こちらのお客様の方ですか?」
「うん、そこに袋広げてあるから入れてもらっていいすか?」
「わかりました!」
言われたとおりにお弁当用の茶色い袋にお弁当を入れ、お箸とおしぼりも用意されていたので一緒にいれる。
「「ありがとうございました!」」
今度は金田さんと一緒にお辞儀をしてお客様を見送る。
そんなことを繰り返すこと約30分。
「ふぃ~…何とか乗り切ったっすね」
バックヤードから水分補給を終えた金田さんがレジに戻ってきた。
「おかえりなさい金田さん」
私がそう返した時、和久井さんがボソリと呟いた
「…急に何なんだ、手伝うなら先に一言言ってくれ。段取りが狂う」
「あ…」
言われて自分がかなり一方的に仕事に割入ってしまったことを思い出す。
「…すみませんでした」
「まあまあ、そこは素直にお礼言おうよ和久井。おかげで早く終わったんだしさ」
ありがとうございましたっす、とニコニコの笑顔で返ってくると、なんだかこそばゆい。我ながら現金だ。
「お前はすぐそうやって人を甘やかしすぎる」
はぁ、とため息をつきながら和久井さんがそう言った。
「和久井が厳しすぎるんだよ。俺は甘やかしてねぇし、手伝ってもらったお礼言っただけだって」
ぶぅ、と頬を膨らませそう反論する金田さん。
「はぁ…勝手にすれば。品出し行ってくる」
それだけ言って和久井さんは在庫置き場に行ってしまった。
「すんません、いつもはあんなとげとげしてないんだけど」
「いえ、私こそ勝手な真似をしてしまいましたから…」
言いながらちょっと落ち込みが戻ってきてしまった。きっと迷惑だったに違いない。
「…よかったら、次から俺のサポートに入りません?和久井は自分のペース崩されるの、好きくないみたいだし」
「…いいんですか?」
「もちろん。女の子は大歓迎っす」
ふふん、と自慢げに胸を張る金田さんに、ふふ、と思わず笑みがこぼれる。
「そうだ、さっき思ったんすけど、袋詰めの手際、滅茶苦茶良かったすね。練習とかしてたんすか?」
「練習なんてしてないですよ」
ただ、母の仕事の関係で私が家の買い物をすることが多いので、エコバッグに買った食料品や日用品を詰めるのになれているだけだ。
「レンジから商品出してくれたり、お客さんが来た時点で袋用意してくれたり、めっちゃくちゃ気もきくっすよね。なかなかできないっすよ、慣れてても」
「そんなことはないですよ…」
言いながら頬が熱くなるのがありありとわかる。この人、人を褒め殺す天才だ!
甘やかしすぎだと言っていた和久井さんの言っていることがちょっと理解でいたような気がした。
「ほんじゃ、俺らもレジまわりの備品を足しときましょうか」
おいでおいでされてバックヤードに戻ると棚に積まれた平べったい段ボールが積まれている一角に向かう。そこから一つ箱を取り出して、カッターナイフで慎重に開けると、大量のレジ袋が入っていた。
「これ、大きさごとに別々の箱に入ってるんで、気を付けてほしいっす。んで、必要な分だけ出したら同じ場所に戻しといてください」
そう言いつつ箱を戻すと、また別の箱から大きさの違う袋をいくつかとってしまう。これを繰り返し、手にどっさり袋を持って
「んじゃ、行きましょうか」
と、レジへ戻っていく。
「左から小さい順に並んでいるので、大きさを確認しつつ金具に穴を通す。やることはこんだけっすね」
「はい…」
メモを取った後、実際に袋の補充をやらせてもらう。
「はい、OKっす。次は箸とかおしぼりとかの補充っすね」
言うや否や、金田さんはその場で振り返ると後ろの戸棚の扉を開ける。
そこには、箸を始めスプーン、フォーク、おしぼり、ストローなどのサービス品が所狭しと詰まっていた。
「サービス品の在庫はここに全部入れるようにしてるので、少なくなったと思ったらここから補充おねがいしやす」
「わかりました」
これもメモを取って実際に補充する。
「田中さん、丁寧でいいっすね」
「え?」
メモを取って実践する。当たり前のこと以外のことはやっていないはずだけど。
「俺なんて、メモなんか取らなかったっすよ。そのうち慣れるだろーって」
照れ臭そうに笑う。
「そしたら、金田さんは仕事を覚える才能があったんですね。私はいちいちメモとってないと全然覚えられないですけど、それなしで仕事ができるようになれるのもすごいと思いますよ」
顔を上げると、きょとんと面食らった金田さんと目が合った。
「…いやあ、慣れっすよ、慣れ。ただ習慣になったからできるようになったってだけで」
「そうですか?慣れにできるまで真剣にお仕事に取り組んでらっしゃったんですねぇ。それも才能ってやつですね」
素直にいいなぁ、と思う。いくらメモを取っても何回やっても失敗ばかりでどんくさい自分とは大違いだ。
「…あー」
金田さんは今度は天を仰いで片手で目を覆っている。
「もしかして、田中さんって天然っすか?」
「人生で一回も言われたことありませんよ、そんな単語」
「そうっすか…」
褒め方がうまいって意味なら金田さんの方がずっとレベルが高いと思うけど。
その後もたばこやお酒などの年齢制限のある商品の売り方や実際のやり取りの練習も金田さんは付き合ってくれた。
そんなこんなしていたら、時刻は午後3時を回っていた。
「って、今日午前上がりだったんすよね。時間大丈夫っすか」
「特別に用事もないので大丈夫ですよ」
手をバタバタと動かしながら慌てる金田さんがおかしくて、ちょっと笑ってしまった。
「一区切りつきましたし、今日はもう上がりでいいっすよ。ですよねオーナー」
「うんうん、午前中って言ってたのに長いこといてもらってごめんね。あがってあがって」
「それじゃ、お言葉に甘えて…お疲れ様です」
バックヤードに戻って制服を脱いで上着を羽織る。
「あ、そこのハンガーラックに制服置いといてもらっていいからね。明日までには名札作っておくから」
「わかりました。お世話になります」
「こちらこそ。シフトは月曜日から金曜日で、時間は朝9時から夕方5時までよろしく。それじゃあお疲れ様でした」
デスクに座った叔父に見送られてバックヤードを出る。
と、ちょうどレジに金田さんと和久井さんがそろっていた。
「お疲れ様です」
それ以外に言葉が見つからなくて、それしか言えなかった。
「お疲れ様でした~。またよろしくっす」
手を振って見送ってくれる金田さんに軽く会釈して通り過ぎる。
「ちょっと待ってください」
そしてちょうど和久井さんの前を通り過ぎるところだった。
「はい?」
「あの、さっきはすみませんでした。俺、きつく当たるつもりなかったんですけど…あんな言い方してしまって」
「ああ、それは私も急にお仕事に割り込んですみませんでした」
「いえ、田中さんの判断は悪くなかったんです。手伝ってもらっておいて、その、お礼もなしに…すみませんでした」
これお詫びに、と何か入ったレジ袋を渡される。
「あ…新発売の苺大福!」
言ってから、しまったと後悔する。
「こんな、受け取れませんよ。私にも落ち度があった事なのに…」
「受け取ってください。じゃないと俺、罪悪感で次から出勤できなくなっちゃいます」
「それはダメですよ!」
慌てる私に爆笑していた金田さんが袋を指さして
「もらってやってくださいよ。和久井が来ないと俺も困っちゃうし」
と言ってきたので、もらわざるを得なくなってしまった。
「…ありがとうございます。いただきます」
ぺこりとお辞儀して、今度こそ退店した。
家に帰ると珍しい靴が玄関にそろえておかれていた。
「お母さん、おかえり」
「それ、お母さんの台詞でしょ。おかえり、由紀」
いつも家ではあまり見かけない母が帰宅していた。
「昨日遅番だったから、早く帰ってこれたのよ。由紀とは入れ違いになっちゃったけど」
「看護師も大変だね…」
「仕事なんてなんだって大変なものよ。だからみんなお金出して人に頼むんじゃない」
凛とそう言う母は私のひそかな自慢だ。
「それで、出勤一日目はどうだったの?」
私の仕事に興味津々な母に今日あったことを説明する。
「ふーん。良さそうな職場じゃない」
「うん、人も良いし、仕事もそんなに難しくないって言ってたし、悪くはないかな」
「そう。良かった」
安心を顔に浮かべる母に、手に持ったレジ袋を思い出す。
「そうだ、これ」
新発売の苺大福。こぶし大の大きさなのに2個入りでボリューム十分だ。
「あら、買ってきたの?」
「ううん、もらったの。一個ずつ分けよう?」
「父さんには内緒ね?」
顔を見合わせてふふ、と笑い合った後、プラスチックのパッケージを開けた。
それからは金田さんと二人三脚で修行の日々だった。
「そうそう、箒を開けたら次は掃除機をかけて、モップで水拭きして最後に乾拭きっす」
「…すごい丁寧ですね。すぐ汚れちゃうのに」
「そう思うっしょー?でも掃除機かけないとモップかけてる時に後からでっかい埃とか細かい砂とか出てきて2度手間でくっそめんどくさくなるんすよ」
だからはい、と掃除機を渡される。
「なるほど…」
何気に奥が深いこともあるものだ。掃除機を受け取ってコンセントを差し込んでスイッチを入れる。
ブイーンと音がしてゴミを吸い込み始める。
棚の下の埃や細かくて取り切れなかった砂が吸い込まれていく様を無心で眺めていると何となく心が落ち着く。
「落ち着きますねぇ…」
「そう…?」
金田さんには微妙な顔をされてしまったが、無心でやれることに癒しを覚えているのかもしれない。
掃除機をかけ終わったら水拭きと乾拭きを手早く終わらせる。
「はいOK。そしたらお菓子売り場の前出しと補充、おねがいします。俺は本棚の方の整理やってくるんで」
「了解です」
お客様の邪魔をしないようにしつつ、前にあった商品がとられて後ろに下がってしまった袋を手前に持ってくる。少なくなっている商品は新しいものを後ろにいれる。
簡単なようだがここもやり方がある。正面に並んだ袋にしわがないように袋を伸ばして立たせなければならない、筒状のパッケージのお菓子は正面を向けて陳列するなど細かいやり方がいくつもあるのだ。
「うーん」
上手く袋が立たない。どうしても斜めになってしまう。
「どうしました、田中さん」
「あ、金田さん」
ふと気づくと後ろに金田さんが立っていた。
「前出しがうまくいかなくて…」
「なるほど」
金田さんはしばらくお菓子の袋を見ていると思ったら不意に袋を無造作に立てかけた。そのまま袋の表面をささっと撫でるように触ると、袋はピンと背筋を伸ばしてそこに立っていた。
「すごい!」
思わず口から出ていた。
「あっという間に…すごいです!何かコツがあるんですか?」
「コツというよりは…やり方っすね。力の入れ具合とか、何度かやってると自然に体が覚えていくものだと思います」
「なるほど…」
やはり精進あるのみか。
試しに私も真似をしてみる。が、立ったもののしわがとれずよれたままだった。
「うー」
悔しさに思わず声が出た。
「最初はそんなもんっすよ。気楽に気楽に」
金田さんにポンポンと肩を叩かれて慰められてしまった。
そんな修業を積むこと一週間。
「そろそろ仕事の流れにも慣れて来たんじゃないっすか?」
制服に着替えて事務所から出た第一声がこれだった。
「うーん…まだまだ覚束ないですけど」
謙遜でも何でもなく、自信はない。
「そんなことないっすよ。声も出るようになってきたし、レジも代金受け取れるようになったじゃないっすか。十分っすよ」
ニコニコと否定されてしまった。
「でも…」
「今日からレジはお任せするっす」
「ええ?!」
そんな急に言われても!
「大丈夫っすよ。何かあったらフォローするっす」
ちゃんと見てますから、とダメ押しされる。
「うう…ちゃんと見ててくださいよ?」
「大丈夫大丈夫。そんな怖くないっすから」
じゃあよろしくお願いしやーす、と金田さんは早速品出しに行ってしまった。
ど、どうしよう。冷汗が滝のように流れるような感覚がする。
と、ドアの開閉を知らせる音楽が鳴る。
「いらっしゃいませ、こんにちは!」
これまで飽きるほど繰り返し練習してきたフレーズを初めて自分が最初に言った。
遅れていらっしゃいませー、と金田さんの声がする。
50代くらいの男性のお客様はどの棚にも見向きもせず、レジにつかつかと歩み寄ってきた。
これはあれだ、ホット商品かタバコのお客様だ!
「マイセン10ミリ」
「マイセン…ですね。少々お待ちください」
マイセン、マイセン…後ろの棚を隅から隅まで見てみたがそんな銘柄のタバコは見つからない。
見逃しがあったかもともう一度見るが、やはりない。
焦っていると後ろから声が聞こえた。
「こちらでよろしかったでしょうか」
和久井さんが青いパッケージのタバコを差し出している。
「おう。それ2つな」
「かしこまりました」
そう言って和久井さんは振り向いて同じタバコをもう一つ手に取ると、
「はい」
と私に手渡してきた。
「すみません、ありがとうございます」
「いいですから、早く」
私はあわててお待たせして申し訳ありません、とレジに向かう。
「お姉ちゃん、新入りの人?」
「はい…」
レジを進めながらそうこたえると
「まあ、しゃあないか。次から頼むよ」
そう言って袋を手にスタスタと扉に向かって行った。
「あ、ありがとうございました!」
その背中に慌てて挨拶をする。
「ふぅ…」
一息ついたところで掃き掃除をしていた和久井さんを見かけた。
「あの!」
「はい?」
掃除する手は止めずに、和久井さんがこちらを見た。
「すみません、お手数おかけしました…」
「…ああ」
そこでようやく手を止めてレジの中に入ってくる。
「メビウスって昔マイルドセブンって名前だったんですよ。なので昔から吸っていらっしゃるお客さんはマイセンって昔の名称で注文されることがあるんです」
「そうなんですか」
忘れずにメモを取ろうとしたとき、
「ちょっと待ってください」
和久井さんに制された。
「銘柄変更、わかる範囲でメモっておくんで、レジのお客さんに見えないところに貼っといてください。最初はそれ見ながら新しい銘柄と種類を確認して売ってください」
「わかりました。ありがとうございます!」
「メモにないのは俺もわからないので、お客さんに番号で言ってもらえるか聞いてみてください」
「はい。度々すみません…」
しょんぼりとうなだれると
「金田、タバコの銘柄変更の事、ちゃんと教えとけよな」
和久井さんがお菓子コーナーに向かって声を張る。
「すんません、すっかり忘れてましたー!」
なんかトラブりました?と慌ててこちらに向かってくる。
「旧銘柄言われてめちゃめちゃ焦ってたぞ。お前、フォローするならするでちゃんと見てろよな」
「すいません、めっちゃ集中してました…」
ペコペコと頭を下げる金田さんに逆に申し訳なくなる。
「田中さんも、何かあったら遠慮なくこいつ呼びつけてもらって大丈夫なんで。何かあれば聞きに行ってください」
「あ…はい、すみません」
「じゃあ俺メモ書いてくるので」
そういうとスタスタとレジコーナーから事務所へ行ってしまった。
また彼の手を止めさせてしまったことに罪悪感がむくむくと湧く。
「田中さん、本当にいつでも呼んでもらっていいので、どんどん相談してくださいね。お客さんをお待たせするのが一番まずいんで…」
そう言われて、さっきのお客さんを思い出す。新入りなら仕方ない、と言ってくれたけどタバコ一つにあれだけ待たされたら機嫌を損ねてもおかしくない。
「はい、気を付けます…」
「まあまあ、気を取り直して、次いきましょ、次!」
明るく笑い飛ばす金田さん。
そうだよね、次はスマートにタバコを出して見せるんだから!
うん、と意気込んだところでまた来店のチャイムが鳴る。
「またなんかあったら呼んでください」
そう言って金田さんも品出しに戻ってしまった。
次のお客さんは70くらいのおじいさんだった。
レジの進行は順調だった。商品のバーコードを通して袋に詰め、代金をもらう。
「455円のお返しでございます」
レシートと一緒におつりを差し出した時だった。突然お客さんの手が私の左右の手の間に無理矢理割り込んできた。
「あっ」
いきなりのことに驚いてお金を持っていた右手から力が抜け、おつりが床に散らばってしまった
「何しとるんじゃ!」
「も、申し訳ございません!」
怒声に震えたが、慌ててレジの外へ出ようとしたときだった。
「俺、こっち側から拾うんで、そっちにもぐりこんだ硬貨がないか見てもらっていいっすか?」
金田さんだった。すんませんね~と笑顔でお客さんに話しかけながら散らばったおつりを拾い始める。
私もこちら側に入り込んだおつりがないかしゃがんで探す。
「こっちにはないみたいです」
「よかった。合計いくらでした?」
「455円です」
「じゃあ、これでちょうどですね。レシートはご入用でしょうか」
テーブルの上に乗っていたレシートを金田さんが手渡そうとするも、
「いらん!」
一蹴されてしまった。
「大変失礼しました。またよろしくお願いします」
「失礼いたしました。ありがとうございました!」
二人で深々とお辞儀をするとふんっと不機嫌そうに鼻を鳴らしながらトコトコと退店していった。
「…大丈夫っすか?」
ぼそりと金田さんが聞いてくる。
「…ちょっと、大丈夫じゃ、ないかもです…」
声が震える。ダメだ、今はダメだ。
「一回事務所いきましょう。今日はレジ運が良くないみたいなんで」
金田さんに背中を押されて何とかふらふらと足が動いた。
「オーナーの椅子座っちゃってください。水筒、これでした?」
千鳥足でもつれ込むように椅子にダイブした私に、金田さんがいつも私が持ってきている水筒を手渡してくれる。
「すみません…」
若干湿った声でそう言った受け取る。
「さっきの、田中さんは全然悪くなかったっすよ」
「え?」
「たまにいるんです。レシート受け取るのも面倒くさがって強引にお金だけ取ろうとするお客さん。無理矢理手突っ込まれて驚いたんでしょ?」
俺もたまにありますよ、迷惑ですよねぇ、とおどけた調子で続ける。
「だから最近はお金だけ先に渡して、あとからレシートをいるかどうか聞くようにしてるっすよ。結構いらない人も多いみたいなんで」
確かに、コンビニでお茶一本買ったくらいのレシートならわざわざほしいと思う人の方が少ないだろう。
「私もそうしようかな…その方がお客さんもうれしいですよね」
「それでいいと思いますよ。…今回は田中さんの落ち度ゼロなんですから、あんまり落ち込まないでくださいね」
「はい…」
まだ元気は出きらないものの、何とかそう答えた。
「…とはいっても、気持ちの切り替えも大事なんで、落ち着いたらそれも兼ねて発注業務お願いしやす!」
はいこれ、といつも使っている商品発注用のタブレットを渡された。
「いつもと同じようにデザートとタバコの発注、ですよね」
「そうっすね。じゃあ俺レジ行くんで、よろしくお願いしやす!」
「混んで来たらいきますね」
そう呼びかけるとその時もお願いしやす!とにっかり笑って事務所を出て行った。
良い人だ、と改めて思う。和久井さんも金田さんも、私の失敗を一方的に責めたりしない。
「…よし」
私は何とか元気を戻せるよう、発注用タブレットの電源を入れた。
「っていうことがあってね」
夕方家に帰ると、早速母に愚痴をこぼす。
「どこにでも変に横柄な人って湧くのねー。お疲れ様」
カップに2人分のキャラメルラテを作って、片方を手渡してくる。
「病院にもいるの?そんな人…」
「いるいる。サービス業なんてやってたらそんなの毎日のことよ」
「毎日…」
毎日そんな人と鉢合わせするなんて、精神が持たない。
「もうそういう人は気を付けて気にしないしかないわね。その時限りだって割り切って」
「それができたら苦労しないよー…」
本当にこんなのでやっていけるんだろうか。
尽きない不安とともに夜は更けていった。
よろしければサポートしていただけましたら幸いです。