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夢のゆくえ -銀河鉄道の夜- ⑪


 第十一章 夢のゆくえ

 それからじつに七年の歳月が、大地を吹きわたる風のように過ぎ去ってゆきました。
 兄妹は汽車のなかにいました。かねて交わしたやくそくを果たし、タルカとエマは汽車に乗って、各地をめぐる旅をしていたのです。
 鉄道会社につとめていたタルカはもうすっかり一人前になり、汽車の整備や運転、乗客の管理など、ほとんどの業務をこなせるようになっていました。
 そんなある日、タルカのことをいつも気にかけてくれていた会社の社長さんが、毎日まじめにはたらくのもわるいことではないが、たまには休んでゆっくりしなさい、と言って長期の休暇を与えてくれました。それもとくべつなはからいで、その休暇のあいだは自社が管轄かんかつする鉄道の汽車を無料で好きなだけ乗ってもよいということになったのです。
 そこでタルカは、妹をつれてどこか遠い土地へ、あても目的もなく旅をするという夢をかなえることにしました。そのことを話すと、エマもよろこんで行きたいと言いました。
 エマは今年初等学校を卒業して、来年には上級学校にすすむことがきまっていました。背もすっかりのび、気立てのよい、うつくしい女の子に成長していました。
 当初、エマは学校を卒業したら兄とおなじように、はたらくことを希望していました。いままで自分のためにはたらいてくれていた兄や、めんどうをみてくれた親戚の負担を少しでも軽くしたいという想いからの提案でした。しかし、エマは兄のタルカよりもずっと勉強ができ、学校の成績も優秀だったため、担任の教師は上級学校に進学することを推薦していました。タルカもその意見には賛成で、学費のことなら心配しなくともよい、と妹に言いました。もっと勉学に集中して、将来は教師や医者にでもなってもらいたいというのが兄の希望でした。エマは自分の進路をどうするか、しばらくなやんでいましたが、レイチェルおばさんや友人たちとも相談した結果、上級学校にすすむことをきめたのです。
 エマは上級学校に入学するまでしばらくのあいだ余暇がありましたので、その期間を利用して二人は旅行に出かける計画をたてました。
 これまで内陸に生まれ育ってきた兄妹は、まだ海をみたことがありませんでした。なので、二人がめざす最初の目的地は、海がみえる海岸線にきまりました。
 そして当日、雲ひとつない晴れわたった早朝に、二人は大きなカバンをかつぎながら意気揚々と汽車に乗りこみました。
 汽車は定刻通り駅を出発すると、なだらかな平野と丘陵地帯を通り越し、やがて沿岸部に近づいてきました。すると、ながれゆく景色のなかに紺碧の海がみえてくるようになりました。兄妹ははじめてみる海のうつくしさに感動しました。海は二人が想像していたよりもはるかに壮麗で、浜辺には白い波が絶えることなくおしよせています。それに海は遠く水平線のかなたを越えて、どこまでもはてしなくひろがっているように感じました。タルカとエマはそんな水天髣髴すいてんほうふつとなったあいまいな境界線を、いつまでもうっとりながめているのでした。
 それから二人は赤い屋根がつらなる海沿いの町を訪れたり、歴史のある立派な大聖堂を観光したり、にぎやかな市場がある町を歩いて買い物をしたりしました。親切な人にもたくさん出会いましたが、ときには怪しげな男の人に話しかけられ、お金をだましとられそうになったり、食べなれないものを食べてお腹をこわしたりと、たいへんなこともありました。ですが、それも後になってみればみんないい思い出です。それからおみやげ屋さんで何枚か絵ハガキを買い、レイチェルおばさんや育ててくれた叔父夫婦あてに、旅の模様を簡潔かんけつに書いた便りを送ったりしました。
 汽車に乗ってさまざまな土地をめぐり、さまざまな人たちと出会って満足な旅を終えた兄妹は、帰りの夜汽車のなかで、満天にひろがる星空をぼんやりとながめていました。
「ねえ、お兄ちゃん」と、エマが兄に話しかけました。「あの星空の向こうに、わたしたちとおなじように汽車に乗って、旅をしている人たちがいるのかな?」
「そうだね、きっといまも銀河のどこかを走っていて、はるか遠くからぼくたちのことをみているのかもしれないよ」
「その人たちからしたら、きっとわたしたちも夜空にかがやいている星のひとかけらにしかみえないんでしょうね」
 そんな会話を交わしながら、夜空をながれる天の川をじっとみつめていると、その光りかがやく靄のなかを走る一両の汽車がみえたような気がしました。そしてその汽車の窓から、こちらにむかってだれかが手を振ってくれているようにおもえた二人は、いつのまにかおなじように手を振ってそれに応えていました。やがてその幻影も、ほのかに明るい星空のなかにまぎれてみえなくなってしまいました。
 タルカとエマはおたがいにわらい合いながら、さあ、もうねよう、と言って寝台車のほうへ向かいました。
 一晩ぐっすり寝て、夜が明けることには、二人が帰る町に着いているはずです。
 夜汽車は満天の星空の下、いまはもう多くがねむりについているであろう乗客たちの夢や希望を乗せて、それぞれの目的地をめざして走りつづけました。








(おわり)