喩編み

小さいの買うといつもと違う味 やはり嫌いな夏をブラつく
これうまいって教わって買うようになったジュースはまだ売ってある
手を振って長い回廊の奥では今も一昨年夏のあなたよ

繰り返し熱気の中の風景を訪れたせいまた今になる
湯気が、身から出てきて、空気へと溶けて、個体がゆるんでいって
同じだろあのときと今人と人こんなに同じ暑いところで

夏が好きな季節じゃないから外出は避けるし人とも合わない。そうすると夏の思い出というのが他と比べ格段に少なく薄くなる。長い休みをスキップしてしまったような気分で盆を終え宿題に追われる。夏以外でもそうだが、無駄と不得手を回避していると当然その分野で人より立ち遅れ、みるみる幼くなる。

それだけでなく折り目正しく周回を済ませなかったものは、またたく間のタイムトラベルに見舞われることになるのだ。というのも、夏の思い出が少ないと暑い日の度に同じ光景を思い浮かべることになり、季節・年単位での時間感覚が失われていくためである。また夏の思い出がないということ自体が無意識の苦しみをもたらす傷であり、それはひとりでに深まってなお存在を増していくのである。

記憶だけになってしまった体験はフィルムのように貯蔵されていて、暑い日の眼底にやたら甦ってくる。きっと劣化が止むまで回転し続けるだろう、あなたはいつでも行き先にいて、顔を忘れるまで私と、ある日の夏に留まっているのだ。

午後6:09 · 2023年7月4日
久しぶりの激キモ連投だった

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