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spicebouquet
「枠」が生きる処
昔は「枠」を設けたり、はまることが生きやすさだったのかもしれない。
今は「枠」を設けようとしたり、はまろうとすることが生きにくさになるのかもしれない。
昔か今かの話ではないのかもしれない。
基盤が未成熟で試行錯誤しているときは「とりあえずの枠」を使うと便利で、基盤が成熟して個々の思考が多様化してきたときは「枠にはまる」ことを目的にするのは不便になるのではないかな。そんなことをいろんな場面で思うことがある。#シランケド
例えば
・男性らしさや女性らしさ、父親/母親、教師/生徒、年上/年下
・既製品(制服、団地、自動車)
・雇用形態、家族構成、友人関係
自分が人と違う部分があると思うことで不安になることもあるかもしれないけど、思考(価値観)が多様化してしまっている世界では誰かと同じ枠にはまろうとすることが無意識であってもストレスになってしまうのではないかな。
枠が違ったとしても関係が切れるとは限らない。枠は必ずしも対立するものばかりではない。枠は断絶するためものではない。だとすれば様々な枠が存在してもよいのではないかな。
一様化の強さと弱さ、多様化の強さと弱さ、どっちもあるだろうな。
#シランケド #ジェンダー #差別でなくても窮屈な枠になる区別もあるのではないかな #クリティカルシンキング #シランケド思考してみる
無制限アウトプット、無責任ノート、シランケドシリーズ
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