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元プロ野球選手炎上に見る、先輩後輩の価値観の是非。

 このニュースを見て、なんだろう?と思ったら…。動画見てガッカリ。というのも、名前は挙げませんがこれまで

制約のない状態に戻ってくれたらいいな

と思っていたから。こんなことを公に流すのか、と思うと残念になりましたね…。

 まず、当人の言い回しも問題。自分個人の意見としては、というならともかく

みんなが

という他人を巻き込んだ発言。マウント行為につながるだけで、案の定くだんの動画は低評価の嵐になってました。

 古き良き文化としての

先輩後輩の秩序

をぶち壊すような行動がガマンならなかったんでしょうね。しかし、多数の人たちがコメントで書いている通り、

間違ってる

と思う。

 自分個人で完結するならいいんですよ。自分はこういう考え方の人間だから、そういう振る舞いをしてほしいというのならね。自分の範囲にそういう人たちがいて欲しい、ということだからこその価値観だろうし。そこまで全否定する気は全くありません。

 ですが、今回はOB他の人たちも…と言わなくても良い所まで巻き込んでる。コレがどういう意味を持つのか、そもそもスタッフや支援者の人たちは何をしていたのか。忠告や苦言を呈することができず、動画でも迎合してましたからね。影響力のある人物の発言とは、とても思えず悲しかったです。

 先輩後輩の利点は面倒みるといったセンパイの自覚と言った自分以外に目を向けるキッカケ等、全くない訳ではないのは分かる。利点が全くなかったら、今に至るまで残らないだろうし。

 とは言え、私自身はこの悪しき部分で嫌な思いをしているので

いらねーだろ

と思う方。それは単純明快で

先輩後輩という枠組みを悪用する

マウント行為によって理不尽なことがあったから。

こうしたことを見ているからこそ、反面教師として

自分は絶対、こうした態度はとらないぞ!

気を付けてきた。最初はコチラに対する敬意から仰ぎ見る様な態度すら、拒絶してましたからね。途中から相手のとらえ方にまでアレコレ言うのは傲慢だな、と思ったので自分の意向を伝えた後は干渉しなくなりましたが。

 それに、先輩後輩の価値観の弱点は現在のチーム作りにおいてもハッキリと露呈してます。たとえ話で説明しましょう。

 まず、プロ野球で言えばファーストにセンパイ選手がいたとしましょう。その選手はレギュラーとして長年プレイしていて、みんながよく知る人気選手。面倒見も良く、後輩の選手とも仲が良い。

 対する後輩の選手も、憧れていた先輩から色々と世話を受けて心酔している。しかし、ポジションが同じファースト。世代交代がそろそろ叫ばれる中、くだんの後輩選手がその後釜に期待されていた。

 でも、なまじ尊敬もしていて中も良い先輩選手からポジションを奪う気持ちにはなれず…。ズルズルと数年が経過していった。

 そしてついに、くだんの先輩選手も衰えが隠しきれなくなり、レギュラーから外れた。その後釜に座ったのは、その後輩よりさらに若い選手。結局、後輩はずっと控えのままの野球人生で終わりを告げた…。

 これは創作ですが、実際に見たことがあるようなストーリーだと思いませんか?だから、先輩後輩というヒエラルキーはプロとしては不要だと思う。人間関係でも、平等ではないことによってひずみが生まれる。良いことは少ないんですよ。

 私は、そういう先輩後輩という価値観を逆用していました。つまり、年上だけどフラットな態度を貫いていたから、年下の子たちも私の本気と一貫性を理解したらむしろ歩み寄ってくれた。先輩後輩という価値観がなかったら、彼ら彼女らの心をつかむのはそう簡単ではなかったでしょう。

 それくらい、潜在的には年下の子たちはこういう価値観に対して忌避していると思う。自分が年下や後輩、という立場に強いられていた時に凄く嫌な気分だったから、ヤッパリそうだよな…ということにしかならなかった。

 現実的な利点とこうした人としてのコミュニケーションという観点からしても、先輩後輩という価値観はトータルで見たらマイナスだと思う。それなのに、新庄剛志さんことビッグボス(笑)のやり方にあのような批判の仕方をするなんて…。どうかしてるなぁ、と悲しくなりましたね。

 自分の考えを貫くのは個人の信条だからそれでよいと思いますが、

他人もこう思っている

という表現を持ち出すのは自信の持てない人間の典型です。そういう発言をする本人のみならず、支える周囲が現実を伝えられないという事を見てもかなりガッカリしました。個人批判したくないので名前はあくまで伏せますが、ちゃんと気づいて改めて欲しいね。最低限、みんながという表現は撤回すべきだと思うよ。もったいないし、応援していただけに悲しいね…。

いぢょー。

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