【昭和講談】加藤喜美枝「お嬢、存分に歌いなさい」 第二回(全三回)
昭和二十年八月十五日、終戦を迎えますと、主人の増吉が復員し、「魚屋増吉」に戻って参ります。
この増吉、戦時中は、大日本帝国海軍で魚屋の腕を見込まれ、厨房で働いておりましたため、すんなりと家に戻ることが出来た訳でございまして、さらに、魚屋で働いていた男たちも次々に復員し、魚屋増吉はほぼ全員が揃い、再スタートでございます。
しかし、喜美枝は、魚屋に精を出す前に、長女の和枝のことで、増吉に直談判いたします。
「あなた、ちょっといいですか?」
「何だよ、改まって」
膝を突合せ向き合う増吉と喜美枝、そして喜美枝が切り出した。
「あなた、戦争では私も大変でした。平和の世の中になったのだから、少しは私の好きなこともやらせてくれませんか」
そして、喜美枝は増吉に、和枝のための楽団の結成を打ち明けた。それを聴いた増吉は、
「まあ、戦争では迷惑かけたし、しょうがないか」
そう、渋々承諾した次第でございますが、これがそう甘いものではなかったのでございます。
辺り一面焼け野原という戦後の混乱期の中。先ず喜美枝は、軍の払い下げた楽器と楽器の出来る者を寄集めた。
楽団のリーダーを務めるのは、増吉の若い友人でギターを弾ける酒匂正という男で、このギター以外の楽器はと言えば、ドラム、アコーデオン、バイオリンという実にへんてこな構成でございます。
さらに、曲のアレンジなんかは、お金がないので自分たちだけでなんとか行うという、本当に素人に毛の生えた程度のささやかな楽団でございますが、終戦後の混乱の中、東奔西走汗水流して、とうとう喜美枝は、和枝のために楽団を誕生させた訳でございます。
ですが、こんな楽団でも維持するとなると誠に大変で、練習場所の確保から、ギャラは出せずとも食事の世話や泊まり込む者には寝床の用意と、これを稼業の魚屋の持出しで行うのですから、増吉が、喜美枝の道楽を了承してしまったことを後悔するのも当然でございます。
この即席楽団を、喜美枝は「美空楽団」と名付けると、和枝に名前の由来を諭します。
「空と海って、広々としてどこまでも広がっていく感じがあるでしょ。あなたには山に登る様に上に上にと上がっていって欲しくないの。美しい空でどこまでも広がって歌っていって欲しいのよ」
そして、楽団結成から一年ほど経ち、喜美枝は町外れの映画館「アテネ劇場」を借り上げ、町内にポスターも張出し、てきぱきと準備を整えていくと、昭和二十一年九月、「美空楽団」をバックに、八歳になった和枝の、念願の初舞台と相成ったのでございます。
その初舞台興行の内容はと言えば、横浜で少し名が売れていた夫婦漫才を連れて来て、その漫才の前に和枝に唄わせるというもので、しっかり入場料も徴収する、規模は微小ながらもきちんとした興行でございます。
そして、美空和枝となった和枝の初舞台当日。
「さあさ、皆さんお待たせしました。将来有望な豆歌手、美空和枝の登場です」
司会者の調子の良い言葉に「旅姿三人男」のメロディが流れると股旅履いた旅姿、手に三度笠の和枝が登場。
〽清水湊の名物は
お茶の香りと 伊達男……
この歌声に、客席から一瞬どよめきが起きると、それが、すぐに拍手喝采へと変わった。
続いて「長崎物語」「花言葉の唄」と歌っていく美空和枝。
とても子供とは思えないほどの唄の上手さに客からは「いいぞ、もっと唄え」の声が上がる。
アテネ劇場での初舞台興行は見事成功の内に幕を下ろしたのでございます。
「お母さん、ありがとう」
和枝の言葉に喜美枝は首を振り答えます。
「何言ってるの。これからもっと思う存分唄うのよ」
この興行を皮切りに、豆歌手・美空和枝の評判は、磯子を超えて横浜にも響き渡り、市内の杉田劇場から三か月の出演依頼が舞い込んだ。
プロの演歌歌手や漫才に混ざり、美空楽団をバックに美空和枝が歌うと、ここでも拍手喝采。
この客席の反応に、喜美枝は益々自信を深めたのでございます。
杉田劇場の出演後、アテネ劇場で一緒に演じた夫婦漫才の音丸夫妻から連絡がきた。
「加藤さん、これからひと月ほど四国へ巡業なんだけどさ、お宅の和枝ちゃんも一緒にどうだい?」
喜美枝はこの申し出を喜んで受けると、九歳になった和枝と楽団を引き連れ、音丸一座と共に四国へと巡業の旅に出発したのでございます。
さあ、芸人一座に混ざっての、喜美枝と和枝、期待に胸膨らませる巡業の旅でございますが、しかし、喜美枝はここで衝撃的なカルチャーショックを受けるのでございます。
それは、芸人一座の品の無さでございます。
女芸人がシミーズ一枚で片膝ついて一座の子らに「あんたたち、これやるから静かにおし!」と、駄菓子を放り投げると、子供たちがそれに群がり、取り合いを始める。
これを見た喜美枝が真っ青になって、
「こんなところに置いといたら和枝が染まってしまうわ!」
急いで喜美枝は支配人に掛合った。
「すいませんが、料金がかかっても構いませんから、この子用の個室の楽屋を用意してくれませんか」
そうお願いして、個室が用意出来れば結構ですが、しかし、地方の小さな劇場のこと、用意できないことも多々ございます。
すると喜美枝は、持ち前の行動力を発揮いたします。
階段の下のスペースを掃除して懐中電灯ぶら下げて、和枝のために即席で一人用のスペースを用意したのでございます。
さらに、和枝が疲れて横になる時は、持って来た枕に常に新しいタオルでカバーをし、布団の襟には襟カバーをつけ、喜美枝は、少しでも和枝が安心できる環境を、せっせと築き上げたのでございます。
和枝にとって、すぐそばに母親を感じられるこの安心感は何物にも代えがたいものでございましょう。
こうして和枝は、母・喜美枝の愛情に支えられながら、四国各地を、大好きな歌を存分に歌い、巡ったのでございます。
さあ、豆歌手・美空和枝にとり、初めての地方巡業ではありましたが、子供ながらにその歌は、各地のお客から大きな喝采をもらい、さらに、音丸夫妻も和枝の舞台を高く評価。
喜美枝にとっても四国巡業はとても満足のいくものとなった訳でございます。
その巡業も終盤に差し掛かり、高知市へ向かうバス移動でのことでございます。
列車の時間も迫り、駅へ向かうバスが速度を上げて、川沿いの道を走っておりますと、ガガーンッと大きな音を立てたかと思うと、バスの床がせり上がり、荷物や人を後部座席へと投げ飛ばします。
バスの横転でございます。
後部座席に座っていた喜美枝と和枝ですが、なんと、和枝の方に大量の荷物が覆い被さった。
「和枝! 和枝、しっかりしなさい!」
横転したバスから和枝を引き抜いた喜美枝は狂った様に和枝の名前を叫ぶと、和枝の右腕の大量の出血を観て、泣きながらさらに叫び出した。
そこへ自転車で町医者が駆け付ける。軍医上がりという中年の医者は、この惨状を一目見て、
「お母さん、これは危ない。早く心臓を何とかせんと」
「お医者さん、和枝の腕が。早く血を止めて!」
「何を言っとる。瞳孔が開きかけとる。心臓が先、命が先じゃ!」
医者は、和枝の心臓に太い注射を打ち、心臓マッサージを始めると、和枝はゴホッと、息を吹き返し、医者は手際よく腕の出血も止めてしまいます。
この医者のおかげで命を取り留めた和枝でございますが、高知で一週間の入院となり、久しぶりの横浜の我が家に帰ることもできません。
その入院の間、喜美枝は和枝のそばを離れず、付きっ切りで看病いたします。
「お母さん、ごめんなさい」
何かにつけて謝る和枝に喜美枝は、
「何言っているの。何の心配もしなくていいから、早く元気になりなさい」
そう励ます喜美枝ですが、目の前には夫・増吉の激怒する姿がありありと映っておりました。
「これで和枝を歌手にする夢も終わってしまうわね」
喜美枝はそう覚悟したのでございます。
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