旅のおわりは、やはりポンコツ。
さよなら淡路島
ひとり旅最終日。
私にはあとひとつだけ、淡路島で叶えたいことがあった。
それは、、、
「生しらす丼を食べる」
である。
そのために昨晩の回転寿司は、生じゃないほうのしらす軍艦にしたのだ。
しらすは幼い頃からの大好物。朝ごはんのおともには「納豆・しらす・たらこ」この三択が常だったが、アレルギーでたらこが食べられなくなり、現在は「納豆・しらす」の二択になっている。
が、「生しらす」は生まれてからこのかた、一度も食したことがない。
「生しらす初体験を淡路島で!」のスローガンのもと、この島に乗り込んだといっても過言ではない。
寝る前にGoogleで検索して、朝ごはんに「生しらす丼」が食べられるところを探しておいた。
『道の駅あわじ』。
ここなら9時オープンで「生しらす丼」を出しているお店がある。
帰り道と同じ方向だしちょうどよい。
宿のオーナーさんに別れを告げ、カーナビをセット。
高速でひと区間乗れと出たので、お金より時間を優先して近くのインターへと向かった。
カーナビに導かれるまま明石方面へと向かう。
淡路ICで降りるように促されたのだが、ふとガソリンが残りわずかなことに気づく。淡路ICはサービスエリアとも直結していて、ちょうどガソリンスタンドに出くわした。ちょっと割高だけど、少しだけ入れておこうと立ち寄ることにした。
ガソリンの心配もなくなって、さていざ、「しらす丼」とアクセルを踏んだはよかったが、突如たくさんの看板(といっても多分3方向くらい)が、目に飛び込んできた。
実は私、高速道路の方向看板が苦手。
「どこどこ こっち→」
「どこそこ あっち↑」
「あそこ むこう↓」
的な看板を目にすると瞬時に判断することができなくなるのだ。
私が行きたいのは「道の駅 あわじ」。
カーナビくん(声は女性だけど)は無言を貫いている。いったん高速から降りなきゃいけないはずなのだが、後続車もいて焦ってしまったのか「あれ、こっちかな? この道かな? この方角でいいのかな?」としているうちに、「あれ〜????」と、本線に戻ってしまった。
「生しらす丼」を味わえぬまま、明石海峡を横断する羽目に…。
カーナビくんは慌てたように、次のインターで降りろ、降りろとメッセージを繰り出してきたが、私は急激にめんどくさくなって神戸へと車を向けた。
期せずして、さよなら淡路島…である(涙)。
兵庫県立美術館へ。
車は着々と神戸へと向かっていた。
高速道路も空いていたけど、お腹が空いた。お腹が空いた。お腹が空いた。
脳内がこのワードで埋め尽くされる。
しばらくSAもないようなので、ダッシュボードに入れておいた飴ちゃんを口に入れて飢えをしのぐ。
あー、これはもう一回淡路島においでってことなのかなぁ…
鎌倉とかでも食べられるけどなあ…なましらすどん…
でも今日はいつ大渋滞になるかわからないし(この翌日から台風で新幹線が運休というタイミング。予定を早めて移動する人がたくさんいるはずだ)、早めに新大阪駅まで戻っておいた方がいいし…
と、「これでよかったんだ」と思える思考を自分に課して気持ちの前向きリセットを試みる。
しばらく行くと、SAの標識が出てきたので入ってみたが、上下線共通のSAでまたまたややこしい方向看板が複数出現(前出イメージ参照)。立ち寄ってなんでもいいから空腹を満たしたかったのに、また本線に戻ってしまった(ホント苦手)。
こういう時、息子が助手席にいたら、「おかん!マジ何やってんの !?」と叱られるのだけど、今日は「またやっちゃったー」と独りごちるだけ。ちょっとさびしいような…。
旅の最後は美術館。
ポンコツが止まらない。
神戸県立美術館ではかねてから観たかった展覧会が開催中で、今回の旅を計画した時に絶対立ち寄ろうと決めていた。なので事前にチケットも手配していたのだ。
「生しらす丼」を食い逃してから40分ほどで目的地に到着。
観たかった展覧会はこれ。
私はガンダムのアニメーターであるこの「安彦良和」さんの絵が大好き。中学のとき夢中になって模写をしていたほどである。
10時オープンの美術館。20分くらい前の到着だったのだが、もう入場の行列ができている。
「あー、チケット用意しておいてよかったー」と、余裕たっぷりで入場待機の列に近づくと同時に、「ん?チケット?」と疑問がわいた。
「えーと…」
3日前、自宅を出発する時、旅の準備の記憶をたどる。
いくら思い出しても、自宅のリビングの、チケット類をしまっておく引き出しから、展覧会のチケットを出した覚えがない。
「はいー。ワタシ、チケット持ってないですねー!」
と心の中でポンコツを叫び、チケット購入の行列にすごすごと並ぶ。空腹はマックス。この日午前中だけで3度目のポンコツが出現することとなった。
10時。チケットカウンターの窓口から「お待たせしましたー。チケットをお持ちでない方の販売始めまぁす。」との声が空腹に響く。
15分ほどで無事購入。チケットを握り締め、展覧会入り口ではなく、ミュージアムカフェに直行! 膝痛で走れないはずなのに全力疾走してカフェオレとサンドイッチにやっとありついた。
ああ、お腹を満たすとは心を満たすこと。
気持ちも落ち着いて展覧会へようやく向かうことができた。
安彦氏の子どもの頃からのイラスト資料から現在まで。展示数約1,400点。
声優・池田秀一氏の声で案内してくれる音声ガイドに「覚悟するように」と言われ腹をくくったが、ちょっと急ぎ目に見てもゆうに2時間半くらいかかった。
脳みそもおなかいっぱいで、大好きな安彦氏の絵に没入できて幸せ。
考えてみれば、現地でチケットを買ったおかげでイラスト入りの半券をゲット。前売り券はセブンイレブンチケットの出力だったしなあ。これもまたよしとしよう。
展覧会会場をあとにし、館内の「Ando Gallery」にも立ち寄る。
兵庫県立美術館は建築家・安藤忠雄氏設計による建物で阪神・淡路大震災からの「文化の復興」のシンボルとして2002年に開館したという。
私の伯父が建築家で、かの前川國男氏の弟子だったこともあり、幼い頃、伯父の家に遊びにいったときに、よくわからないながらも色んな話を聞かせてもらった影響もあってか、建築物を鑑賞するのも好きな私。夫も好きで、東京都内の著名な建築物を、よく一緒に巡ったものだ。自宅には夫が講演会でもらってきた安藤忠雄氏の直筆サイン入りの著書があったりする。
さて、これにて今回のひとり旅の全行程を終了。
あとは、新大阪駅でレンタカーを返却して、東京に帰るのみ。
エンジンをかけて、カーナビを新大阪へセットした。
無事に大阪到着。
新大阪への道中は大渋滞を予想していたが、スイスイと40分ほどで到着。
おかげでレンタカーの返却時間まで少し余裕ができたので、駅近くにある、夫との思い出の店へと向かうことにした。
「カンテグランデ 中津本店」
ウルフルズ・トータス松本さんがアルバイトをしていたことでも知られているインド料理のお店。ここのバイト仲間が中心となって「ウルフルズ」が結成されたらしい。カレーやチャイが楽しめる。地下にある広々とした、一人でも入りやすい心地よいお店だ。
このとき時刻は午後2時過ぎ。さっき食べたばかりな気もしたが、新幹線の中で食べるよりここのカレーを食べようと、チャパティとカレー、チャイのセットを注文した。ここを訪れるのは夫が亡くなって以来はじめてかもしれない。
遅めのランチを、ゆったりといただき、さあ、いよいよ帰京である。
ガソリンを満タンにし、新大阪へと向かおうとしたところで突然豪雨が降り出した。同時に駅周辺の道路は大渋滞。ものの10分で着く距離が30分ほどかかってレンタカー屋さんへ到着。傷ひとつなくレンターカーを返却することができた。私のようなおばちゃんに二泊三日も貸出して心配だったのか、スタッフさんも「よかったぁ」という表情を見せていた。
ポンコツ連発だったけど事故なく無事に戻ってこれて、私も心からホッとした。それでも「家に着くまでが旅行です、帰路も気を抜かずに行きましょう。」の精神で新大阪駅へと向かったのだった。
大混雑の大阪駅。
構内アナウンスで鳴り響いたのは…。
帰りの新幹線のチケットはもちろん事前にとっていて、出発は16時21分。
新大阪の新幹線改札周辺は大勢の人で溢れていた。
台風の影響で翌日は名古屋ー東京間の運休が決定。予定を繰り上げて帰ろうとする人たちが必死の形相でチケットカウンターに並んでいる。
出発まで50分ほど時間があったが、駅構内はとにかく蒸し暑く汗がダラダラと出てくる。早めに改札内に入って、涼める場所を探そうとチケットを改札機に通した。
その瞬間…
「ガシャーン」
改札機のゲートに通せんぼされ、「このチケットは使えません」のメッセージが。「は?」と思いチケットを確認すると「東京発大阪行き」と書いてあるのに気づいた。
「え?」
「へ?」
状況が理解できず、だが、「もしかして今日東京に帰れない?」という嫌な予感が頭をよぎり、一瞬にして絶望感に包まれる。
思い返すこと3日前、東京から大阪に向かう際、地元の駅からの乗車券があるのにうっかりSUICAで乗ってしまった関係で、出口でチケットは改札機に通さず窓口通過だった。もしかして3日前、今日のチケットを出口に出してしまったのかも…と慌てて改札窓口の駅員さんに声をかける。
状況を説明すると、3日前に回収したチケットを調べる必要があるから、お時間いただきますとのことだった。
そのとき手元にあるチケットの印字を再びじっくりと見直してみる。「この日日付の指定席で16時21分発、行き先は東京→大阪となっている。電光掲示板を見ても16時21分大阪発の新幹線なんて存在していない。
一生懸命電話で問い合わせをしてくれているお姉さんを横目にみながら「乗車券は別として、指定券、これ、多分買った時の、私のミスだよなあ…」とだんだん状況が飲み込めてきた。地元の駅の券売機で1カ月前に新幹線チケットを購入したときの記憶では「出発駅:大阪」「到着駅:東京」を選んだはずだった。
が、最近多いのだ。見間違い、認識違い。勘違い。ぜーんぶ老眼のせいだ。
その時、新大阪駅構内に高々とアナウンスが響いた。
「タケノキョウコ様〜! タケノキョウコ様〜!いらっしゃいましたら中央改札までお越しください〜!」と二度ほとのアナウンス。
「え?何?私? 今中央改札にいるんだけど?」と、そばにいる駅員さんに「すみません今、私の名前呼ばれているんですけど」と、指で上を差して、放送で呼ばれたことを尋ねる。
ただでさえ、迷惑かけてるのに、「ちょっとお待ちくださいね!」と動いてくれて、「タケノさん、SUICAのついたVIEWカード、落としてませんか?」って愛用のマリメッコのポーチを差し出された。
「あ!これ私のです!」
駅員さんは若干呆れ顔。すぐさま身分証明証提示して拾得物受け取りの書類を書き、手元に戻してくれた。どうやら、チケット間違いパニックのさなか、どこかに落としてしまっていたらしい。
さらに、駅員さんからは「お待ちくださいね、今チケット調べてますから!」と使命感に満ちた声。
「あの…指定席券だけでも先にキャンセルしてきたほうがよくないですか?」と遠慮がちに伝えると「そうですね! そうしましょう。チケット窓口で手続きしたら、必ずここに戻ってきてください!」と力強く返答してくれた。
改札を出て、慌ててチケットカウンターに並ぶ。並んでいる人数は30人ほどだろうか。出発時刻の16時21分前にキャンセル手続きをしないと返金は不可となる。タイムリミットまであと20分。家族で並んでいる人もいるし、列の進みの感じからなんとか間に合いそうだ。
今度こそ帰路へ。
並んでいたチケットカウンターの、私の順番がきた。タイムリミット5分前。ギリギリでキャンセル手続きに間に合った。
ことの次第を説明すると担当の女性はとても穏やかな優しい声で「大変でしたね。間違いなく指定席はキャンセルできましたのでご安心ください。ただ購入したのがJR東日本なので、後日JR東日本の窓口で返金手続きをしてくださいね。」と言われる。そして、
「東京までお帰りになる指定席をお探しして差し上げたいのですが、あいにく台風の影響でお取りするのが難しそうです。自由席特急券をお出しする形でよろしいでしょうか?」と、どこまでも丁寧だった。
自由席のある「こだま」や「ひかり」でも座れない可能性があるとのこと。ならば全席指定の「のぞみ」のデッキで帰るのはありですか?と尋ねると、「んー、普段はナシですが、今日はありかなー」と今度はフレンドリーに答えてくれた。どうせ立って帰るのであれば、「のぞみ」のほうが疲れないだろう。私は「のぞみ」のデッキで帰ることを決意し、東京までの自由席券を受け取って改札窓口に戻ろうとすると「また困ったことがあったら、5時くらいまでは私、ここにいますので、行列は無視して、ここまで来ちゃって大丈夫なので相談してくださいね」とのこと。涙がでるほど神対応だ。
中央改札に戻って、間違い(かもしれない)チケットがどうなったか尋ねると、もう少し時間がかかるとのこと。改札内に入れてもらい、往来の邪魔にならない場所でスーツケースに腰掛けて待つことにした。改札窓口の中からクーラーの冷気が少しだけ漂ってきて、そんなに蒸し暑さは感じなかった。気持ちが少し落ち着いてきたのかな。今まで担当してくれていた女性が出てきて、確認がとれたのであと少しだけお待ちくださいとのこと。ということは、やっぱり乗車券は今日のチケットを出してしまっていたということだろうか。
そして「そこまで歳はいっていないベテランの男性スタッフに交代します」「あと、行きの改札窓口で間違いに気づいてあげられず、すみませんでした」と言い残してその場を去っていった。
えー、私の間違いかもしれないのに。この人が悪いわけじゃないのに。むしろこんなに労力を使ってくれて感謝でいっぱいだ。
ほどなくして、「そこまで歳はいっていないベテラン駅員さん」がチケットを持って出てきてくれた。
「東京(都区内)→大阪の乗車券を、大阪→東京に変更手続きを行いました。こちらで東京までお帰りください。 あ、お荷物大変なので私が改札機通してきますね。」といって小走りで改札機に向かいチケットを通して来てくれる。「このたびは申し訳ありませんでした。どうぞお気をつけておかえりください」って、もーう、どこまでも優しいの。涙出るかと思った。
「ありがとうございました。大変お手数をおかけしてすみませんでした。女性スタッフの方にもどうぞよろしくお伝えください」と私も丁寧に頭を下げると、「はい!伝えておきます!」と爽やかな返答。新大阪駅が一瞬にしてすがすがしーワールドに。
もー、JR西日本、本当に素晴らしかったです。ありがとうございました。
「さあ!帰ろう!」
すぐに出発しそうな東京行き「のぞみ」の、最後尾車両(1号車)に目星をつけてさっそくデッキ乗車を試みた。他の車両より並んでいる人が格段に少なかったからだ。
ほとんどの乗客が1号車へと吸い込まれてゆく。まもなくのぞみ号は、静かにそして穏やかに東京に向けて発進した。予定していた時刻より約20分遅い出発。大きなトラブルだったのにたった20分の遅れだけで済んだのは、あの神対応なJR西日本の駅員さんたちのおかげである。
私がいたのは1号車と2号車の間のデッキ。トイレも近くにあって人の往来があるので、なんとなく紛れることができる気がして楽だった。デッキ乗車は私の他にアジア系外国人の若者がひとりだけいたけど、名古屋で降りてしまい、その後は私ひとりだけとなった。
気持ちが高揚しているのか疲れも感じず、スーツケースに再び腰掛けながら揺られていく。まあまあ快適である。ポンコツざんまいの旅の終わりを楽しんでいるかのような私は、横浜から2号車に潜り込んで席に座り、無事東京へと着いた。
夜8時すぎ。
怪我もなく、他人とトラブルになるようなこともなく、自宅へと戻ってくることができた。
「無事に帰りました」とお仏壇に手を合わせ、旅の土産を供えた。
ひとり旅だけど、やっぱり基本は「夫と二人で行ったら楽しそうな場所」を選んでいるなーと思い返す。心のふたり旅も楽しめた証拠だろう。
天国にいる人たち含めて、周りに支えられて生きております、ハイ。
これからもポンコツしますが、どうか見守ってください。 とお願いをした。 (ひとり旅行記・完)