オブラート
ドラッグストアへ行ったらまだオブラートが売られていて、少し驚いた。
子供の頃は苦い粉薬や漢方薬を飲むのによく使っていたけれど、今では「口の利き方」を表現する言葉でしか使われなくなった。
オブラートに包む。
キツい、厳しい表現をマイルドにする言い方。言う方と聞く方、お互いの表面的なストレスを緩和させながら、お腹に入るとまもなくスッと溶けて、中身の成分が効いてくる。大人になるほど上手に使いこなせるようになるのも、本当のオブラートと似ている。
逆に、あえてオブラートに包まないことを選択する人もいる。表面的なレトリックで小賢しく振る舞うのを、潔しとしない人。言う人の性格や立場にもよるけれど、これはこれで気持ちが良いこともある。
そして世の中にはさらに
「オブラートを知らない大人」もいる。
無邪気に、衝動的に、思ったことをそのまま口に出す大人。
例えば仲間を中華料理屋に誘い、チャーハンを食べて(ちょっと脂っこいなぁ)と思っても、僕が「これぞ ”ザ・町中華” の味って感じだね~」などとオブラートしている隣で「これマズーイ!」と遠慮なく大声で言う大人がいる。
みんなの気持ちを考えようよ、と、やんわりとたしなめると、これぞイノセンスといった表情で「他人の気持ちなんてわかりません。私がマズいと思ったから「マズい」と言っただけ。」と、全く意に介さず暖簾に腕押し糠に釘。
「他人の気持ちがわからない」だって?そりゃそうだよ、その通り!みんなエスパーじゃない!
他人がどう感じてるかなんて、僕にもわからない。自分の気持ちだってわからないこともあるくらいだ。だけど ”自分以外は全員他人” なのが世の中だから「きっと、こう思ってるんじゃないかな?」と相手を察して、それが当たってたり外れてたりするのが延々続く。集団が快適に過ごすための「共感」や「調和」を、家で学校で会社で躾けられてきてやっと少しは身についたと思っていたら、このありさまだ。
「共感」や「調和」といった概念が欠けている人もいる。
僕はやるせない気持ちから上記の例を挙げたが、これはセンシティブな問題かもしれない。音痴な人やスポーツが苦手な人がいるように(どちらも僕のことです)、どうしても「共感・調和」のセンスにとぼしい人はいて、本人は悩んでいるかもしれない。
僕は、そういう人を追い詰めたり傷つけるつもりで書いているのではありません。
多様性の時代なので、異なる価値観も受け入れる度量を持つべきだと思う。だから僕はその人を怒ったりしていません。
僕が言いたいのは、多様性を受け入れることで救われる人がいる、その一方で、同じテーブルで食べてる仲間や店員やコックさんに対して、冷や汗をかきながら他人の言動をフォローしている僕のことは、今度は誰が救ってくれるというのでしょうか? 誰か!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?