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筆38 私の夢の長期ビジョン 4/4

▪️ 夢の長期ビジョンの時期目標(青写真の時期的な梗概)

さて次は、私の夢の長期ビジョンにおける重大な箇所を下記する。その箇所とは、この夢を叶える諸活動に(段階的に)取り組む時期目標である。取り組む時期を予め取り決めた上で夢に向かって働くことで、長期ビジョンの履行に当たっては高いインセンティブがもたらされるのだ。時期目標の定め方としては, 5年置きに私の生涯を区切り — 例えば50代前半とか50代後半とかといったように、その5年の内に概ねどのようなことを達成すべきかを書き記す形式を採る。ただし、当たり前のことであるが、人は余命を正確には知ることができない;私も御多分に洩れず自身の余命について幾らかは知れないので、とりあえず80歳までは確実に(健康体で)生きると仮定する — どうして80歳なのかについては、目下80歳を過ぎた自分の風体(ふうてい)が(なぜか)易々とイメージできないからである。直下の表 (↓) は、長期ビジョンの、全体通しての志向する生涯・目標ならびに年代毎の志向する時代・目標を、示すものである。

【20代前半の目標】
私の夢の長期ビジョンを立案した、この時期がまさに, 20代前半の時代に該当するが、当節を一句で表現すると、それは「苦悩の時代」となる — 苦悩の山積が嫌というほど頻りであり、自分の風采をほとんど冷静に描写できない。当節において取り組む活動とは,〈軽音楽部みたいなところに所属〉および〈デビュー〉である。前者は既済である。大学院に在籍している間に「アコサー」という音楽サークルに所属し、細やかながらおよそ20ヶ月ほどだが学内にて活動。後者は「デビュー」という語をどう定義するかに事は掛かっているが、ここでは便宜的に「音楽作品を初めてつくり上げること」と定義すると、紛れもなく既済である。だが、それを「芸能プロダクションに雇用され、その商業的バックアップの下で一般に産業的に流通される音楽作品を発売・販売したり、ライヴを繰り広げたりする活動」と定義すれば、忽ち未済判定に至る。ただし現在, 1993年10月生まれの24歳である私だから, 1ヶ月半しか当該活動に取り組む時間が手中にない。その刻限のなかで”できること”をコツコツと熟すことしか、経過において有意義な態勢は作り得ない。

【20代後半の目標】
20代後半の時代は、全体的に”夢に向けての基盤を形成する時代”とすることを志向したい。当節において取り組む活動とは,〈チャリティー・プロジェクト結成〉および〈結婚〉である。前者については、私の夢の中期ビジョンにて詳らかにしたから、そちらを参照されるべきだが、大略は「芸術家によるチャリティーを前景に据えた諸企画を継続的に運営するプロジェクトの協働型運営」である。つまり、芸術作品を販売して得る売上げを、およそ慈善目的に融通することについて、多くの芸術家と共に、繰り返しくりかえし重ねる活動である。後者については、高校3年生のときに付けていた日記に拠れば,「20代後半以降早急に結婚がしたく」,「相手も笑顔の絶えない明るく優しい人なら人種さえ問わ」ないということだ。子供を(複数人)授かることを推考すると、当節において取り組むのが適当である。夢に向けて、芸術家が協働的に慈善事業を重ねて展開する仕組みの、後世への継承に備えるという意味で,〈チャリティー・プロジェクト結成〉は実務的幇助となり、愛が厚生に寄与するという意味で〈結婚〉は心理的幇助となる。

【30代前半の目標】
きっと壮健な30代前半の時代は、ひきつづいて”夢に向けての基盤を形成する時代”とすることを志向したい。当節において取り組む活動とは,〈チャリティー・プロジェクト結成〉および〈子どもを授かること〉である。前者について、当節の段階では国内規模企画であり、多種多様な芸術作品、要するに、音楽や美術、文芸、映像、舞台の作品を、便宜的に商品化の上、一般に流通させ、その売上げを人権擁護に取り組む、さまざまな団体・組織へ提供する — 多額に上る場合には事前協議を経て。加えて、当該”チャリティー・プロジェクト”に携わる芸術家は、自発的な人権擁護の意味で、当該問題の生ずる現地へ果敢に赴き、そこで可能な働きに極力努めるものである。後者については、高校3年生のときに付けていた日記に拠れば,「家事は必ず家族全員で分担」し,「男女混合で4人以上の子供を持ちたい」ということ。ただ、里子・里親や養子縁組の制度(の主旨)に協力することも,(将来の)家族との熟議の上に検討したい。なお、長期ビジョンの8つ目の企図(各論)である「英語の習得のためにアメリカかイギリスへ留学する」は、当節において努めて施す。

【30代後半の目標】
”人の命を守る”遠大な企画の基盤が整備された30代後半の時代は、冷静に”海外でも頑張っていく時代”とすることを志向したい — 芸術家による人権擁護企画を、着実に海外(人権擁護の緊急度の高い地域がひどく目ぼしい。)へ拡大させ出そうという時代である。当節において取り組む活動とは,〈東アジア・西欧進出〉である。まず、東アジア地域を海外拡大に際し特定したのは、母国である日本を含む(隣接)地域だからであり、次に、西欧については、慈善が比較的盛んでその種の(社会)活動家も多いからである。円滑な海外拡大のためには、海外出身の芸術家や社会活動家との豊かなコネクションを切に欲する。海外拡大によって面白い芸術家に遭遇する機会は増えるから、人権擁護企画の思わぬ進展 — ポジティヴな意味で — があるかも知れぬという、淡い期待を抱いてもいる。

【40代前半の目標】
私の夢を叶える諸活動の拠点を国内外に拡大した40代前半の時代は、熱心に”芸術で人の命を守ることを本格化する時代”とすることを志向したい。当節において取り組む活動とは,〈実地救済支援活動の世界規模化〉および〈海外アーティストとの共同活動の本格化〉である。前者について、芸術家の本領は作品づくりとかパフォーマンス(私の場合は音楽ライヴ)とかだから、それらに集中することが無二の仕事であるが、私はそこに敢えて芸術家の潜在性を発掘するために切り込んでいきたい。創造性において芸術家は他の人より数等活発であると私は信じており、それが”実地救済支援”をするときにも存分に発揮され得ると考えている — 芸術家は作品づくりやパフォーマンスだけに専念していてはダメ;実際に”現地”の空気を取り込まねばならない。後者については、一つでも多くの人命を守るには、やはり多種多様な芸術家との協働が迫られると考える — 場合によっては多言語的に、多文化的に世界中の人々に、救援の手を差し伸べることの重要性を訴え掛けたい。平和構築はグローバルに施さなければ無意味であるということを、当節では具現する。

【40代後半の目標】
ますます私の夢がグローバルな拡張を見せ出した40代後半の時代は、懸命に”For The Universeの知名度を上げる時代”とすることを志向したい —30代前半に創起した”チャリティー・プロジェクト”の理念が30代後半に国外で共有され, 40代前半に海外連携が叶い始めたものを、組織化して出来上がるのがまさしく”For The Universe” (仮称) である。当節において取り組む活動とは, 〈海外アーティストとの共同活動の本格化〉および〈ユニセフの親善大使〉である。前者について、私は実に長い時間を要すると考えている。当節で国際団体として設立する予定の”For The Universe”には、数名のコア・メンバー(私を含む。)がいるだけで理念的な運営は十分であると考えるが、人権・貧困問題や自然災害が世界のどこかで起こる毎に持つ企画には、世界中の多数の芸術家を動員したい。(その企画のことや”For The Universe”のことについては、別の記事で詳説する。)後者については、私の夢の長期ビジョンを立案するに際してふと生起したこと。国連児童基金(本部はニューヨーク)と利害関係が一致すれば、その親善大使を務めることで、子どもの命を守ることだけでなく, ”For The Universe”の知名度を上げることにもつなげられる。

【50代前半の目標】
私の夢を叶えるために取り組む活動のメインが”For The Universe”に絞られた50代前半の時代は、敢然として”平和について色々な角度から研究する時代”とすることを志向したい。当節において取り組む活動とは, 〈平和学に挑むこと〉である。私は22歳の時分に大学院(新潟県立大学大学院 国際地域学研究科)へ入学し、そこでは、音楽を用いた平和構築についての研究に従事してみた。しかし、それは成功を見なかった。当節までに音楽(芸術)による平和構築に実際的に挑んできた諸経験を、ここでいよいよ平和(学)の研究に改めて生かしたいと考えている。平和学はプリンシプルの学問としては未だどうも広く認められていない感があるが、当節までの芸術家としての色々な試みを以てその体系化に挑みたい。実現可能性の問題は隅に置いておいて、私は過去に次の通り記述を残している:

日本最高レベルの研究環境が整う東京大学で思う存分自由に学問し、もっと深い教養を身につけたい;教養をさらに深め大学院に進学して勉強し、平和学などの分野での修士号を取得する。

【50代後半の目標】
平和構築について理論と実践との両面から促進することを覚知した50代後半の時代は、決然として”平和学の研究に尽くして平和構築における芸術の力の潜在性を黙示(もくし)する時代”とすることを志向したい —「人類の恒久平和の実現」の弊害と見做し得る諸課題を解消するための方法論を、科学的見地から細密に見出し、これを芸術(”For The Universe”での活動成果を含む。)との良好な作用に達せしめんとの気炎を込めている。当節において取り組む活動とは,〈日本の国家的な各章を授かること〉である。各章とは具体的に、緑綬褒章(社会福祉分野やボランティア活動)と紫綬褒章(学術芸術上の発明・改良・創作)と紺綬褒章(多額の私財の寄付)と文化勲章(文化の発達に卓絶)である。しかし、飽くまでこの活動は副次的なものであり,「人類の恒久平和の実現」を巡ってはまったく以て一義的ではない。それで、参考までに、日本ユニセフ協会の発行する資料の一部に、次の文言が発見できる — 付記しておく:

褒章制度について/内閣府より当協会が認定を受けた2017年6月19日以降、個人の方は500万円以上、法人・団体は1,000万円以上のご寄付をいただいた場合に紺綬褒章授与申請の対象となります。予めお申し出いただいた分納によるご寄付も含まれます。詳しくは当協会のホームページ www.unicef.or.jp/hosho をご覧ください。

【60代前半の目標】
平和構築に関して熟達の技能を悟了(ごりょう)する気骨を身に付け出した60代前半の時代は、奮然として”平和学の研究の結果や平和構築における芸術の可能性を考察して広く共有させる時代”とすることを志向したい — 当節までの各般の活動成果を、殺伐たる紛争に陥らないため、国際社会に汎用的に還元しよう。当節において取り組む活動とは,〈世界的ないし(準)国家的な各賞を授かること〉である。各賞とは具体的に、ノーベル平和賞とグラミー賞(部門は不問)と内閣総理大臣賞(国民栄誉賞)である。しかし前節と同様に、飽くまでこの活動は副次的なものであり,「人類の恒久平和の実現」を巡ってはまったく以て一義的ではない。当節では, ”世界平和に貢献するための活動”について、その個人的理想もしくは社会的理想を熟考し、私の夢を叶える、当節までの諸活動と照合させ、望ましいものであったかどうかを巡って回想する、ということも想定しよう;メディアによって国際社会に発信する、ということもまた想定しよう。

【60代後半の目標】
理論と実践を交えて人類社会へ緻密に”平和構築の理想型の追究”を呼び掛けてきている60代後半の時代は、猛然として”平和な社会に向けて一層実務的に自ら平和を具現する時代”とすることを志向したい。当節において取り組む活動とは,〈人類の軍隊・武器の一斉永久棄却〉である。これはかなり挑戦的であるし、急進的でもあるかも知れない — 見方によれば、多分に理想的すぎるかも知れない。利益を獲得しようと往往にして人事で暴力が乱用されるのは、人類社会で軍隊・武器の保持・開発ができるからである — だとすれば、それらを世界各地で同時に棄却すれば、一挙に人類は平和を手にできるに違いない、と私は考えた。(ただここでは、純然たる芸術の影響はもはや見られないのでなかろうか。)そのとき、相当に”社会活動家”の色が濃くなり出すだろうか — 自身の体力のことも、しめやかに憂慮されるけれども、それ以上に、当節において志向する時代のことは、極めて政治的なことである、ということを熟察しなければならないだろうか。

【70代前半の目標】
国際的に平和構築を追求するには政治色を強めることが不可避だと認め出した (?)70代前半の時代は、ヒロイックに”恒久平和を脅かす原因を根絶させる時代”とすることを志向したい — 飽くまで私は「人類の恒久平和の実現」を果たすのだから、それが永遠に崩落させられることのない仕組みを考案して然るべきだろう。当節において取り組む活動とは,〈全地域間の社会的・経済的格差の是正に向けた活動の本格化〉である。考えるに, ”恒久平和を脅かす”最たる原因は”社会的・経済的格差”である。これには、社会科学全般の長年の研究成果を踏まえて取り組む必要がある。そこで”For The Universe”は社会科学系の科学者との接近も迫られるだろう — 発起人である私自身がまず科学者を名乗れば結構であるかも知れぬ。国内的には第一に「日本ユニセフ協会」と「UNHCR 日本(http://www.unhcr.org/jp/)」とのタッグマッチに持ち込むべきであるかも知れない;地球から全種類の格差を悉く排除し尽くしたい。そして、私が生涯を通して目指した”平和社会の形成”について、全活動の集大成論の立案に意識を向け出すときに至るのだろう。

【70代後半の目標】
70代後半の自分がどのようであるか — イメージすることはできても、そのとき何を目標とするべきか、正直なところ目下ほとんど見当が付かない。その事由はおそらく明白で、すなわち、それまでに得られた成果が今のところまったく不明だからである。希望的観測を以て少なからず予想はできても、それがどれだけ正確であるかはまったく不明なのである — 予想が希望的観測によるならば、なおさら正確かどうかの判断は曖昧にならざるを得ない。

▪️ さいごに

これは私の夢の”長期”ビジョンであるから、些か内容は抽象的であったかも知れない。しかし、抽象的ではあっても、夢へと邁進するための大まかな指針を示すことは、今後の私が呉々も要することであろう。今日までに開示した私の夢の短期ビジョン( https://note.mu/takenaka_yusuke/n/n6b20f02f7f8c?magazine_key=m09cfed325596 )と中期ビジョン( https://note.mu/takenaka_yusuke/n/n46cb2f0f53e3?magazine_key=m09cfed325596 )と長期ビジョンより、私が明日からどう生きるか — また、既に今日どう生きているか、について多少明らかになった。これらをネット公開して、私の生き方をよく世人に分かってもらうことは、私の夢の性質からして、やはり肝心なことである。これからも、私の夢について、ジャンル毎に細かく切り分けて、詳説していくつもりである。もちろん、そのとき最も肝心なこととは、作述してきた私の夢の内容に即して, ”実践すること”, ”行動すること”に他ならない

なお、本稿において引用した、過去の日記からの各節は, 2011年8月13日より2012年3月10日までに記述してきた文である。了

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随筆家・竹中ゆうすけ
サポートいただきました分は、私の夢である「世界の恒久平和の実現」のため、大切に使わせていただく所存です。私は日々、夢に向かって一歩ずつ── ときに半歩ずつ── 邁進しています。