安楽椅子探偵は電気羊の夢をみるのか?【Web小説レビュー:providence eden】
文学的フェチズムについて
僕はミステリに造詣は深くないけれど、時々探偵小説を読む。
部屋から一歩も出ずに、推理を行い事件を収束させてしまう人を、安楽椅子探偵と呼ぶ。彼らの論理的思考は図抜けているし、小さな事から広域の事象を想像する力も、生中ではない。思考を広げるのも、収束するのも、上手すぎる。それに、あの日常の一幕を剥いだらとんでもない事実が隠れている、という感じがたまらない。
そんなわけで僕は安楽椅子探偵の物語が好きだ。
一方、僕はすこし科学に造詣が深くて、時々SF小説を読む。
現代の科学に基づいた、実現可能ぎりぎりの、夢物語。こんなロマンチックが他にあるだろうか。昔、SF作家の伊藤計劃氏が、extrapolation(既知の技術からの推定)を固めなければSF作品の設定は単なる設定の域を出ないと言っていた。既知から推定される技術的な仮定と人の感情が織りなす物語は驚くほど情動的で、繊細な世界を作り上げる。
そんなわけで僕はSF小説が好きだ。
安楽椅子探偵とSF小説。もしも、こんな好きなもの同士をまぜてしまっては、危険だ。気化した塩酸が蔓延してしまう。
SFと保険?
そんな危険な塩酸気化web小説を見つけたので、紹介したい。
作品名:providence eden
作者:かえる
SFと生命保険。なんとも奇特な組み合わせに思える。
だが、先ほどのエクストラポレーションとSFの関係を考えると、とても論理的な組み合わせなのだ。
保険、というのはけっこう古い歴史を持った社会制度だ。例えば大航海時代。大勢でお金を出し合って、リスクを分散する、という考え方は、危険が多い航海を生業とする冒険家やそれによって得られる利益に投資する投資家に非常に好まれた。
この制度は時を経るごとに徐々に形を変えていく。
比較的最近できたであろう、サイバー犯罪に対する保険は、損害があった場合の金銭的補完だけでなく、セキュリティー向上のための技術支援や事故や事件時の調査も請け負う。
この例は、単に保険制度が扱う商材の違い、だけではなく、技術の更新によって保険制度が新たなサービスを取り扱わざるを得なくなっていることを指し示す。
そしてこの小説では、高度に進歩した分子生物学と脳科学と情報学が、生命保険に新たなサービスを実装させることからスタートする。
そのやり口が実に巧妙なのだ。社会制度と科学技術。なんて素敵な組み合わせだろう。
Extrapolationの威力
現在の社会制度と科学技術から推定された新しい生命保険。これは次なる仮説を生む。そしてそれが、安楽椅子探偵的状況につながる。ここまでの流れがこんなにきれいにはまることなんてあり得るだろうか、というくらいきれいである。そしてここに人の物語が混じった時、僕たちはこの小説に心をわしづかみにされる。
誰だって、現実の中に夢物語をみたいじゃないか。
合理の積み重ねと精緻な想像力は、僕たちにそんな景色を見せる。
そして夢物語は現実世界に問いかけを残す。電気羊の夢を見るのか?って。
結末は、わからない
僕はベッドに寝ながらパソコンをいじっているときに、この小説を見つけた。冒頭の何話かを読んだ後に、この話がものすごいSFだと、背筋を伸ばし居住まいを正した。
たまに僕は自分で小説を書いてwebにあげる。SFを書くときはできるだけ論理性を保つように気を遣う。広げた妄想にどこまで屁理屈を付けれるかに挑んでいる。
だけれど、今回紹介したprovidence edenは最初から美しい。こんな小説を僕も書いてみたいと嫉妬してしまうくらいに。
この小説はweb上で連載中である。だから結末は分からない。そういうのってけっこうエキサイティングだと思う。
皆さん、是非、合理と精緻の世界をのぞいてみてはいかがだろうか。
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