狂気の取材: 人のフリした神たちの作品紹介
物語と取材
何かを作り出すには材料が必要だ。
聖書(ハガレン)[1]で述べられている通り、世の中は等価交換である。0から1は作れない。
オムレツを作りたいなら10個で210円の卵が必要だし、人体錬成したいなら子供の小遣いで買える有機物とか、プライスレスな魂を用意しなければならない。
無形の何か、発明とか音楽とか、目に見えないものでも、作るには材料が必要だ。発明であれば大量の論文や特許文献を漁らないと車輪の再発明をしてしまう。音楽だって作詞作曲者が膨大な量の作品に触れてきた経験から生まれるものだ。
そして、当然ながら物語を書くにも材料が必要だ。
物語を書くときに必要なのは、作者本人の思索もだが、それだけでは足りない。素材集めが必要なのだ。
そして物語を作る時に行う素材集めは、取材と呼ばれる。
ヒトのフリした神たち
取材をしっかりしている作品が好きである。
アイディアというのは素材集めなくして出てこない。取材をせずに何かを書き出すと自分の中にある以上のものは出てこないのではない。
「アイディアの作り方」[2]という広告マンが書いた本があるが、その中でも素材集めはプライオリティとして挙げられている。著者は資料集めは一番大事な工程なのにおざなりにされがちであることを嘆いている。
ちなみにこの本の解説を書いている竹内均という物理学者の方は、自身の学術研究のアイディアの出し方と驚くほど似ていると述べている。アイディアを出す方法は領域を超えて収斂しているようだ。
あるいは卑近な例ではあるが、僕は素人小説書きであり、自分の思索のみで構成された物語を書いてしまったときは自家中毒を起こしそうになる。小説は自分語りになりがちなのでできるだけ外界の要素を取り入れたいし、その方が面白い小説が書けている気がする(まあ、出来が良かろうが悪かろうが、誰にも読まれないんですけどねニッコリ)
もちろん、これは単に僕が小説を書く人間として極めて凡庸だから、ということなのかもしれない。優れた作家は取材などしなくとも美しい物語を紡ぐということはあり得る。(プラトンの書いた)ソクラテス曰く、詩人は知恵ではなく神がかりで作品を作っていて、自分の創作物の内容を知っている訳ではない[3]らしい。神の詩人であればそういう創作も可能なのだろう。こういったことが起こりえるなら、取材をせずに何かを書き出して自分の中にある以上のものを表現できる例外的な場合といえる。
僕は人の子であるので、そういったことは真似できない。取材してなさそうな素晴らしい作品を読んだりした時は、「神の詩人だなぁ」と指を咥えるだけである。
一方、取材をした作品には神がかり的な力が宿らないかと言えば、そうではない。圧倒的な取材と筆致をもって神がかりを実現している、人のフリした神様がこの世界には沢山あらせられる。
こんな時、僕は指を咥えながら、「ヒトのフリした神さまだなぁ」とはならない。ただただ唖然とするばかりである。なぜならヒトに再現可能な形(取材をもとにした物語の構築)をとっているにもかかわらず、そのクオリティはまるで僕が書いたものとは異なるからだ。自分の無力さを痛感する(ワカラセってこういうことですかね違いますかそうですか)。
鋼の錬金術師的にいえば、神様に近づきすぎた人間は地に落とされるらいしが、彼らはそんなことをものともせず悠々と飛んでいる。
そんな訳で、今回はヒトのフリをした神様達の作品を紹介したい。ワカラセられたいクリエイター志望の方におすすめです。
(未読の方はネタバレ注意です)
作品紹介
【だんドーン】桜田門外ノ変という「殺人事件」の現場検証が生み出した、圧倒的リアリティ
僕は鹿児島出身にも関わらず、今まで新撰組が好きだった裏切り者である。だが、この作品のおかげで、今まで忘れていた薩摩魂を取り戻したかの如く、急に倒幕側に肩入れして、維新士たちの武勇伝を読んで息巻いている。妻には煙たがられたりしている。
それはそうとして、この作品は異質である。描写がとんでもないのだ。
特に4巻で描かれる歴史上の一大事件、桜田門外の変は圧巻の筆致である。当時の政治上の最高権力者であった大老・井伊直弼が暗殺されたこの事件は日本中を震撼させ、明治維新に舵を切らせる大きな要因になった。
現在の皇居、当時の江戸城の桜田門外で起きた阿鼻叫喚。襲撃する側の水戸と薩摩藩士で構成された桜田十八士と、襲撃される側の井伊直弼に護衛達。この地獄にあって、血に塗れた男たちの眼差しはどこまでもまっすぐである。
だが、死はどこまでも酷く、美しさを感じさせる隙など与えない。彼らはドロドロになり、上がった勝鬨は本当は一体どちらのものだったのだろうという気持ちにさせられる。
作者はこの惨劇を本当に目の当たりにしたのではないか。そう思わせる確かな力がこの話にはあった。
そしてこの力の土台は圧倒的な取材である。
まず、当時の政況や参加していた桜田十八士の一人である薩摩藩士やその兄弟の和歌など大量のリサーチを経ないとかけないであろう大量の要素が、自然に物語に織り込まれている。
それに加え特筆すべきは、桜田門外の変の事件当時の現場検証である。
漫画の巻末に作者のコラムがあるのだが、そこにさらりとこんなことが書いてある。
当時の検死報告書を手に入れてやがる…
それだけではない。
桜田門周辺の現場検証を元警察官が行なって作られた時代劇が今まであったか??
言い忘れていたが、「だんドーン」の作者は自身の県警察に勤めていた経験から「ハコヅメ」という作品を書いた人物である。
おそらくだが、どの歴史小説も歴史家や研究者の検証は受けていても、警察経験がある人物の現場検証を受けていることは極めて稀なのではないだろうか。
そして、この桜田門外ノ変は「殺人事件」なのだ。殺人事件の調査は歴史家や研究者ではなく、本来警察官の領分である。この漫画は警察官から漫画家に転身するという華麗にリスキーダイス(※1)を振った作者が描いた奇跡的な作品と言える。
【ニュクスの角灯】文化への愛情を細部に感じる
細部は神に宿る。
この漫画は明治時代の長崎を舞台に、主人公が異国の文化や人々と織りなす成長譚である。
鎖国の解放から間もない日本。国内有数の貿易拠点の長崎では主に西洋の様々な物品や文化が流れ込みつつあった。内気な少女である主人公の美世は、舶来品を扱う道具屋「蛮」の不思議な店主、小浦百年に導かれるように華やかな世界の欠片に目を輝かせていく。
あらすじにもあるように、この物語は美世が美しい舶来品に興味を惹かれていく様が丁寧に描かれている。この話に説得力を持たせているのが、その時代の物品の細かい描写である。
この漫画の作者は特に取材に力を入れていることで知られている。彼女はインタビューで若い漫画家がもっと取材にお金をかけられると良い、と述べており、田舎に住み、できるだけ生活コストを抑えることで取材費を捻出するという生活を自ら実践している[7]。
大量の取材を厭わずそこに最もコストをかけるという、創作者の鑑のような人である。
また、余談だが没コマのパスツールの会話が個人的にグッとくる[9]。
【理系が恋に落ちたので証明してみた】新しい数理アルゴリズムを作りやがったラブコメ漫画
この漫画は大人気理系ラブコメであり、アニメにもドラマにもなっている大ヒット作である。著者がもともと情報工学系の大学院生だったことから、作中で出てくる情報学の知見はかなり勉強になり面白い。
普通のラブコメとして楽しめる一方、この漫画にはさらりと異常事態が起こっている。作中の登場人物が発表するアルゴリズムがある。
この二つのアルゴリズム、この漫画のオリジナルである(※4)
もう一度言おう。この数理アルゴリズムは本作オリジナルのアルゴリズムである。
ピンとこない方もいるかもしれないが、通常アルゴリズムを作って発表する際は、学会や論文が主な場である。漫画ではない。
この漫画を描くために大学の研究者に取材をしたらしいのだ。その際、その先生がちょちょいと新規のアルゴリズムを作って漫画に提供したらしいのだ[10][11]。
取材の過程で新しいアルゴリズム作って漫画で発表しているのである。なにそれ。
僕は情報学は専門ではないが、新しい学術的知見って、こんなにカジュアルに出るんだっけ?と慄然とした。
【ヒュウガウィルス 五分後の世界Ⅱ】ほとばしるマッチョイズムと精緻な生物学的知見
サブタイトルとあらすじから分かるようにこの本は未知のウィルスによるパンデミックが大きなモチーフになっている。
この物語の描写のために生物系の研究者への取材が豊富になされている。
犯罪ルポのようにヤクザや半グレにインタビューするわけではないので、比較的簡単だと思われるのではないか。いや、研究者へのインタビューはヤクザに対するインタビューと等価といって過言でない(過言)。
インタビュアーが前提知識を持ち合わせていない場合、話がまったくもってかみ合わないことが多い。例えば小説の取材がしたいです、といってノコノコ会いに行ったところで、先方がこちらのほしい情報を親切かつ適切に教えてくれることはまずない。大抵は自分がまったく認識していない未知の複雑怪奇な演説を食らうことになる(※2)。
もちろん初学者に親切な先生もいる。だが、初学者に上手に説明できるという能力は研究者の必須能力ではない。
研究者は意地悪をしたいわけではない。僕自身も時々専門の領域について、友達から話を聞かれることがあったりするが、そんな時はどの切り口で、どの解像度の話をすればよいのか、かなり悩む。友達であればフランクに「〇〇しってる?」などと確認したりすることで、相手の理解度に合わせて話を進めることができる。だが、初対面のインタビュアーと話すときはそれなりに堅くなってしまい、相手の理解度に合わせて、というインタラクティブなコミュニケーションが難しくなる。すると結果的に効果的な知識の伝達ができなくなるのではないかと思うのだ。
それ故に、まずインタビューに行くために、前提知識としての相当な勉強が必要なのである。この本にはその努力の結晶が読み取れるし、このことは小説のクオリティを大きく引き上げている。ここまで大量に分子生物学の知見が使われた小説があっただろうか?(※3)
また、余談ではあるが、
というセリフを見た時、あ、僕も笑われるわ、と涙目になった。一応、遺伝学専攻なのに…
まとめ
全ての創作は現実の二次創作だ。「小説や漫画や映画というものは、...(中略)...その上澄みを美味しく調理するから商品として成立する...」とは映画監督の押井守の本の一文だ[4]。現実を面白がるには教養が必要だから、上澄をとってフィクションでわかりやすい物語に再構築する。
だとするなら、創作を行うのに現実世界の取材が大事であることはごく自然な帰結だろう。文献調査やインタビュー、または自分の身を持って体験したことは物語の血となり肉となる。
そして取材、というか調べるということは極めて地味で大変である。僕も研究者としての経験から、調査することの大変さは実感をもって語れる。すげぇ大変であるのだ。
それを仔細に、大量に調べて、慎重に取り扱って物語に組み込むことは、神業以外の何者ではないと思う。神業であるにも関わらず、やっていることは地道な調査であり、ただの人間である僕は打ちひしがれるしかない。
そんな訳で、改めて紹介するまでもない有名作ばかりではありますが、未読の方は是非読んでみて下さい。
補足
※1. リスキーダイスは漫画ハンターハンター[5]で出てくる20面体のサイコロ。19面の大吉と1面の大凶で構成され、大吉が出ると幸運が巡るが、大凶が出ると即死する。
※2. 余談だが、僕も先日、博士課程で哲学を研究している人の話を聞く機会があったが、何もわからず、<ちいかわ>みたいになってしまった。あまりに複雑な話を聞くと、質問すら思いつかない。
※3. 学者が書いた本ではないので不正確な話ももちろんある。「ウィルスはタンパク質を作れるのだ、外部からわれわれのからだに入って害をなす生物・無生物の中で、タンパク質を作り出せるのはウィルスだけだ」[8]。この記述は明らかな間違いだ。例えば腸管出血性大腸菌は人体内に入り毒素を産生し、重篤な食中毒を引き起こすことがあるが、その毒素は志賀毒とよばれるタンパク質である[6]。どのような著作もだがスキなく完璧な文章を記すのは難しい。とはいえ、それを帳消しにできるほどの勉強量を著者はしていると思う。
※4. 実は後者(リケコイの棘田の発表)の方はアルゴリズムとして完成しているわけではないらしい。アルゴリズムとして成立しそうな研究テーマを発見したという段階のようだ(この辺の機微は正直わからないので、詳しい人がいたら教えてください)。とはいえ研究に値するテーマを探すというのがそもそも困難なので、やはり驚嘆に値すると思う。
参考文献
荒川弘.「鋼の錬金術師」1巻. 小学館
ジェームス・W・ヤング著, 今井茂雄訳, 竹内均解説.「アイデアのつくり方」株式会社CCCメディアハウス
プラトン.「ソクラテスの弁明」光文社
押井守. 「世界の半分を怒らせる」幻冬舎文庫
冨樫義博「ハンターハンター」14巻. 集英社
Marie E. Fraser et al. (2004) Structure of Shiga Toxin Type 2 (Stx2) from Escherichia coli O157:H7: https://www.jbc.org/article/S0021-9258(20)85414-3/fulltext
熊本の山奥からマンガ大賞受賞『ニュクスの角灯』高浜 寛インタビュー。テレワーク歴15年の漫画家の仕事術: https://moov.ooo/article/5f9a3244c952c7715856ae51
村上龍「五分後の世界II ヒュウガウィルス」 七章p.182
高浜寛「ニュクスのランタン」3巻. kindleの位置no.138
山本アリフレッド「理系が恋に落ちたので証明してみた。」5巻Kindleの位置no.48
山本アリフレッド「理系が恋に落ちたので証明してみた。」14巻Kindleの位置no.100