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Vol.95 『何のためのテスト?』② 

 今日は第2章「教育は関係のプロセスである」を読み込みました。
 人に対して、いろいろな見方をしてしまう自分がいますが、どんなことにも「関係のプロセスが先にある」という意識をもつこと、関係の上につくられているということについて考えることができました。

 自分自身、最近は一人ひとりを「見取ること」を大切に授業を構想しています。見取るときには、「その子がつくり出している過程」に着目しています。「今、この子が気になっているのはこういうことだろうな」とか、指導事項と照らし合わせながら「今、この子はここからこう解釈しようとしているのかな」と捉えようとしています。

 ただ、こうやって捉えているときって、その子という個人にばかり目が向いていると思いました。「関係のプロセスが先にある」ということを考えたときに、その子を捉えるということと同時に、他の子とのつながりや、つながった結果生まれるものも考えるということが大切なのかなと思いました。特に、教師との関係だけでなく、子どもたち同士の関係で生まれることも大切にする必要がありそうです。

 前に「間主観性」「間主観的な意識」についてたくさん考えたことがありました。「関係のプロセス」と「間主観性」はつながりそうです。

「私」と「あなた」といった個々の主観性が、それぞれ単独で客観的な世界に向き合っているのではなく、相互にかかわり合いながら共通の世界を成立させていることを表しています。こうした共有された世界を「間主観的な意識」といいます。

角田豊(2020),学校臨床力を磨く事例検討の進め方 P19

 教師として、この「間主観的な意識」をもっているかどうかが、「関係のプロセス」を意識することに大きく関係してきそうです。ずっとその子だけを見ていても本当にその子を理解するということにはならなさそうです。結局、偏った見方になってしまっています。もっと広く、「自分がこう声をかけたから、こうなった部分もあるだろうし、この子はこういうところに興味をもっていたからこうなった部分もある。だからこそ、ここらへんを目指せるように場づくりしていこうかな」とか、関係全体を捉える必要があると思いました。

 もっと見えやすいところだけじゃなくて、「本質」のところを見たいです。勝手に決めつけたり、綺麗にまとめたりするんじゃなくて、もっと「全体」を見ていく意識をもち、かかわっていこうと思いました。


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