Vol.9 「指導の個別化」と「学習の個性化」
さて、「個性を生かす教育」の中身を考えるにあたって、少し、「個性を生かす」という表現を検討してみたいと思います。どうも、この表現のままでは問題がありそうです。「個性を生かす」というと、何か別に目的があって、そのために個性を生かす、ということにならないでしょうか。これは、いわば「手段概念」なのです。個性というのは何かのために生かすものだ、というふうにとれます。この表現は、なかなか問題をはらんでいます。個人的な意見かもしれませんが、こういう手段としての個性は、「個性」というより、むしろ「適性」というべきではないでしょうか。少なくとも適性に近い概念だと思います。
個性を生かすとは?個性を育てるとは?
子ども主体の授業を目指して自分なりに試行錯誤はしてきましたが、そもそも最近よく言われる「指導の個別化」と「学習の個性化」についてあまりよくわかっていないなと気づきました。
ちゃんとここで一旦整理して、思考の土台を固めておきたいと思います。
読んでくださっている方も「こういうことかな?」「具体的にイメージするとあの場面だな」と一緒に悩んでください。では、どうぞお付き合いください。
前項で「個性を生かす」という表現だけでは問題がある、と指摘しましたが、ほんとうの意味の「個性尊重」は「個性を育てる」ということなのです。「個性を育てる」という表現ですと、明らかに、個性を育てること自体が「目的概念」になってきます。育てるのは、その子どもの個性そのものなのです。私たちは、これを「個性化」とよんできました。
「個性を生かす」と「個性を育てる」については、理解できました。目的がどこにあるのかの違いなんだと思います。
ただ、少し「育てる」という表現に違和感を感じます。
ここで「育てる」のはきっと教師ですよね。教師の役割は「育てること」なのでしょうか。
「子どもたち同士で育つ」ような場をつくることとか、子どもたち一人ひとりの(個性的な)追究を支えることとか、そんなことを大切にしているときは「個性を守る」「個性が活きる(生きる)」といった表現のほうが合っているような気がします。
前章で述べたように、やはり、個性をめぐって「生かすこと」と「育てること」を区別しておきたい、と私たちは考えます。このあたりがあいまいにされてきていることに混乱の原因がありそうです。
そもそもここちゃんと立ち止まらないといけないですね!
「生かすこと」は、ある目的を達成するために「個性を生かす」
「育てること」は、「個性を育てる」ことそのものが目的
個性を育てることは、目的なのでしょうか?
2つを分けて考える必要があるのかな?
僕は、子ども主体の授業を目指して試行錯誤しています。なので「子どもが主体となっているか(なっていたか)」と日々自分に問いかけ、ふり返っています。
子ども主体の授業を目指しながら、よりよい学びへとつながる場づくりをしたり、みんなの考えを共有したりします。これは「個性を生かす」だと思っています。
僕の子どもの姿のイメージは、一人ひとりが個性を生かしながら試行錯誤し、それぞれがオリジナルの成長をしていく、というようなイメージをもっています。
そのためには、子ども主体の授業である必要があります。
子ども主体の授業を目指していると、教師が子どもたちの「個性を生かす」、子どもたち一人ひとりが「個性を生かす」場がありますし、そうした場で一人ひとりの「個性が育つ」と思っています。
でも、「個性を生かす」ことができていないときもあります。それは「子ども主体」ではなかったときにそうなっています。
「指導」という言葉は、文字どおり「指し示す方向に導く」ことと考えられます。しかし、だれが「指し示す方向」を示すかは、大いに問題です。多くの場合、子どもたちは未熟である、という理由から教師が方向を示していくもの、と考えられています。しかし、未熟なら未熟なりに、自分から方向を探しながら進ませることも、十分考えられるのです。
「助言」という言葉は、文字どおり「助けとなる言葉」です。子どもたちが自分なりに追究していくとき、だれでも一人ではおこなえないのです。他の人と話し合い、確かめながら、他人の意見も聞きつつ、あるいは、承認を得ながら追究していくべきでしょう。そのとき、必ずしも教師とは申しませんが、他の人からの助言が必要なのです。
「指導」と「助言」このあたりは僕自身が見つめ直さないといけない部分だなと思っています。これ、きれいにまとめてくださっていますが、結局どちらも「子ども主体」を踏まえていなかったら、同じですよね。
今、その子の中で何が起きているのか、どうしようとしているのかということを探りながら、本当にその瞬間自分(教師)が何かする必要があるのか、必要があるとしたら何をするのかを考えることなしにかかわってしまうと「子ども主体」ではなくなってしまいます。僕はそんなことをたくさんしてしまっています。
まだまだ「子ども主体とは?」と考える必要がありそうです。結局ここに戻ってきます。ここにつながっているような気もしています。
繰り返すことになりますが、教師の役割は、こうした学習者の学習を組織し、促進し、助言を与えることなのです。