Vol.25 「学ぶ」とは?
生活科でも、他の教科でも「子ども主体」を大切にします。自分が「子ども主体」を大切にしているのは、「子どもが学ぶ」ということとか、「子どもの学びになる」ということを目指しているからです。一人ひとりにとってよりよい学びがあることが大切だと思っています。
「学ぶ」ということを考えたとき、主体がその人であることが前提であると思っています。これはただ単に「教える人/教えられる人」といった分け方ではないです。もちろん、子どもたちとともに資料を見て、これまでの経験とのズレを見つけ、違和感を感じ、これから深く考えていこうとする授業もありますし、子どもが自然の中で遊ぶことを通して、生き物のおもしろさを見つけ、ふと「これはなんだろう」と立ち止まり、知りたくなるみたいなときもあります。
決して、子どもだけで問いが生まれること、子どもが問いを立てることだけが「子ども主体」というわけではないと思っています。子どもがあれこれ試行錯誤している、試行錯誤することができるような場を教師としてどうつくっていくかが大切なんだろうなと思っています。
ただ、「子ども主体」を意識していても教師としての「教えたい!」「理解させたい!」というおもいが強く出過ぎるときがあります。どうしても、ここだけは押さえておきたいみたいな気持ちが前面に出てきてしまいます。
ですが、最近は少しずつそういった気持ちを抑えることができるようになってきました。それは、一人ひとりを見取ることに時間をかけるようになったからだと思います。一人ひとりを丁寧に見取ることで「この子はまだ学びの過程にいるんじゃないか」と捉えることができるようになり「教える以外にも方法がありそうだ」と考えるようになりました。
この嶋野先生の言葉、まだぼんやりともわかっていません。「聞き届け」とは?これが一番想像がつきません。これらの言葉を丁寧に目の前の子どもたちと照らし合わせていくことで自分自身の成長に繋がりそうだと思いました。
…今度、直接聴いてみようかな。いや、自分で考える方がいいな。…