教師間の「観」の違いを埋めるには 第133回e-cala cafe
教師は、自分の受けた教育や授業が土台となって、教育観や授業観、子ども観が創られていくと思います。一方で、自分がもっている「観」に違和感を感じたり、自分とは全く異なる「観」をもっている教師と出会ったりすることによって、自分の「観」が再構成されることもあると思います。
しかし、私は、「観」が再構成されることは、稀だと考えています。
なぜなら、先ほど述べたように、「観」は経験則に大きな影響を受けています。経験に基づき、納得したものは、他者の指摘があったとしても、素直に受け入れることができなくなるからです。
しかし、それぞれがもっている「観」、特に「子ども観」については、教師間でそろえることが大切だ思います。
では、どんな「子ども観」を共有するとよいのでしょう。
それは、「能動的学習者観」です。
平野朝久氏は、「子どもの主体的な追究と学びを実現する授業の要件(1)2016東京学芸大学紀要」で、「能動的学習者観」について次のように述べています。「能動的学習者観とは、「子どもは、本来、わかろうとし、できるようになろうとしており、自ら追究し、学ぶ意欲と自分で自分を創っていく力を持っているという学習観」である」
この「子ども観」をなんとか共有したいものです。
益川弘如氏は、「学習科学からの視点-新たな学びと評価への挑戦-」で次のように述べています。
「人は一度「分かった」つもりになると、それ以上深めようとはなかなかしない。しかし、他者との相互作用によって次の問いや疑問になる「分からない」が生まれ、継続的に知識創造活動が続く学びになる。」
一度、自分の中で納得し、分かったつもりになったことを再度、見つめ直すためには他者の存在が必要になるということです。
教師間での同じことが引き起こればいいのになと思います。しかし、これまた簡単にはいきません。
教師は、批判されると、どうしても主語が自分になってしまうからです。「あなたの指導が悪い」「あなたの授業がよくない」など、自分が批判されていると受け止めてしまい、壁を作ってしまいます。そんな気持ちで伝えているわけではないのですが、そのように受け止められてしまうことも多いのではないでしょうか。そうなると、もう、歩み寄ることができなくなり、こちらがあきらめてしまいます。
では、どうしたらいいのでしょう・・・
私は、やっぱり子どもの学びの姿で共有することがいいのではないかと思っています。
同じ授業を見て、子どもたちの素敵な学びの姿を共有し、この学びがどうして起きたのか、どうすえばこのような学びを引き起こすことができるかを一緒に考えていくといいのではないかと思っています。
子どもの学びの事実をもとに語り合うこと、これが教師間の「観」の違いを埋めていくために不可欠なことなのだと思います。
引用参考文献
学習科学からの視点-新たな学びと評価への挑戦- 益川弘如(静岡大学大学院教育学研究科)
子どもの主体的な追究と学びを実現する授業の要件(1)2016 平野朝久 東京学芸大学紀要
note 無意図的に引き起こった学びを意図的に引き起こすには・・・第101回e-cala cafe 村山豪
note 枠組みや経験則を変容させることが難しい理由 村山豪