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20198.13 神戸・元町 / 去年の個展の写真

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今日も天気が悪くなるようですな。

昨日は雨が降ってたので撮影を中止して自宅で待機。


今日は少々天気が崩れても撮影に行く予定。

朝の7時の段階で今の所、雨は降ってない。


今日はペンタックスQとホルガレンズでスクエアで撮影するつもり。

天気も悪いし真面目に撮っても仕方がないし。

そもそも真面目に写真なんか撮ってないのだけども。


ペンタックスQとホルガレンズでスクエアの組み合わせで前回に撮影したのが去年の8月13日だったことが判明。

この時期、神戸の元町で個展をしてましたね。

そして8月13日は自分の誕生日でもあった。


ペンタックスQとホルガレンズでスクエアの組み合わせでの撮影はもう一年近く撮ってなかったのか。

そのことに驚いた次第である。


そうそう今日アップした写真は個展で展示中の自分の作品をペンタックスQとホルガレンズでスクエアで撮ったもの。

カラーで撮影したものだけども、モノクロ変換した。


作品は古写真の複写物なのだけども、その複写物の作品をさらに複写して記録した。

こういう行為に自分は「写真」というものをリアルに感じるのだけども。

そもそも「写真」というワードには対して意味がないことは自分はすでに知っている

たんなる行為を表す言葉なのだと思う。

どうでもいい話だけども。


しかし、気のせいだろうか。

昔の写真ってとても重鋳物が写ってるように見えてしまうのは自分だけだろうか。

今みたいにカジュアルに写真を撮る時代ではなかっし、人生の節目の特別な時に昔は写真を撮ったものだし、写ってる人の表情とかが硬く写り込んでからかそう見えるのだろうか。

カジュアルなものってなかなか作品ヅラしないのもそのあたりが関係してるのかも。

昔の写真って写真館で撮られてるものが多いし、背景がシンプルなので人物がクローズアップされるからまた違って見える。


最近のスマホで撮られた写真って日常生活で撮られたものが多いから、背景はごちゃごちゃしてるけども。

背景がシンプルっていうのも重要な要素かもな。


古い写真を複写に複写を重ねて行くとオリジナルが薄れて行くと思うのだけども、それって数百年前の楽譜を演奏する行為に似てるよな。

数百年前の楽譜って言っても実際の音源が残ってないので、実際にはどのように演奏されてたのかは細かいところはわからんわけで。

最初に演奏されたオリジナルの楽譜が時を経て、演奏され続けてるうちにオリジナルがうすれていく。

複写の写真にもそれが言えると思うよ。

考えてみたら12音階で作られてる音楽って楽譜で複製ができるのよな。

今のじだいだったら楽譜で複製を作らなくても、音源のデジタルデーターをパソコン上で簡単に複製は作れるしなぁ。

デジタル写真もそうだけども。



さて、今日もラリー・カールトンの曲を聞きたい。

ラリー・カールトンのこの曲も好きだ。


「Kid Gloves」というアルバムに入ってる曲だ。


このアルバムを出した後からラリー・カールトンがブルースに回帰して行くのよね。


やっぱり上手いなぁ、ラリー・カールトン。


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