中津の佐伯祐三生誕の地に行ってきた 「SAEKI」
はぁ、今日は仕事。
ちょっと憂鬱。
月火水木は4連休で舞鶴に行ってました。
その時の写真はまた改めて投稿します。
さてさて、昨日は次の仕事の面接に行ってきました。
来週の火曜日に職場見学とのことなので、とりあえず職場見学のあとに採用か不採用かわかるようです。
特に自分が職場見学で実際の仕事を見て断ることがなければ、そのまま仕事が決まりそうです。
今のところほぼ決まったような形ですが、今の仕事と違って自分ができる仕事だったらよいですね。
一昨日に舞鶴からの帰りの高速バスの中で急に画家の佐伯祐三のことを思い出した。
本当に急に思い出したのですね。
自分は佐伯祐三の絵が好きで、以前から佐伯祐三のパリの街の絵のような写真を撮れないものなのかよく考えたりもした。
そして今回、急に佐伯祐三を思いだしてやっぱりまた同じことを思いました。
自分は絵描きではありませんが、やっぱり佐伯のパリの絵は魅力的です。
で、今回は実際に佐伯祐三を意識した街の写真を撮ってみようと思い、昨日は大阪の街に出て写真を撮ることにした。
佐伯祐三の絵のフォーマットはだいたい4:3くらいのフォーマットですね。
縦に描いた絵も多く、縦の場合はどっしりした縦の絵になります。
なので、自分が佐伯祐三の絵を意識して写真を撮るにあたって選ぶ機材は4:3で撮影できる機材を使うことでした。
4:3で使用できるカメラっていうとコンパクトデジタルカメラかマイクロフォーサーズになりますね。
自分はコンパクトデジタルカメラを使用することにした。
使う機材を先に決めてしまったほうが撮影時にも迷いがなくなるので、使用するカメラはニコンのクールピクスP7100、もしくはキヤノンのパワーショットG12のいずれかを使用することにした。
どちらのカメラもコンパクトデジタルカメラだけどもRAWで撮影できるしズームレンズです。
そしてセンサーサイズは1/1.7インチです。
両方のカメラともにコンデジの割には画質はとても良いので、佐伯祐三を意識た写真を撮るにあたってちょうどよい機材かなって思ってます。
マイクロフォーサーズを使用することも考えましたが、そちらのほうが写真画質過ぎて自分的にはイメージに合わないのですね。
時々、突然に佐伯祐三熱に自分は襲われるのですが、ちょうど再来週は東京行きの予定があるので、おそらく東京でも佐伯祐三を意識した写真を撮ることになるだろう。
なぜなら東京の新宿の下落合には佐伯祐三のアトリエの記念館があるので、下落合近辺をP7100かG12で撮ろうかと思ってます。
下落合というと昔、佐伯祐三がアトリエを構えて住んでいたそうです。
そしてこの辺りを描いているんですね。
佐伯祐三といえばパリの絵ですが、日本を描いた数少ない作品の中に下落合の一連の風景の作品があるのです。
その当時描かれた下落合は田畑があったりですが、今の下落合は閑静な住宅街です。
当時の面影はありませんが、それでも下落合近辺を散策して佐伯祐三の風景を探して見ようかと思ってます。
さて、さて昨日は自分はP7100を持って梅田界隈から中津近辺まで歩きました。
当然、佐伯祐三の絵を意識した写真を撮ろうと思って。
そして今日投稿した写真はその時に撮った写真です。
佐伯祐三の絵とはほど遠い写真になってしまいました。
そりゃ当然でしょう。
ここは日本です。
それも大阪。
時代も全然違います。
なので佐伯祐三が描いたパリのような風景は当然ありません。
現在のパリにもおそらく当時のパリの面影もほとんどなくなってると思いますが。
で、自分が佐伯祐三の絵を意識した写真を撮るにあたってできることっていうと、「佐伯祐三が現在生きていたらこういう場所を描くだろうな」、「佐伯祐三が現在に生きてたらこういう場所で写真を撮るだろうな」ということを想像して撮ることですね。
「佐伯祐三が現在生きていたらこういう場所を描くだろうな」、「佐伯祐三が現在に生きてたらこういう場所で写真を撮るだろうな」、「でも、自分だったらこう撮るな」っていうのでなくて、そのまま「佐伯祐三が現在生きていたらこういう場所を描くだろうな」、「佐伯祐三が現在に生きてたらこういう場所で写真を撮るだろうな」を実行するだけです。
写真を撮る時に自分を排除して「佐伯祐三の目」になって撮ることに徹することなのですね。
自分は昨日ずっとそれを意識して撮影してました。
佐伯祐三の絵と同じような被写体を探して撮るっパロディみたいになってしまうし愚の骨頂のように思えてしまうわけで、それだったら「佐伯祐三の目」になって現在の大阪の街と対峙すれば良いのだと結論したわけです。
佐伯祐三のあの一連のパリの絵ですが、あの当時のパリが描かれてるのですね。
デフォルメされて描かれてるとはいえ、佐伯祐三がリアルタイムで見たパリがそこに描かれてるのです。
なので、自分ができることって「佐伯祐三の目」になって現在の大阪の街を撮るってことです。
大切なのは自分を排除することだと思った。
「竹村稔の目」ではなく「佐伯祐三の目」になりきること。
当たり前だが別人の目になれるはずがありません。
そこは妄想の範疇ですが、それでも「佐伯祐三の目」になって撮ること。
佐伯祐三の風景って作為的な構図ってないですよね。
けっこう自然な構図です。
特徴は画面いっぱいに建物とかを描くことが多いですね。
「佐伯祐三の目」になるのに佐伯祐三の絵を知ってないとなれないので、撮影するにあたって特徴だけは把握しておかないといけない。
昨日は撮影途中に北新地のジュンク堂に立ち寄って佐伯祐三の画集を眺めたりしてイメージを頭の中に叩き込んだりした。
今の時代はネット検索すれば佐伯祐三の代表作が多々検索されます。
時々ベンチに座ったりしてスマホで検索した佐伯祐三の画像を見てイメージを頭の中に残すようにした。
そして佐伯祐三熱に冒されるといつも行きたくなる場所がある。
それは中津の佐伯祐三の生誕の地です。
佐伯祐三の実家が中津のお寺なんですね。
確か最初ここを訪れた時に幼稚園があったような・・・・
そして入口の「佐伯」と書かれた表札を見た時に、佐伯祐三本人がすぐそばに居るような不思議な感覚になったのを覚えてる。
その後にもここには何度か訪れてるのですが、その度に不思議と佐伯祐三本人が直ぐそばに居る感覚になるのですね。
そして「撮れ、撮れ」ってどこからか声が聞こえてくるのですね。
幻聴のように実際に聞こえるような感覚でなく、頭の後ろのほうから「撮れ、撮れ」って声が浮かび上がってくるような感覚です。
実際に「撮れ、撮れ」って聞こえるようだったら自分は病院に行かないといけませんが、「撮れ、撮れ」って聞こえるのは思い込みのようなものなのでしょうね。
「撮れ、撮れ」という言葉に一時的に佐伯雄三を意識して撮ったりもしてたのですが、今回のように具体的に機材を選んでテーマにしようとは思ってませんでしたが、今回ばかりは「佐伯祐三の目」になって撮るってことをテーマにして今後も継続的に撮って行くことを誓った次第です。
実際ずっとこればかり撮るってわけにいかないので、定期的に「佐伯祐三の目」になって撮るってことは今後は続ける予定です。
このテーマで撮った写真を最終的にまとめて作品にするとしたらどういうタイトルが良いだろうかって、撮影しながら考えてた。
そして「SAEKI」ってタイトルがいいな、って思った次第です。
で、自分はこの一連の撮影で撮った大阪の街の写真を「SAEKI」ってタイトルでnoteにこれから投稿して行こうかと思ってます。
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