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三国志武器物語 青龍偃月刀

佐々木小次郎の物干竿、水戸黄門の印籠、孫悟空の如意金箍棒など、物語に出てくる人物たちはシンボルともいえる持ち物を持っていることがよくあります。
日本で最も多くの読者とファンを持っている中国文学といえば『三国志演義(以下:『演義』)』ですが、この物語に登場する武将たちもこの例に漏れません。

『演義』は紀元一世紀後半から約百年間…中国が3つの国に分かれた時代…三国志の時代の史実をもとに、それから千数百年を経た明の時代に成立した物語です。日本でいえば史実としての三国志の時代は邪馬台国で卑弥呼が女王だった頃。歴史の教科書にも出てくる『魏志倭人伝』は歴史書『三国志』のなかにある倭国に関する部分を抜き出したものです。
『演義』が成立した明の時代は室町時代から織田信長や武田信玄が活躍した戦国時代に相当します。
民間の伝承・伝説や講談などの演目として脚色を経て、史実をベースにしながらフィクションを採り入れ物語の面白さを創り上げた『演義』。その内容は「七実三虚(7割が史実で3割がフィクション)」といわれています。色々な評価はあると思いますが、史実の大筋を崩さないで面白い物語を作るには絶妙なバランスだと思います。

先に挙げたとおり、史実としての三国志の時代と、『演義』が成立した明代の間には千年以上の時間的な隔たりがあります。織田信長の時代のひとが、邪馬台国について「七実三虚」の面白い物語を創ったと考えたら、なんとなく雰囲気は伝わるでしょうか。現代日本を基準にすると、私たちが平安時代の藤原氏なんかの物語を書くようなものです。

『演義』は歴史書ではありません。史実をベースにした歴史物語です。時代考証がないことはありませんが、民間で人々に膾炙しているイメージを大切にしています。
例えば、火薬が『演義』でも一番の見せ場である赤壁の戦いなどで当たり前のように出てきますが、当時は存在していません。明代では火計に火薬を用いることは当然であり、そのまま『演義』で出てきても、人びとはすんなりと受け入れたわけです(そもそも三国時代に火薬がなかったことを知らなかったかもしれません)。

前置きが長くなりました。『演義』にはシンボル・代名詞ともいえる武器を持っている武将たちがいます。実は、その多くは火薬と同じように当時は存在しないものです。今回は、彼らの武器についてのお話を書きます。

もちろん、『演義』に書かれている「三虚」を責めて、物語を貶めるような意図はありません。私自身も小学生の時に、お小遣いを握りしめては少しずつ横山光輝の『三国志』を買い揃え以来、現在に至るまで史実としての三国志はもちろん、『演義』のファンです。この作品との出会いをきっかけに中国の沼に足を踏み入れ、大学では学部・修士と中国史を専攻することになったほどです。

自分自身の経験として、歴史としての三国志を知ると『演義』も、より深く楽しめると感じています。また、西洋の武器とはまた違った味わいを持っている中国の武器の魅力も知ってほしい。史実と武器という切り口から、より楽しく『演義』を読むきっかけを提供できればというのが本稿の目標となります。

繰り返しになりますが『演義』の虚にツッコミを入れることは目的ではありません。日本の大河ドラマや時代劇でも史実とは違った演出の部分にツッコミを入れるような歴史家・歴史ファンもいますが、物語は物語です。
江戸時代を舞台にしているのにミサイルやスマホが出てきたら流石にダメですが、印籠を持っていない水戸黄門なんて水戸黄門じゃないですよね。時代考証を厳密にしたら関羽は青龍偃月刀を取り上げられてしまいます。そんなことは歴史家による学術的な研究に任せておけばよいのです。

関羽はやっぱり青龍偃月刀を引っ提げて、赤兎馬に跨がる姿が一番サマになります。

青龍偃月刀 〜大刀の華形〜

西洋でいうところのポール・ウェポン(Paul Weapon)…すなわち長い柄(Paul)の先に、主に金属製の刃や打撃用の重りをつけた手持ちの武器を長兵器、または略して長兵と呼びます。
青龍偃月刀は長兵器のなかでも、幅の広い刃をつけた大刀と呼ばれる種類に分類されます。Halberd と英訳しているものを見たことがありますが、実態としては Glaive の方が近いです(Halberd は中国の武器でいえば戟の方が近いです)。この大刀というのは日本の武器でいえばイメージとして薙刀が近いでしょう。

大刀と呼ばれる種の武器は戦場の華形ともいえるのですが、史実として登場が確認できるのは三国志の時代から数百年を経た宋の時代以降。軍隊の重装化が進み、それに対抗するために攻撃力を高め、進化していった武器です。
火薬と同じく、三国志の時代には存在していなかったものの、登場人物たちのイメージを際立たせるのに絶好のアイテムであります。

三国志の時代には存在しなかった大刀ですが、『演義』ではこの種の武器を得意とする武将が出てきます。なかでも青龍偃月刀を得物に屹立する関羽の姿は「これぞ三国志!」といってもよいほどの華と説得力を持っています。
大刀としての偃月刀は、その名のとおり偃月を象ったような反りのある幅が広く分厚い刀身が特徴。また、石突の部分も刺突に使えるような突起がついています。他の大刀と比べると柄の部分が短い分、刀身が大きくなっています。非常に映える武器です。

関羽の愛用する偃月刀は、刀身と柄の間に龍をあしらった装飾を持つことから青龍の名がついています。桃園結義のあと、劉備三兄弟は豪商をスポンサーに得て、軍資金、糧秣、軍馬とともに武器の材料となる金属の提供を受けます。関羽がその金属で作ったのが、この青龍偃月刀です。
『演義』の記述ではその重さは八十二斤。三国志の時代に換算すれば約18kg、『演義』か生まれた明代に換算するとなんと50kg近い重さとなります。『演義』の作者がどちらを想定したのかはわかりませんが、どちらにせよ超重量武器であることは間違いありません。刃をもって斬るというよりも、重量に任せて叩き斬るという表現がピッタリきます。

こんな武器を振り下ろされたら、たとえ鎧兜に身を固めていようと、手持ちの武器や盾で受け止めようとも、無事ではすみません。こんな武器を引っ提げて数々の武将を倒してきた関羽こそは三国一の猛将。まさに軍神といえるでしょう。

史実としての青龍偃月刀

では「七実三虚」の『演義』に登場する、この青龍偃月刀は実在の武器なのでしょうか。

答えはイエスです。

その重量からして信じがたいですが実在する武器です。但し、その重量から儀仗や演舞などに用いられることが専らで、実戦用の武器ではありませんでした。
実戦では刀身を細くして装飾を省いた眉尖刀(眉のような形の刀身からついた名前。日本の薙刀とほぼ同じ形です)や、刀身を軽量化した分の攻撃力不足を補うために刃の背に鎌状の突起を施した鈎鎌刀が用いられました。
重すぎるという理由で実戦では使えない武器を軽々と振り回す…このことは関羽の強さを強調し、その武威を高めたに違いありません。『演義』にみえる巧みな演出のひとつです。

先にも書きました。何度も繰り返しますがフィクションであろうとも関羽にはやはり青龍偃月刀がなければ画になりません。関羽といえば赤兎馬に青龍偃月刀。このふたつのアイテムは水戸黄門の印籠のようなもので、歴史考証を超えた軍神の象徴です。

三国志の枠を超える軍神の象徴

『演義』と並び称されることも多い『水滸伝』。
この作品は三国志の時代から数百年後の宋の時代を舞台としています。108人の豪傑が梁山泊という山の砦に集まって大暴れする痛快な武侠小説です。

この108人のなかに関羽の子孫という関勝がいます。
『水滸伝』では登場人物の特徴を際立たせるために、主要な人物には渾名(二つ名)がつけられています。

我らが関勝の渾名はズバリ「大刀」です。祖先と同じく青龍偃月刀を得物に敵を蹴散らす猛将として描かれています。得物がそのまま彼の特徴を表す渾名となっているのです。
『演義』で関羽のファンになった当時の中国の人びとは『水滸伝』で、彼の子孫が出てくる。偉大なる祖先と同じ青龍偃月刀を振るう。実に小憎らしい演出です。

さて、この関勝は同名の実在する人物をモデルにしています。モデルとなった関勝は大刀使いであったことは事実ですが、関羽との血縁はありません。同じ関姓の大刀使いということで、関羽の末裔という設定をなんの違和感なく組み込んでしまう『水滸伝』の巧さです。

『水滸伝』には他にも『演義』の登場人物に関わりがある豪傑が出てきます。呂布に憧れ、小温侯(温侯は呂布の爵位)の渾名をもつ呂方です。講談などに出てくる呂布と同じ武器・鎧兜を身に纏う…今風にいうならばコスプレ武将で、流石に呂布ほどの武威はありませんが、主人公である宋江の親衛隊長として堅実な活躍します。

『演義』ファンが『水滸伝』に呂布のコスプレ武将が出てくるのをどのように受け容れたかはわかりません。
「おいおい、あの呂布に憧れる豪傑だってよ、面白ぇじゃねぇかい」
「コスプレ武将じゃねぇか。こいつは一体どんな活躍するんだ?」
こんな会話で盛り上がったのではないでしょうか。
物語と物語がクロスする楽しみです。ちなみに関勝とは違い、呂方は実在のモデルはいません。

「七実三虚」といわれる『演義』と比べると関勝や呂方の例をみてもわかるように『水滸伝』は荒唐無稽な描写、フィクションが多いです。
しかし、108人の豪傑のなかには実在の人物や、歴史上の人物をモデルや先祖にしたりと、『演義』と比べると無茶苦茶なところもあります(そのカオスな感じも『水滸伝』の魅力です)が、夢とロマンに溢れた作品です。

関羽の子孫、呂布のコスプレ武将が出てくるというだけでも少し覗いてみたくなりませんか?

関羽☓青龍偃月刀☓張遼

青龍偃月刀から話が逸れましたので戻りましょう。
現代日本における三国志作品でも青龍偃月刀はある名将を通じて、関羽の影響力を演出するためのアイテムとしての役割を果たしています。

その名将の名は張遼。

呂布の配下として登場し、曹操に降って後は、彼の軍を代表する名将として活躍。その強さたるや、張遼に散々痛い目に合わされた孫呉ではグズり泣く子どもに「(泣き止まないと)遼来来(張遼が来るぞ)!」といえば、恐れ慄いて泣き止んだというほどでした。泣く子も黙る猛将です。

『演義』で関羽は呂布配下の張遼と出会い、呂布が敗れたことで処刑されそうになったところを関羽のとりなしで赦されるという場面があります。その後、劉備が曹操に大敗して生死不明となってしまったことで玉砕しようとする関羽を説得し、曹操に降伏するよう説得したのが張遼でした。
歴史書の『三国志』にも親交があったことが書かれており、関羽が曹操に降っていた時期に馬を並べていたふたりは「兄弟」と呼んだことが記録されています。

日本の三国志作品に絶大なる影響を与えたふたつの作品で関羽☓青龍偃月刀☓張遼というリンクをどのように演出しているか、ご紹介しましょう。

ひとつめは王欣太の『蒼天航路』。

それまで日本では専らラスボスとして扱われ続けてきた曹操を主人公に据え、以降の三国志作品の描かれ方に大きな影響を与えました。どことなく『北斗の拳』的な世紀末感が漂う雰囲気がありますが、従来の「蜀漢=善」「曹魏=悪」という構図に真っ向から挑んだ快作です。
飛躍しすぎた史料解釈も少なくないですが、儒教に対する曹操の態度の描き方はなかなか面白いです。
連載当時はネオ三国志と銘打たれていましたが、その名に恥じず、日本の三国志作品の新しい門を開いたマンガだといっても過言ではありません。

この作品で張遼が愛用するのがなんと青龍偃月刀。
昔、呂布と一騎討ちする関羽を見て「この青龍(偃月)刀を選んだ」というセリフは非常にアツいです。両者の得物が青龍偃月刀ということで、関羽☓張遼の揃い踏みをより一層ドラマチックに盛り上げてくれています。

もうひとつの作品はテレビゲームの「真・三國無双」です。歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」「三國志」で有名なコーエーのアクションゲームです。
三国志の武将を操作して文字通り戦場を駆け回り、何百人、何千人もの敵兵を薙ぎ払う爽快感がウリの人気シリーズ。ひとりで大活躍することを「無双する」ということがありますが、その語源ともなっています。選択できる武将の数は数十人にも及び、お気に入りの武将になりきって、三国志の有名な戦争に「参加」できるというゲームです。
ゲーム故の誇張はご愛嬌。武将によってはキャラクター描写には賛否両論ありますが、この作品の描写が日本の三国志作品に与えた影響は大きいです。
何よりもアクションゲームというかたちで三国志ファンの間口を大きくひろげた功績は計り知れません。

さて、関羽はもちろん、張遼も「真・三國無双」の第一作から操作武将として登場しています。関羽の武器はもちろん青龍偃月刀。一方の張遼の武器はゲームシステムが変わる第4作まで青龍鈎鎌刀です。

先にも少し触れた、重すぎて儀仗や演武にしか使えなかった青龍偃月刀を、実戦でも使えるように軽量化した鈎鎌刀(こうれんとう)。これに青龍偃月刀と同じく青龍の装飾をあしらった鈎鎌刀…青龍鈎鎌刀が張遼の得物です。

歴史書はもちろん、『演義』にも張遼が鈎鎌刀を愛用した記述はありません。そんななかで青龍偃月刀の兄弟ともいえる鈎鎌刀をあてがったのは絶妙な選択です。ゲーム中でも描かれる互いを認め合うふたりの姿と青龍の名を冠する大刀の兄弟。
『蒼天航路』のように関羽をみて張遼がこの武器を選んだという明確な描写こそないものの、愛用の武器を通じてふたりの絆を感じさせてくれます。

物語を彩る武器はまだまだある

『演義』にはまだまだ有名な武器がいろいろ出てきます。張飛の丈八蛇矛、呂布の方天画戟、劉備の双股剣、典韋の手戟・双鉄戟、程普の鉄脊蛇矛、黄蓋の鉄鞭、王双の流星鎚などなど! 個性がきらめく武器の数々と、さあ次の武器へといきたいところですが、思った以上に青龍偃月刀の話が膨らんでしまいました。

読まれる方も長い文章に付き合い、お疲れかと思います。今回はここで時間いっぱい。次に出てくるのはどんな豪傑のいかなる武器か。

またの機会をお待ちくださいませ。

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