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医療業界:コントロールされる集団的意思


初めに

 医療従事者というものは、基本的に自己犠牲の意識の高い人が多いように思います。一人一人の行動は、目の前の患者を助けるために行われ、人によっては給料とまったく見合わない労働量であったとしても、その達成感などから、たとえ常軌を逸した環境のなかであったとしても、本人達は意外に満足して生活を送っていたりします。ナルシズムとまではいかないにしても、単純に自身の英雄的行動に知らぬ間に満足しているような事態、最低でも日々の生活で積もっていく不満を解消する手段となっているような状況になっていることから、めちゃくちゃな自己犠牲を行ったとしても自我が保たれていることがその実態かもしれません。だからといって、自己犠牲をやみくもに行っていれば、それは最終的に自己矛盾に陥って自暴自棄になりかねないわけで、なんらかの指針やらガイドライン、そして指導者というか最低限まとめ役がいないと、全体の方向性はあらぬ方向に行きがちなのだと思います。

全体行動をコントロールするには

 こういった非現実的な状況というのは、いい状況で確立されていれば社会にとって極めて有益であるのですが、その根本は無意識であるがゆえに、恣意的な介入に対して、ときに極めて大きな影響を受ける可能性があります。第2次世界大戦中の実験で、 アメリカの食習慣委員会 (the Committee on Food Habits)がおこなった、食糧不足が懸念される中でたべ慣れない内臓肉をいかに食べさせるか を課題とする研究があります。その 委員会のメンバーには,文化人類学者のMead, Mや社会心理学者のLewin, K.といった人物が含まれていた非常に有名な研究です。その研究においては、単に指図されることよりも、集団的合議がメンバー内での行動変容を促すことが証明されました。それは食事の専門家だけではできなかったことが、心理的な前提条件を満たしてあげるようなことを心理学などの別分野の専門家が助言してあげるだけで、望むような行動を起こすことができた証明でもあります。逆に言えば、集団的合議を恣意的に形成することができれば、集団の行動変容をコントロールすることは可能ということになります。治療のガイドラインに基づいた議論というのは、これと非常に似ている部分が多いように感じます。とくに投薬における意思決定は、COIで固めまくったエビデンスに基づく議論を集団的合議として見誤らせれば、それによってコントロールができるということもできますし、コントロールする意図をもってマーケティング戦略をおこなえば、疲れ切って思考停止した医者なんぞは簡単に望むように動かすことができると思っている人たちがいるはずと考えます。

医療において問題となる集団的行動は?

 そんななかでもっとも問題となるのは、自然発生的に生じる罪悪感に乏しい集団的合議から始まる集団的な異常行動ではないかと考えています。投薬でないにしても、忙しい状況にある人間たちは、その高揚感だけで動いて思考停止していることもあるのですから、コントロールしやすい状況にあるといえます。
 では、ここで投薬に話を戻してみましょう。ガイドラインは、提示されるそれぞれの条件下におけるしっかりとした臨床試験の結果をもってガイドラインに掲載されているのですが、ガイドラインに載せるという行動自体は全く問題ないにしても、その治験の段階からガイドラインにどうやって載せさせるのかという戦略があること自体が本来は問題だと考えます。結局、集団的合議を恣意的に誘導するわけで、やっていることは自律的意思決定のように見せかけたマインドコントロールといわれても仕方ないのかもしれません。ただ、これはよく状況を把握することに注力すれば、患者さんに不利益にならないように立ち回ることは可能であると思います。

医薬品業界と医療業界の分断がおこっている?

 では、話を医薬品業界と病院界隈との関係にしてみたいと思います。たとえば2023年4月の薬価中間年改訂は、保険診療の枠組みの中で医薬品業界だけを悪者にしたというところがきわめて大きな問題といえます。保険診療のなかで、本来医科と薬科は一蓮托生であって、お互いが協力すべき立ち位置にあるはずです。ところが、2023年の薬価改定でとんでもない薬価引き下げとなってしまった医薬品業界では、怨念ともいうような感情がうごめいているように伝え聞きます。2024年の診療報酬改定で医科の点数にほんの僅か色がつきましたが、薬価は予想通りの1%削減で、今後医科との協力関係は医科のほうからなんらかの形で歩み寄らない限り、おそらく完全に解消してしまうように思います。この怨念のような個々の感情は人間として当然の感情で、後発品メーカーがバタバタ倒れて、生きている医薬品卸の利益率が2-3%かそれ以下、とかみると、2023年の5%の薬価引き下げが とんでもないダメージとなるわけで、「なんとか怒らないで聞いてください。」とかいう態度で説明したとしても、手足の1,2本なくなっても文句は言えないよね、というような暴言を吐かれてもしかたのないように思います。ただ集団的な怒りの矛先は、とりあえずは厚生労働省に向かうとしても、怒りのやり場は各方面に広がっていきます。もちろんある程度の怒りののちに、状況の再確認と許容というモードに入っていくことでしょう。ただ、そうはいっても、病院界隈の人間とこれ以上うまくやっていこうなんて気にはさらさらなりませんし、2024年4月の診療報酬改定で医科の点数が優遇されたこともあり、当然、なんだかなあということになります。かなり控えめに考えても医科と薬科は2023年の中間年改訂を境に分断されてしまったという印象があります。ただ、これが政府、または厚生労働省の作戦とするならば、相当のブレインがいるように思います。

政府はいつもフェイス・イン・ザ・ドア

 2023年の中間年薬価改定においては、厚生労働省は大規模なフェイスインザドア戦略をもちいて、製薬業界の切り崩しをおこなったように感じています。それはいろんな意味でうまく働いたように思いますが、さらにその先に医科と薬科の協力体制の分断までみすえて、業界全体を相手にしながら心理戦を仕掛けてきているとしたら、それはもう完全に戦争状態と考えなくてはいけないかと思います。別の見方でいえば、中間年改訂を厚生労働省が無邪気に行ったのであれば、はっきりいってあまりに思慮に欠けた行為で、今後の医療行政にきわめて大きな禍根を残したと考えてもらわなくてはいけないと思っています。
 
 医療従事者というのは、医薬品業界まで全部ひっくるめて基本的には本当に善人と思います。国家のため、国民のためにはたらくことを基本的には是と考え、その努力をおしまず日常を暮らしています。ただそれらの人間たちを恣意的にコントロールすることで社会が成り立っているとすれば、それは早いうちに正していく必要があるように感じます。


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