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竹美映画評40 もう一つの「Make America Great Again」『ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌』("Hillbilly Elegy"、2020年、アメリカ)

最初この写真観て、「グレン・クローズとエイミー・アダムスが熟年レズビアンカップル役で出て来るのかなあ」なんて思ったの私だけじゃないと思うぞ。

90年代にオハイオ州の低所得層白人(いわゆるレッド・ネック層)家庭に生まれた少年J.D.ヴァンス。14年後にエール大学のロースクールで学んでいるところ、故郷に住む姉リンジーから「お母さんがヘロインの過剰摂取で入院した」という知らせを受け、急いで故郷に帰る。

J.D.は従軍経験もあり、お国のための立派な肩書きを手にするまであと一歩のところまで来ている好青年である。でもね、階層を飛び越えてきた人の心は少し屈折しているよ。彼の恋人ウシャ(フリーダ・ピント)は、インド系出身で、ロースクールのエリート学生。彼女は、大事なインターンの面接を目前に実家に戻った彼を心配しているが、J.D.は「どうせ知りたくもないだろ」と彼女の好意をはねつけるのだ。恋人や友達に対して普段は隠しているコンプレックスがじわっと心の表面に出て来るときのいやーな気分、苦しいね。好きな人の何気ない助言にさえ、憧れを感じたり、愛しながら憎んだりする。冒頭の食事会のシーンにあるように、アメリカは上に行ったら行ったでサベツが待ち構えているのだ。

J.D.の祖母(グレン・クローズ)は夫とは別居しているのだが別れてはいない。そこが面白い。恐らく彼女の少し上に当たるアメリカの50年代は「古き良き時代」と言われもする。しかし、マイケル・ギルモア『心臓を貫かれて』では、50年代当時の中流の人々が「家族」という形しか知らず、無理して家族を維持しようとする様がゴシックホラー感満載で描かれる。そして、そのひずみが70年代にどう出たかという脈絡で読むと、この本はもう一つの『ヒルビリー・エレジー』なのかもしれない。

恐らくマイケル・ギルモアの世代である本作の祖母が若いうちに夫を制圧した勇気こそが、その世代には新しく、必要でもあったのだろう。

ところで、祖母のキャラは、アリソン・ジャネイがオスカーを獲った『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』(2017年)の母親役に通じる。何というか…個人的な経験から言えばおじさん化したおばさんは自己俯瞰力が弱く、力を持つと性質が悪いおじさん的な下品さを「世界対あたし大戦」という女性的な妥協の無さでやってみせるからかもしれない。世代的に考えても、J.D.の母親ベヴ(エイミー・アダムス)は、鬼母の犠牲者トーニャに近い。次々に男を乗り換え、後に処方薬やヘロインの中毒患者となり、気まぐれに子供を叱ったり優しくしたりする…確かに問題があるのだが、彼女は自分自身のことを諦めきっているのである。

本作では、応援して味方になってくれる誰かが必要だと何度も言及される。幼くしてグレ始めていたJ.D.を「あたしのところに残るか出ていくかは自分で決めろ」と突き放す鬼の形相の祖母。下手すると単なる毒オバジで終わったかもしれない祖母である。祖母が、クラスで一番を取ったJ.D.のテストの答案を見るときの反応には、私も緊張した。その反応一つでJ.D.の人生が変わってしまうから。母娘の葛藤を描きはしないが、ベヴはおそらく祖母の生き様の犠牲者であろう。ただ、この祖母はそれを人生のどこかで悟ったように描かれているのが救いだ。そうでなければ物語としては後味が悪い。

小さな物語への共感と励ましが、アメリカを再び偉大な国にする。本作に表現されたような貧困層白人の票を集めたとされるトランプ大統領のスローガンは「Make America Great Again」(アメリカを再び偉大な国に)であった。本作はその空虚なスローガンをなぞりつつ、前向きな意味合いも与えているように思う。一連の出来事の後、J.D.は「実は今まで話さなかったけれど…」と自分の家族の歴史を電話でウシャに語ると、彼女は「私の父も、この国に身一つでやってきたの」と返す。白いアメリカ人と、移民のアメリカ人が小さな家族の苦闘の物語を以て共感し合い、彼らが結束することこそが、アメリカの国力の源となるというメッセージとして読むのも面白いかもしれない。

さて、それはアメリカ人の物語。私は、少し前に会社という組織から離れてみて、不適応の自分を再確認し、シャカイ嫌いの被害者物語に傾き、この20年間程の「パヨクリハビリ」も虚構だったのか…と自分の人生を諦めかけていた。やっぱ根っこがパヨクだからさ。でも今日の映画を観て、Twitterでつまらない御託を垂れ流す私の延長線上に、J.D.に救いの手を求めるベヴの姿が重なった。

竹美さん、頑張る以外あんたのやることは無いんだよ。ベヴの苦しみをこれっぽっちも分かっちゃいないあんたが何を言うんだい。励ましならいくらでも、沢山の人からもらっているじゃないのさ!

本作は、シャカイに幻滅し、久々にパヨクマインドに覆われそうになった私に、パヨクの天敵である米帝の映画として、「自分を諦めるんじゃないよ!」と喝を入れてくれた。だから今私はこうしてまた、諦めない一人の人間として、家の硬い椅子に座って何かを書いている。

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