見出し画像

アデイonline再掲シリーズ第十一弾 おばちゃんの深情け映画~「ボルベール~帰郷~」("Volver”、スペイン、2006年)

母と娘の関係については、結局自分の周りから窺い知るものが全てになってしまうんだけど、この映画を何度か観て、自分の姉と母の関係、特に姉から母への疑問、恨みと愛、尊敬などなどの様々な思いの絡んだ感情について考えるようになった。決して関係がよかったとは言えない二人のことを考えると、本作は残酷なまでに現実には起こり得ない、人によってはひどいファンタジーだと思うかもな、と思う。

私はゲイだからこそ、母と娘の何かを内側から理解することは無いが、そこから距離をとって眺めることができるのだろう。お互い、姿の見えていないところでは思い合っていて、でもそれは簡単には解決しない、空かずの扉、最後まで見つからないパズルのピースである。ライムンダが『ボルベール』という、母から習った歌を歌うシーンは何度観ても胸が締め付けられる。映画の中でさえ、そのシーンでは、お互い会うことができない、お互い思い合ってることも知らないんだもの。

そして今は、全く思い合ってはいない親子の関係も現実にはあるし、離れていた方がいい家族もあると理解している。でもね、私達の家族もそうだったのではないかな。私達家族の生き残りは、母が病んで亡くなったことで、初めて繋がることができ、今の得難い関係を手に入れたのではないか?アルモドバルのおばちゃんファンタジーは、そのことも変な形で教えている気もする。

以下、本文。2017年に書いたはず。


世界的な映画監督ネエさんと言ってもたくさんいて、意見がまとまらないのですが、スペインのペドロ・アルモドバルさんを抜きには語れないでしょう。ちなみに、スペインと言えばもう一人のネエさん監督、反カトリック・パヨクのアレハンドロ・アメナバルさんも忘れてはいけないがそれは次回お話しましょう。


80年代初頭のスペインは、フランコ政権による権威主義的な体制が終わったばかり。当時のアルモドバルの映画「バチあたり修道院の最期」(1981年)には、あか抜けないマドリードの街が映し出されています。そんな地味で保守的だったスペインを、どぎつい色彩と、人間の欲望や暴力、歪んだ愛で表現し、何だか分かんないもん観たという作品を連発したアルモドバルさん。80年代半ばにEC加盟して勢いづいたスペインは、92年にはバルセロナオリンピック(マスコットであるコビーのアニメが製作され、その中で日本人は「出っ歯で吊り上った糸目」として表現されていました。えねえちけえで普通に放送してた)を経て、パヨクのサパテロ政権が同性婚をさっさと認めてしまうところまで来てしまいました。


かつて「マクドナルドのある国同士は戦争しない」と言われた時代(IT革命の頃よ!20世紀末)がありましたが、今や「同性婚認めている国同士は戦争しない」と言うべきでしょう。スペインが自由で明るい国に変わると、アルモドバルさんは見やすい作品を作るようになった気がします。


今回は、世間的には「女性賛美映画」と言われているらしい、おばちゃんファンタジー映画の佳作、「ボルベール」について考えてみたいと思います。母娘三代の確執と和解の物語だよ!


さて、彼の映画って、「おばちゃんの踏ん張り」がテーマの映画とそうでないのがあって、私には明確よ、彼が「男のぐだぐだ」を描く作品は全く面白くない! 彼の映画の中で、戯画化されていたり、或いは極端に理想化されていたりする女性の姿は、遠い存在だからこその憧れと愛情を以て描かれている。


十数年前の火事で母を喪ったライムンダは、娘パウラと夫パコと暮らしている働く母親。ある日、パウラがとんでもねえ事件を引き起こし、ライムンダの中で止まっていた時間が動き出す。そしたら、亡くなったはずの母が出てきたッ!? ぎゃー! あ、ホラーじゃないです。


劇中、ライムンダが「ボルベール」というスペインの歌を歌うの:どこかへ去った大事な人のことを待って田舎で生きてたら、もう20年経ってしまって老けた私、思い出に浸り、今日も涙にぬれる。このスペイン演歌をベースに、「世界対あたし大戦」の変奏形、「おばちゃんにも人の情けがあるんだ」が描かれる。


バイト先の古参パートのおばちゃんのキメ台詞「仕事はねえ、つらい思いして覚えて行くんだよっ!」で若造叱った後、一緒に飲みに行って人生諭すっていうやつに似てる…私も最近職場でそんなノリだ。でもさ、パヨクなんぞに人生諭されたら翌日会社来ないよね普通。


アルモドバル映画って割と女性の和解や友情、支え合いに重点を置いている作品が多いような気がします。これ、物足りない人は多いかもしれません。でも、「ウィンターズボーン」(2010年)や「フローズン・リバー」(2008年)でもおばちゃんの踏ん張りに見どころがあるが、現実が重た過ぎて近寄るのがしんどい。それに、現実の女性だったら、特に上手く行ってなかった母娘は、そう簡単にお互いを許したりはしない。よくいるよね、デパートとかで、互いを口汚く罵り合いつつも一緒に買い物している母と娘…彼女らなりに、来るべき「世界対あたし大戦」の練習をしつつ、互いを戦友として認め合ってる。スケールは小さいが真剣勝負の壮絶な戦いよ。男にあれは無理。


なので、母親が消えたり、厳しかった母が弱ってその戦いから退くなんて、娘にとって一番許せないこと。それは怒りになるの。ライムンダはどうしても母に言えなかった過去があり、母に「置いて行かれた」という恨みがあった。自分の娘がトラブルに陥った時、母として、そして母と上手く行かなかった娘として、その思いに初めて向きあうことになるの。


現実には肉親との確執って、分かり合いたくないし、赦したくない気持ちに引き裂かれますよね。アルモドバルの「おばちゃんの深情け」映画は、そんなあなたに「落ち込んだり腹が立ったりしていても、あんたは大丈夫! おばちゃんも大変だけど、どっこい生きてるよ!」と根拠なく励ましてくれる。そんなの甘いのかもしれないけど、アルモドバルさんはゲイだから、実際の女性とは距離があるからこそ描けるおばちゃんファンタジーなんだと思う。フィクションは問題を解決してはくれないしヒントもくれない。でも現実にはそうならないからこそ、映画の中だけでも和解して、支え合って、笑ってみる、というのはどうかしら。意外にいいわよ。

いいなと思ったら応援しよう!