えねえちけえ大好き

私、2019年1月からはNETFLIXも開通してるんるんケーブルテレビ生活を謳歌していたんだけど、
どういうわけか最近しょっちゅうWi-fiが容量オーバーになって、まともにネトフリも見られないわけ。
だからトゥタヤでレンタルしては延滞して、月収手取りの1%位をトゥタヤ様に支払う有様よ。馬鹿じゃねえのw

そして、昨年今の家に引っ越しした直後、早速えねえちけえの魔手に引っかかって、えねえちけえ様に1年間金払って1分も観てなかったのを思い出した。
悔しいじゃない?ネトフリは金払ってるのに観られず、えねえちけえは金払ってるのに観ない。
…そうね、あんたの言うとおりだよ、えねえちけえを払わずに観て、ネトフリは元彼の残してったアカウントで観る(過去があるのよ…そのうちお話するけど、でも直接私知ってる人は全員嫌という程聴いてるw)ってのがベストだよッチクショウ!!!


で、実に20年ぶりくらいにちゃんとえねえちけえを観始めた。今の日本を知るには、やっぱりテレビ観ないとダメだろうと思ってたの。ちょうどよかった。
民放ぅ?私、子供の頃民放あんまり見せてもらってないんだけど…それでも思うよ。
この30年位の間のテレビの凋落ぶりとその理由が分かる気がする。
①お金が無い
②アイデアが古い
③うるさい

最近、妹の家に行ったら、甥や姪が民放のお笑い番組を見て喜んでたんだけど…うーん。
あの種のお笑いって、「いじめ」を「あっても当然だ」と擦りこんでいるとしか思えないのね。それは日本らしいと言えばその通りなんだけど。
大人がいくら「これはテレビだから、虐められてるんじゃなくて「いじってる」だけだから」と言い訳したところで、それはテレビ番組作ってる人らの「内輪ウケ」でしょう。
にも関わらず、そういうものを子供が無防備に見て真似してると分からないんだろう。そういうところが内輪ウケ。
一番野蛮で攻撃性も出易い年齢の子供たちに、そうやって残酷さを教えているような気がしてしょうがない。その意味では成功している。
ありそうもないことだけど、百歩譲って「世間は厳しいよ」って教えてるつもりなんだとしてもよ、世間の嫌な部分を教えちゃって、早々に状況を変えることを諦めるように促している形になってると思う。

もし民放テレビが虐めじみたお笑い番組(もはや笑えない…)をやりたいのなら、「世間は厳しい。でも、あんたを助けてくれる人もたくさんいるよ」と教えるべきじゃないかなあと思う。本人にきがつかれないようにいじめたら成功できるしキモチいい、としか今は教えてないみたいに見える。

あの二人、あの程度の民放の番組で喜んじゃうんだったら、そりゃああたしがクリスマスにプレゼントした「バーフバリ」の1と2なんて観ないよね。
姪や甥、英語のレッスンも行ってるみたいだけど、この前の様子だと、海外のことに興味なんか無いわね。
あたしがこんなに外国人彼氏に会わせているのに(何で「こんなに」なのかについてはゴゴゴゴゴ…私もさ、母の妹に当たるおばが、長年海外に仕事で住んでて、外国人の夫がいたりしたから、あの人にどっか憧れてたんだろうな…)


他方で、えねえちけえの朝の番組、何気に今の日本(東京?)をよく表現しているとも思うわ。
先週は外国人居住者が増えまくってる話と、最後に、インド学校に子供をやる日本人の親の話が出ていたの。
前者はある意味みんな知ってる話だったけど、後者は、グローバル化に乗り気満々の若くて野心的で所得と教養の高い層が、インド学校で英語と数学とITを学ばせるというのが面白かった。番組で紹介されたその子供たちは英語が上手かったし、結構本気だと思う。恐らく学校だけでは無理だろう。他の日に「外国籍の子が言語の壁で学習についていけてない」問題を放送していたのを見るまでもなく、親の支援って大事だと思う。おうちでも英語も日本語もちゃんと話すようにしてるんだろう。米原万理みたいな左翼エリート家系の子息なら、そりゃあ子供時代に3か国語で勉強もついていくわよね。そういう形で、優秀な子はどんどん外に出ていくでしょうし、国内でほっとかれる子は置いて行かれ、日本は確実に「置いていかれる世界」になりつつある。

でも、それでもいいじゃない。としか言いようがない。

令和時代は、私の予感では、日本人が更に疑似スピリチュアル化すると思う。信じてはいないが、お祓いやお守り集めのような宗教志向の消費をする感じ。分かるかしら。ご朱印集めとか「歴女」現象辺りにそれを感じる。
「呪い」「お祓い」「言い伝え」「生贄」「生霊」「護符」みたいな言葉を社会科学的な言い方に変えて日常の中で扱うことに、私は積極的に期待してるんだけど…それは罪を憎んで人を憎まず、という日本人がなかなかできないことを、日本的な手法で受け入れる可能性のような気がするのね。下手すると、「穢れたやつら」を積極的に排除してよいという理屈を助長するかもしれないんだけど。

今後我々は、益々天皇をありがたがり(紀子さんは嬉しいだろうけど、あの人権の無い一族は更につらい時期を迎えるかもね)、「日本のことは日本人にしかわからない」と開き直るのだと思う。日本についてキモチいいこと言ってくれる外国人のお世辞を聴いて、うっすら貧困化していく社会を平然と受けいれるんじゃないかな。

「いじめ」を止めらんないなら、「その空間だけの何か」として儀式化し、物語としてあくまで「演じる」ことで、溜まりまくってる日本の社会的呪いを成仏させるしかないのでは。テレビのお笑い番組がその位の自覚持ってくれたらいいんだけど。日本は「神の国」でしょう?だったらそれを真剣にやんなさい。

しっかし、えねえちけえの変わらなさもすごいね。民放が変化してないんだから当然だけど。平和そのもの。何か安心しちゃうんだよね、毎日に。
現実の方が変わってくるとき、またテレビも変わるのだろうけど。えねえちけえのど自慢を観ながら、何かほっとしちゃうのは否めない。

私は色々と残念な人間だからこそ、得意な部分と不得手の部分を両方持って、「世間は厳しいけど。。。こんなあたしでも生きてるよ」と言う使命があるし、自分を励ます意味でも、現状を強く肯定していくことが大事と思っている。他方で、足りない、合理的でない、自分の信条に合わないことをしっかり見つめて考えることも止めたらいけない。キモチよくなり過ぎちゃいけないし、怨み過ぎてもいけない。

私のテーマでもあるけど、思想の左右対立が一番大きなテーマだった時代の頭から、ちょっとずつ現在に追いついていかなきゃね。


では、さよ・おなら。

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