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ずーっと続く無意味な人生と体調不良

人間は体調が悪くなる。不快でしかない。なぜこんな機能が必要なのか、意味が分からない。できればずっと快適で調子がいい方が仕事もできるし、なにより楽しい。でも、不調というものがあるということは、そこに何か意味があるのかもしれない。

こんなことを考えているのは、今、自分が風邪っぽいから。寝込むというほどではない。頭がちょっと痛くて、鼻水がちょっとでるかなくらい。noteを書いてみようかなくらいの元気はある。

体力の変化は諸行無常

20代のころはもっと風邪を引いていた。当時は睡眠時間を削ったり、予定を詰め込んだりと、なかなかに無茶をしていた。そんなときに「アイスを食べたら風邪を引く」と自分では考えていたので、あまりアイスは食べなかった。好きだったけど。

最近は結婚して、子どももいるので、かなり人間らしい生活になっている。30代になって体力も落ちたこともあるとは思うけど、しっかり寝て、健康的なものを食べて過ごしている。もう少し運動をした方がいい気もするが、それは子どもがもう少し大きくなってからということにしている。風邪もあまり引かなくなったので、アイスもちょくちょく食べている。食べても風邪は引かない。

無意味に思える心の不調

不調というのは風邪だけじゃなくて、不安や心配という精神的な側面もある。僕自身はあまりネガティブなタイプではないが、それでも時々は将来のことが不安になったり、今の自分に焦ったりする時間がある。この時間も無駄と言えば無駄である。
心配しても何も解決しないし、将来のことは分からないからいくら考えても生産性は無い。頭では分かっているのだけれど、それでも考えてしまう。

カウンセリングではこの不安や心配を感じにくくしたり、感じながらも適応的に生きられるような支援をしようとする。日常生活に支障が出るレベルでの不安は、とてもじゃないけど、「気にしなくていいよ」では片づけられない。無限ループと分かっている思考が止められずに無限ループする。仏教で考える無間地獄というものがあるが、ずーっと続く苦しみというのは地獄のようなもので、終わりがない苦しみというのはどうにも耐え難いものがある。

無意識の葛藤が限界になっていて、心がそれを知らせてくれているという意味では、身体の痛みが体の不調を教えてくれていることと似ている。身体の痛みと同じで、パッと取り除くことができるときもある。原因が明確で、それを手術のように除去する手立てがあるときは比較的簡単に状況を変えることができる。

やっかいなのは「なんとなくしんどい」

心にしても身体にしても治療しにくいのは「なんとなくしんどい」状態である。特に病名もなければ治療薬もない。元気になるまで「様子を見ましょう」というのが一番どうにもならない。
もちろん、心も体も自然治癒という力があるので、放っておけばよくなるということも多い。子どもたちは自然治癒力が高いので放っておくことの効果が期待できる。時間と共に成長もするので、大人は余計なことをしないで見守っておくことが正解だ。

風邪は「なんとなくしんどい」に分類され、明確な治療は無いらしい。一時的に症状を抑えることはできるが、治療しているわけではなく、勝手に治るのを待つしかない。調子の出ない微妙な時間をなんとなく過ごすしか打つ手がないのである。

無意味の意味を探す練習

ちょっと不調な僕が何の目的もなくnoteを書き綴っている。ここまでお付き合い本当にありがとうございます。そのことだけで少し元気になります。
「書く」という行為も考えてみると、よく分からない行為である。もちろん、その情報が誰かに伝わって、役に立つということであれば素晴らしい文章であるわけだけど、ちょっと不調な僕が思うことをつれづれなるままに書いても、大した意味はない。それでも、ここまで書いていると、なんとなく言いたいことが出てくるのが不思議である。

そもそも、自分の人生も、世界で起こっていることにも、本質的な意味というものは無い。ここでいう「意味」の定義も考えねばいけないけど、難しくて調子が悪くなりそうな話題はまたの機会に。
無常で無我な私たちは、そもそも私は無意味で、いろんなものと繋がりながらなんとなく変化をしている、たまたまそこにあるものである。たまたま目の前を飛んだスズメ、さっき踏んだ落ち葉と大した違いはない。風邪になっていることも、noteを一生懸命書いていることにも意味は無い。

仏道修行というものは、無意味なことをひたすら続けるというものが多くある。いや、僕から見ると無意味に見えるんだけど、本当はもっと深い意味があるんだろうが、やはりパッと見は無意味に見える。念仏も、禅も、滝に打たれたり、歩き続けたり、お経を読んだり。意味を問われるとちょっとよく分からない。

でもそれをずーっと続けた先に意味があるのかもしれない。あるのか、ないのかもよく分からないけど、ずーっと続ける。落ち葉は特に意味を求めて無さそうだし、スズメもただただ平和に飛んでいる。僕たちの人生も特に意味はないかもしれないけど、ずーっと続いていく。ちょっとしんどいけど、それがずーっと続く。その先に何があるのか、ないのかは分からないけど、まずは風邪が治ってほしい。
不調になると元気な時のありがたさが分かる。でもすぐ忘れて元気なことが当たり前になる。そして、また病気になって、立ち止まる。無間地獄な人生ですね。それではお時間、ごきげんよう。

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