変わることと変わらないこと
お寺というのは基本的にはずーっと昔から同じことを続けています。それが効率的とか合理的とかは関係ない。先代がやってきたことを粛々とこなしていく。
僕自身は、新しいことや合理的なことが大好きなのでモヤることもある。20代のころは違和感を感じまくっていた。でも、最近ではこの粛々とこなすことの意味が分かるようになってきた。
1月15,16日は御正忌という親鸞聖人のご命日を縁とした法座が京都の西本願寺をはじめ全国のお寺で勤まります。うちの方では「御正忌荒れ」という言葉があって、毎年大雪になるのが恒例。でも今年は雪がなく、比較的あたたかかった。
コロナ禍で中止になっていたお斎(精進料理)を再開。
お斎の準備はとっても大変なんだけど妻(臨月なう)と近所の奥様方が頑張ってくださいました。
お参りされたご門徒さんに「懐かしい!」と、「子どものころはみんなで何杯食べられるか競争してた」というお話をうかがった。
今は、子どもがお参りしてくれることは無くなってしまい、なんとかご縁を繋ぎたいとは思うけど、昔ながらのことを守っていくことでこういうお話に出会うことができる。
普段は僕もYouTubeやPowerPointを使った法話をするんだけど、御正忌のときは黒板と演台。字の汚さがバレてしまうけれども、こうしたいなと思っている。
お寺を取り巻く環境はどんどんと変わっていき、変わらなきゃいけないこともたくさんある。でも、そんななかで大切にしていきたいところは守っていきたい。そこに合理的な理由は無いんだけど、それでも続けていくことで、歴史との繋がりが見えて、地域のご門徒さんとのご縁もできる。ゆっくりのんびり続けていくことで見えてくるものがあるんじゃないかな。
自分たちも法座をしていくことに少しずつ慣れてきている。ちゃんと受け継いだものを行いながら、少しずつ新しい挑戦もはじめていこう。