東京大学の来し方10年と行く末
現下の東京大学をめぐる情勢について把握するには、ときに過去からアプローチすることも有用なことがあるのではないかと思う。とはいえ、本稿は筆者が思いつくまま恣意的に項目を並べたエッセイのようなものなので、気軽に読んでいただければ幸いである。
“タフでグローバル”な「学部教育の総合的改革」
この時代を知っている人もだいぶ減ったと思うのだが、かつて濱田純一という総長がいた(任期2009年度~2014年度)。彼は式辞などでことあるごとに“タフ”とか“グローバル”と唱えていたので、在りし日のTwitterを賑わわせていた(たとえばTogetter「タフな東大卒業式」参照)。
それで、彼の任期中の政策の一つが「学部教育の総合的改革」というやつだ。端緒は秋入学の検討であり、それはPEAKへとつながったが、学部の一般入試が秋入学になったわけではなかったので、世間からは忘れ去られた話になっている。だが、そこから始まった議論が入学時期の問題にとどまらず、学部教育の全般にわたる“改革”に取り組まれたのがこの時期の特徴であった。
たとえば、初年次ゼミナール(2015年度~†)の導入は「学部教育の総合的改革」に由来するし、従来の「夏学期」「冬学期」から「Sセメスター」「Aセメスター」に変わったのも同じくである(本質はターム制の導入で、農学部のようにS2タームを休みにする学部がもっと多くなるはずだったのだが、それは実現しなかった。ターム単位の授業も細々と開かれているにすぎないのが実態だ)†。セメスター・ターム制への変更に伴って授業時間を105分×13コマにする必要が生じ、1限が8時30分から始まるという邪悪な時間割となってしまったので(後にオンライン授業を経てなし崩し的に90分×13コマになっているが)、その点の評判は悪いものの、以前は学部ごとに異なっていた時間割が全学部で統一され他学部履修などをしやすくなったのは良い副作用であったと思う(曜日振替や試験の日程が統一されていないのでいまだに問題は残っているが)。それから2017年度(2016年度実施分)以降「進学振分け」が「進学選択」に変わったが†、これも「学部教育の総合的改革」の一環と位置付けられるものである。初年度は2S1タームまでの成績しか反映されないという大問題があったり、画期的な仕組みである受入保留アルゴリズムが導入されたのも2年目からであったり†、当初は不備の多いものだったが、現在は一応の定着を見せている。
そのようなわけでいろいろと問題は多かったのだが、それでも各学部にまたがる既存の制度を変えていく試みがなされたという事実は、それとして記しておいてもよいだろう。個人的にはもう一点、これらの“改革”には、2012年に出された文科省・中教審の「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」通称「質的転換答申」と方向性を同じくしている部分があることにも注目したい。「タフ」とか「グローバル」とかは耳触りがよい時流の言葉にすぎないが、「学部教育の総合的改革について-ワールドクラスの大学教育の実現のために-(答申)」ではその一方、学びの実質化や、ディプロマ・ポリシー(卒業認定・学位授与の方針)とカリキュラム・ポリシーに沿った教育課程の編成といった、現在までなお重視され続けている観点も多々見受けられる。それらが実質的な意味で実現を見たと評価するには甘口にすぎるが、学部ごとに時間割が異なっていたなどというのは、学生と教員が学部という同じ組織単位に縛り付けられていたことの象徴であり、必要な学びをプログラム(学位プログラム)として設計するという姿からはかけ離れているのであって、未完にせよ旧弊を打破する“痛みを伴う改革”としての側面は確かに有していたと筆者は考えている。
経営体としての東京大学
濱田純一氏に引き続いて総長の任に就いたのが五神真氏である(任期2015年度~2020年度)。式辞で頻繁に繰り返していた言葉は「知のプロフェッショナル」だが、それはさておき、着目すべきは「運営から経営へ」という路線が徐々に強く打ち出されてくることである。
現在の藤井輝夫総長の「UTokyo Compass」に相当する行動計画として、濱田純一総長は「行動シナリオ FOREST2015」を、五神真総長は「東京大学ビジョン2020」を作っていて、そのいずれにも「経営」という観点は含められている。だが、その具体的な取り組みが鮮明になってくるのが五神総長の時代ということである。
その一つが規制緩和を旨とした指定国立大学法人への指定であり、そして何より象徴的なのは、国立大学で初とされる大学債の発行である(ソーシャルボンド「東京大学FSI債」の発行について)。これも文部科学省の規制緩和によって可能となったものだが、その規制緩和は五神総長自身が有識者会議で提案し(第1回国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議の資料5)、実行に移されたものであった(山下慶洋「大学債の発行要件の緩和と今後への影響」、『立法と調査』429号、参議院調査室、2020年)。
また、後に国際卓越研究大学となっていくいわゆる「大学ファンド」が動き始めたのは、2020年7月17日の「統合イノベーション戦略2020」とされる(稲毛文恵「大学ファンドの創設:国立研究開発法人科学技術振興機構法改正に係る国会論議」、『立法と調査』436号、参議院調査室、2021年)が、これも五神総長の任期の末期である。議論の場は内閣府の総合科学技術・イノベーション会議 (CSTI)であり、具体的なアイデアが提案されたのはその下の「基本計画専門調査会」であるようだ(光本滋「大学ファンドがもたらすもの、『日本の科学者』57巻2号、日本科学者会議、2022年)。五神総長は本会議とこの調査会の双方で委員を務めていた。「世界に見劣りしない規模のファンドを創設」することを謳って本会議に提出された「研究力強化及び若手研究者支援に向けた提言」には五神氏は名を連ねていないものの、大学が“経営体”となるべきことをたびたび訴えてはいた(たとえば第5回基本計画専門調査会の資料7の11ページ)。
その一方で、教育とくに学部教育における“改革”はどうだったか。筆者は東京大学の広報誌『淡青』42号での「学外有識者から見たこの6年の東京大学」という記事が印象に残っている(余談になるが、東京大学公式Twitterはこの号の発行時に「総長が放った光は、道筋を照らすだけでなく強い力で大学を次の次元へ押し上げました」という大変ユニークなツイートをし、しかもその後にツイ消しし、非常に話題となった†)。この記事は基本的にはヨイショが並んでおり、ほとんど流し読みしていたのだが、東京大学新聞の編集長が「またこの6年間で学部教育へのテコ入れが停滞したことも見過ごしてはいけません。」という鋭い指摘を入れており、それが目に留まったのである。いろいろと個々の取り組みはあったかもしれないが、少なくとも濱田総長の時代と比べれば、学部教育に関する全学的な動きは少なかったということは間違っていないのではないかと思う。
なお、「経営体としての東京大学」という見出しは彼の著書『新しい経営体としての東京大学:未来社会協創への挑戦』(東京大学出版会、2021年)から取った。
黒の巨塔:総長選考とガバナンス
五神真総長が2020年度末をもって任期を迎えるにあたり、2020年度に入って、次の総長を選ぶプロセスが動き始めた。法人化された国立大学では学長(総長)を学長選考会議(総長選考会議、現在は法改正により総長選考・監察会議)が選考する仕組みとなっている。法人化前の仕組みとはいくぶん異なるが、それでも法人化後4回目の総長選考ということで、つつながくプロセスが進められるものとはじめは思っていた。少なくとも筆者は。
しかし結果は、読者の皆様もご存知の通りの大波乱の末、藤井輝夫氏が総長として選考された。ここでいちいち事の次第を書き並べている余裕はないので、便宜的に以下への参照を貼って済ませることにさせていただく。
それで、これを受けて東京大学は報告書の公表であるとかTFやWGを立ち上げての議論といった対応を行っている。
令和2年度総長選考会議における総長の選考過程の検証報告書(令和2年度総長選考過程検証委員会)(2020年12月11日)
総長選考会議の組織検討タスクフォース報告書(2021年3月)
総長選考会議の組織検討ワーキンググループの検討結果に関する報告(最終報告)(2021年11月)
ここでテーブルに上がっているのは組織としての東京大学のガバナンス(統制)の問題であり、組織のトップたる総長の選考をいかに設計するかについて入念に検討がなされたと言える。ただし、藤井総長の選考過程が結果として不問に付された形となっていることは付け加えておく。
特定国立大学法人と運営方針会議
「法人総合戦略会議」案
一方で大学ファンドの方はというと、「国際卓越研究大学」という名前が与えられ、具体的な制度設計が動き出した。そこでも鍵となってくるのがガバナンスで、大学ファンドからの助成を受ける条件として「自律と責任あるガバナンス体制」がその一つに挙げられており、大学の意思決定を担う「合議体」を設けることを求めている(世界と伍する研究大学の在り方について 最終まとめ)。国立大学の場合、ガバナンス体制は国立大学法人法で規定されており、各大学が勝手に決めることはできないので、国が法改正を含めた措置を行う必要が出てくる。当初の案は「法人総合戦略会議(仮称)」を置くというものだった。
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この案では、学長を選考するのは法人総合戦略会議であり、従来の学長選考会議に相当する会議は法人総合戦略会議の委員を選考する会議に変わる、というものであった。国立大学では伝統的に教員の投票によって学長を選ぶという制度が根付いており、学長選考会議が選考主体ではあるものの、何らかの形で教員による投票(東京大学の場合は「意向投票」)を経て選考を行う、という形を取っている大学が多い(これが崩れている大学も相当数出てきているが)。学長を選考する主体が変わるということは、こうした学長選考のプロセスにも影響が生じる可能性が否定できない。
東京大学に関して見れば、2020年度に行われた総長選考の問題を踏まえて慎重に再構築された制度に対し、国際卓越研究大学によって修正がなされることは、新たな問題をもたらす可能性が否定できないと言える。この点、東京大学は2022年2月3日、「大学ファンド及び関連制度調査検討タスクフォース 調査検討のまとめ」という報告書を作成して、大学ファンドへの対応について検討を加えており、そこには次のような一文が記されている。
大学の長(総長)が学内構成員と確固たる信頼関係を築き、その下で強力なリーダーシップを発揮できることが重要であり、合議体(法人総合戦略会議(仮称))による大学の長(総長)の選考に関し、そのような環境及び能力が担保できるかどうかを確認すること
ここからは、はっきりしないが、意向投票の維持が必要であると考えているようにも読み取れる。ただし全体としては次のようにまとめており、いくつかの留保を付けながらも、国際卓越研究大学の制度に対して肯定的に捉えている様子である。
現在、政府報告書により提案されている大学ファンド及び「国際卓越研究大学(仮称)」の仕組みは、本学の重要な基本原則・行動指針等のもとで有機的に活用することにより、本学が進むべき方向に沿った取組みを加速し、自律的かつ持続的な創造活動を拡大できる可能性を有するものと評価し得る。
国立大学法人法の改正
しかし2023年10月に国会に提出された「国立大学法人法の一部を改正する法律案」(第212回国会閣法第10号、のち令和5年法律第88号)では、このガバナンス制度の改定が大きく異なる内容となっている。具体的な違いは次のようになる。
新たな制度は国際卓越研究大学のみに適用されるのではなく、「特定国立大学法人」という政府が政令で指定する大規模な国立大学に適用される。
合議体は「運営方針会議」という名称とする。
学長は従来通り学長選考・監察会議が選考する。ただし、運営方針会議が学長の選考に関する事項について学長選考・監察会議に意見を述べることは可能とする。
運営方針会議の委員は、学長が学長選考・監察会議との協議を経て任命する。
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国立大学全体で見ると第一の点が大問題で、国際卓越研究大学に応募するつもりのない大学であっても今回のガバナンス制度改定は適用されることになってしまった。法案の策定プロセスが不透明だったこともあり、相当な非難があったことは記憶に新しい。
だが、ともかくも法律は成立し、2024年10月(来月!)から施行されることになった。
東京大学の場合
東京大学も当然、特定国立大学法人に含まれることになった。運営方針会議を東京大学においてどのような形で設置するのかについて、現時点では報告書として公開されているわけではない。しかしながら、ことは上で述べたように総長選考・監察会議にも関わってくる問題であり、そして総長選考・監察会議の資料・議事録は2020年度の経緯を経て一部を除き公開されるようになっている。令和6年度 総長選考・監察会議活動状況のページを参照していただければよいが、これを書いている時点では、6月21日と7月23日の回でかなり詳細な案が扱われていることが確認できる。7月23日時点の案の主要な内容は次のようになっている。
運営方針会議の委員数は、学内委員と学外委員を同数とする前提の下、14名とする。
学内委員は、総長、プロボスト相当の役員、CFO、その他役員1名に加え、教育研究評議会により選出された者3名とする。
過去に総長であった者及び現に総長選考・監察会議委員である者は、運営方針委員となることはできない。
現に経営協議会委員である者が運営方針委員となることは妨げない。
委員に占める女性割合がおおよそ5割となるようにする。
学外委員に本学卒業生を代表する立場の者を加えるものとする。
また、法律に則って総長が総長選考・監察会議と協議するために臨時の総長選考・監察会議が開かれることも決まっており、大枠はおそらくこの案で確定しているとみてよい。東京大学規則集のページに掲載されている「東京大学教育研究評議会規則」を見ると、令和6年7月25日付けの改正によって運営方針委員の候補者の選出に関する規定がなされていることが確認でき、着々と準備が進められていることが分かる。
若干の私見
筆者の見るところ、「法人総合戦略会議」案は、企業のガバナンス体制を参考としたものではないかと思われる(詳細な議論までは追っていないけれども)。株式会社はガバナンスの形態によっていくつかの類型に分けることができるが、その中で「指名委員会等設置会社」と呼ばれるタイプのものが最もガバナンス的には進んだもので、経営監督を担う取締役と業務執行を担う執行役を分離することを旨としている(ただし兼任は可能なのだが)。上の図の「法人総合戦略会議」案で「執行」という枠が明確に記されていることからそれを読み取ることができる。
国立大学には狭義の株主はいないけれども、ステークホルダーとして捉えればそれは国であり国民である。だから中期目標・中期計画をはじめとして国立大学の方向性について国が関与する仕組みがあるのだが、「戦略」と名のつく会議を最上位に置くからには、そのあり方も変わっていく余地があるのではないかと筆者は期待していた(案にそこまで踏み込んで書かれてはいないが)。というのも、国際卓越研究大学に認定された大学が最長で25年と長期にわたる助成を受けることになっていることを考えると、法人総合戦略会議もそれに相応しい長期的な戦略を練ることが想定されるわけで、仮にそうした長期の戦略を立てる機能を法人総合戦略会議が担うのであれば、文部科学省による中期目標・中期計画での関与は中途半端な位置付けとならざるを得ないからである。そのような形で文部科学省と各国立大学の関係が変わっていくのであれば、もちろん学外者による直接的な各大学へのコントロールが強まるという見方もあり得ようが、一応は学内機関であり大学の利益を考えるべき立場にある法人総合戦略会議が自律的に戦略を作っていけるということにはメリットもあるのではないか、と考えていたのである(企業であれば、取締役会の構成員は社外取締役であろうと会社の利益を考えるべきことは当然である)。
しかしなぜだか分からないが、文部科学省が提出した法案は「運営方針会議」に形を変えてしまっていた。東京大学の「運営方針会議検討タスクフォース」が作成した資料には「法制上、運営方針会議には、執行のパートナーとしての機能及び執行に対する監督機能の両者が想定されている」と記されており、経営監督と業務執行の分離という姿からはかけ離れたものと理解されている。この点は総長選考・監察会議の議事録を読んでいても(7月23日の分はまだ公開されていないから6月21日の分だけだが)学外委員から困惑の声が上がっている様子である。この案の変遷がどういう経緯なのかはいまだにほとんど解明されておらず、筆者としても首を傾げることしきりである。
国際卓越研究大学とCollege of Design
さて、時系列が少し前後するが、国際卓越研究大学の本丸に話を戻す。2023年3月31日が第1次公募の締切であり†、東京大学はそこに応募していた。そして2023年9月1日、文部科学省から「国際卓越研究大学の認定等に関する有識者会議(アドバイザリーボード)による審査の状況を公表します」との発表がなされ、東京大学が国際卓越研究大学の(第1次の)認定候補から外れたことが明らかになった。この際、「国際卓越研究大学の審査の結果を受けて(総長メッセージ)」という短いメッセージが出されている。
のちに2024年3月12日、「国際卓越研究大学対応タスクフォース報告書」が公表され、第1次公募の結果に対する総括と第2次公募への対応の方向性が示された。そこでは、アドバイザリーボード (AB) が示した講評に対し、次のような見解を示している。
翻って本学が提出した体制強化計画を振り返ってみると、現地視察及びその後の提出資料まで含めれば、期待された項目はおおむね満たしていたと考えられる一方で、国際卓越研究大学制度の予定する「世界最高水準の研究大学」の実現に向けて幅広い内容を盛り込んだ結果、ともすれば総花的とも見られかねない内容であったことは否定できない。また、この種の大きな改革提案について従前学内で行われてきたような、総合的な議論を行う時間的余裕はなかったのが実情である。
こうした背景のもと、現地視察において、特にCollege of Designについて重点的に説明を行ったところであるが、ABからの指摘を踏まえると、とりわけ既存組織の改革を担保できる方策について、必ずしもABのポジティブな心証を得るに至らなかったと思われる。体制強化計画の補足説明資料「重点的に取り組む個別事業」にもSchool of DesignやUTokyo Global CollegeとしてCollege of Designに相当する内容は含まれていたが、国際卓越研究大学制度の趣旨に鑑みて、これらの内容は必ずしも強調していなかった。
以上、今回は、前述のとおり時間の制約等によってCollege of Designを含め各事業がしっかりと連携、統合しているという仕方で提示することが十分でなかった点は否めない。本学の申請資料が大部にわたっていたこともあり、こうしたことから、AB委員が本学の包括的提案であるところの「新しい大学モデル」の全容を把握することを困難にさせてしまった面があったと推察される。
しかしこの主張は筆者には俄には理解しがたい。東京大学の構想の「包括的提案」は「新しい大学モデル」であったという。その一方でこの短い引用部分で「College of Design」が3度も出てきており、個別の取り組みとしてはそこがアピールポイントであったようにも見える。「College of Design」については2024年2月20日の「College of Design(仮称)構想に関する報道について」で説明されているが(そこでも述べられているように、対外公表は2023年10月末に「UTokyo Compass 2年経過成果報告」の一部としてなされている。ただしいずれにせよ国際卓越研究大学の第1次の応募も審査も終わった時期である)、1学年100名程度の課程を新設するというものである。特徴は学士・修士一貫5年(この点につき「文科省の審議会での国立大学の授業料そして大学のあり方についての議論動向」も参照)とかオールイングリッシュとかいろいろあるのだが、それはさておき、アドバイザリーボードの文書は次のように言っている。
いわゆる出島方式によって、既存の教育研究組織を維持したまま、新たな研究組織を追加する構想や、横断的な組織を新設する提案が少なからず見られた。既に国際的な研究拠点を有している大学もあるが、それが当該研究拠点の活力を高める一方で、必ずしも既存組織も含めた全学の変革につながらない事例も多々目にしてきており、新設組織を改革の梃子として働かせる意図があるにしても、その実現は簡単ではないと認識している。
これは東京大学に対する個別のコメントではなく全体への総論にあたる箇所であるが、そうはいっても、新設課程たるCollege of Designは「出島方式」そのもの以外のなんだというのか。報告書はこの点についてほとんど全く触れることなく、単に「包括的提案……の全容を把握することを困難にさせてしまった」との反省で終えているが、果たしてこれがアドバイザリーボードの評価にきちんと向き合った結果なのだろうか。
個人的にも、濱田総長時代の「学部教育の総合的改革」において、時間割や進学選択など(その成否・是非は議論があり得るにせよ)既存の学部学生全体に対する“改革”がなされていたのと比べて、この提案は大学全体にどこまでの規模のインパクトをもたらし得るのだろうか、とは思うところである(PEAKしかり、そういう小規模なプログラム自体は否定しない。だが、「出島方式」という批判が当たらないというならば、それは誤りであろう)。
ともかくも、そのようなわけで、報告書は次のように結んでいる。
UTokyo Compassの推進を加速するための手段として、本学としての国際卓越研究大学の構想を策定するという方針を維持し、2024年10月以降に行われることが予想される国際卓越研究大学の第2回公募に応じることが適当であると結論する。
そもそもCollege of Designは当初はUTokyo Compassには載っていなかった(2024年5月の「UTokyo Compass 2.0」でしれっと追記された)という不思議もあるが、いずれにせよ、UTokyo CompassやCollege of Designはあくまで東京大学が自ら作った構想であり、それを加速させるために国際卓越研究大学に応募する、という建前を取っている以上、College of Designの準備も止まることなく進んでいるのであろう(ちなみに「College of Design設置検討委員会の設置について」という総長裁定が2023年11月30日に制定されている)。ただし、当てにしていたであろう国際卓越研究大学による助成は(少なくとも第1次の時期には)得られないことになったわけだから、その分の財源をどうするのかという謎は残る。
College of Designと「キャンパスマネジメントシステム」
さて、College of Designのスライドをもう一度見てみよう。
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ゴチャゴチャとまさに曼荼羅ポンチ絵という感じだが、中央付近に「学修マネジメントシステム UTokyo One (UTONE)」というのがあり、「各学生の学習ポートフォリオ」という説明が付されている。少し筆者なりに補うと、College of Designでは「学生自身の関心や問題意識に従い、学生が主体的に学んでいける環境を提供」するとされている。しかし学生が好きな授業をショッピング的に集めるだけならばカリキュラムとは言えないのであって、大学としてどんな体系のもとで学生に教育を行うのかというポリシーは明らかになっていないといけない(建前かもしれないが、文部科学省がそのような立場を取っている以上、少なくとも課程を新設しようとする場合には逃げられないはずである)。そこでポートフォリオが登場する。ポートフォリオを用いて学修情報を可視化したり、おすすめの授業を提案することによって、大学が個々の学生の学びに関与していく、という姿を提案できるのであれば、旧来の意味でのカリキュラムではないかもしれないけれども、大学が学生に対してどんな教育を行うのかという問いに対する答えにはなる。
ところで、「授業料改定案及び学生支援の拡充案について」には「教育学修環境改善に向けて当面の間取り組む事項」というスライドがあった。そこに記者会見で述べられた追加の情報を盛り込んで東京大学新聞がまとめ直したものが以下である。
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「学修情報の可視化」をする「先端的なキャンパスマネージメントシステム」である「UTONE」を導入すると書かれており、「おすすめ授業を提案する」機能も搭載されるようだ。
筆者自身としては、「デザイン」というキーワードには非常に共感するところがあり、身近でもCollege of Design構想を(取り巻く情勢はさておいて構想自体は)好ましく捉える声を聞いたりしている。だからこれが槍玉にあげられる展開はまったく望んでいないのだが、しかし、少なくとも事実を点として並べるとこういうことになる。それをつないで線を引くのは読者各位におまかせする。
「新しい大学モデル」とは何だったのか
総長選考いらい、ガバナンスや国際卓越研究大学に絡んでさまざまなWGやTFが置かれ報告書が出されてきたのは、ここまで断片的に見てきた通りだ。ところで、そこに一つ欠けているものがある。「国際卓越研究大学対応タスクフォース報告書」のなかで言及されているのだが、国際卓越研究大学への応募は、2022年4月に立ちあげられた「新しい大学モデル構想会議」という会議のなかで案が練られていったのだという。国立国会図書館インターネット資料収集保存事業 (WARP) のアーカイブで「新しい大学モデル構想会議の設置について」という総長裁定が存在したことも確認できる(後継の「UTokyo Compass推進会議内規」附則によって2024年4月に廃止されたようだ)。だが、この会議のアウトプットは何も見当たらない。というかそもそも、国際卓越研究大学に応募したことさえ、(筆者の見落としでなければ)その時点では東京大学自身からは公表されていなかったはずだ。
UTokyo Compassの目標0-1、すなわち20個の目標のうち第一に掲げられているのが“「自律的で創造的な大学モデル」の構築”で、藤井総長は当初から「新しい大学モデル」を謳っていたのである。その意味するところを筆者なりに解釈したのが以下の投稿である。
そこでは、藤井総長の目指すところは、広く社会との関わりで資金を確保するという方向性だったはずではないか、と述べた。あるいは、藤井総長の言葉を借りれば「学びを社会と結び直す」というのも似たようなことを言っているはずだ。である以上、教育活動の内部で対価として費用を補償するものである授業料を拡大するのは、この考え方に反するはずだ。
ところで、筆者が開示請求によって入手した資料がある。
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2024年5月14日の科所長会議、授業料値上げ案の実質的な初出時の資料だが、そこには、「学生に対する教育は、運営費交付金及び授業料によって実施」と書かれている。
もちろん、競争的研究費や特定目的での共同研究によって得た資金は教育のためには使えない、という趣旨を言いたいのであろうと推測はできる。だが、大学債しかり、目的を特定しない(教育のためにも使える)資金を社会から集める、というのはUTokyo Compassそして新しい大学モデルの一つの柱であったはずではないのか。現時点では現実的にそこまでの金額的なインパクトを持っていないとしても、「運営費交付金及び授業料によって」と言い切られているのは違和感を覚える(黒塗りされている部分に書いてあるのかもしれないが、こんな理念を黒塗りしても仕方がないので、筆者にはちょっとそのようには思えない)。
たしかに「授業料改定案及び学生支援の拡充案について」では、「運営費交付金の確保に向けた努力に加え、競争的研究費や産業界との連携を通じた資金獲得、さらには寄付金などの収入の増加や資金運用の高度化、大学債の発行など多様な手段を通じて」という文言でこのことに触れられている。しかし根本的な問題として、先に触れた通り、財源の多様化といっても授業料はけっして他の財源と同じに扱うことができない。今回の授業料値上げにおいて、総長はじめ執行部・当局は(「総長対話」†でも、8月23日総長メッセージ†でも)単に財源の多様化の流れを授業料値上げの理由として挙げるばかりで、この点にはまったく立ち入っていない。
結局のところ、「新しい大学モデル」とは何だったのか。
この投稿は、筆者以外の著作物を引用している部分を除き、CC BY-NC-SA 4.0の下で利用できるものとします。なお、同ライセンスの認める範囲をこえて利用したい方は、個別に対応を考えますので、筆者までご相談ください。