『夢野久作の日記』より(2)

「ドグラ・マグラ」について『夢野久作の日記』で言及している箇所の続き(引用に際して表記しにくい踊り字を文字に起している)。

今回は最初の草稿を書き上げて清書を終えるまでの1926年5月22日から6月13日までを抜粋。家族で経営している杉山農園の管理についての記述も多く、多忙な日々の中毎日毎日原稿を執筆している。

本当にまじめな生活であることだよ。

「五月二十二日 土曜
 朝、川口君と礼子同伴川端に到り、豚を買ひ二ケ月ぶりにて社に到り、ワクを取り、二時二十五分の新博多発にて帰香。
 早朝起床。正午まで原稿書き、あと労働のみつもりを立つ。

 五月二十三日 日曜
 朝五時半起床。ドーナツと馬鈴薯にて朝餐。狂人の原稿を書く、正午まで・終りて密柑畑の草を取り、四眠の蚕に桑を飼ひ尻をかえ桑を採り、四時より上りて又原稿を書き、入浴、夕食后寝る。
 龍丸帰り遅き為、先生見に来てくれたり。(安武先生)
 朝来雨模様、暗雲西に去る。密(ママ)柑の花白く香気甚し。触るればバラバラと落つ。
 空暗く思ひも暗きたそがれを、みかんの花のホロホロと落つ

 五月二十四日 月曜
 午前中「狂人」を書く。
 午后、みかん畠の草取り。龍丸も手伝ふ。

 五月二十五日 火曜
 六時起床。午后三時まで原稿書き。四時まで午睡。五時より六時まで、みかん畠の草取り。

 五月二十七日 木曜
 狂人の内容あらかたきまる。

 五月二十八日 金曜
 狂人の原稿を書く。雪ふりては晴る。

 五月二十九日 土曜
 昨夜、蚕上蔟にて家内下の家に居りしに、子供二人眼をさまして泣き立て閉口す。けふ一日ねむくてボンヤリして頭動かず。

 五月三十日 日曜
 原稿書き。雨、晴る。

 六月一日 火曜
 原稿書き、晴天。畠にタケとシクを植う。

 六月二日 水曜
 終日、原稿書き。

 六月四日 金曜
 大名町へテニスに行き、松村へゆき十七円払ひ、大原にゆき新テニスコートを見、筥崎にゆきすつぼかしを喰ひ、直越君のところへゆき、狂人の話をきゝ、三角にとまる。」

 「狂人の原稿」を書き続ける毎日。蜜柑の栽培、養蚕、畑仕事と「ドグラ・マグラ」の世界はおよそかけ離れているが、会社勤めをしながら創作していた人たちが多いことを考えたら、それほど珍しいことではない。先入観は良くない。

6月4日に「狂人の話」をきいたという直越という人物について、『夢野久作の日記』には注釈無し。

「六月六日 日曜
 晴天。家のねづみふえたり。トマト芽立ち、蛇出て空青し。秋虫の声はやきこゆ。
 午前原稿。
 チソ、タデ、トマトを植ゆ。

 六月七日 月曜
 夕方まで原稿を書き、夕食后、シソとトマトとタデに水をやり、みかんの花を摘みてアルコールに入れる。

 六月十一日 金曜
 朝より、原稿かき、明日より清書、校正。

 六月十二日 土曜
 原稿の清書をはじむ。
 午后三時より豆をサビ畠を打ちトマトを植える。

 六月十三日 日曜
 雨。終日原稿清書。繭の祝ひ。
 午后三時二十分にて出福。小鳥馬場にて能を見る。松風、桜間道雄。船弁慶、金太郎等近来の上等の能、古賀先生とつれたち三角にかへる。」

 能についての記述は他の日にも多い。夢野久作が謡曲についての評論を書いていることは知られているし、能の師匠としての仕事もしていることも日記の記述にある。考えてみれば「ドグラ・マグラ」のモチーフである狂気や死者の意志というのは、謡曲・能の世界と類縁性が強い。死者であるシテの言葉をワキが聞くという作品も多いわけだが、「ドグラ・マグラ」もまた全体が死者の声の引用からできていると読めるだろう。

 この後、7月10日まで「狂人の原稿」についての記述は途絶えるので今回はここまで。

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