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組織における世代間対話の作法 〜自己受容・感謝の心・人事を尽くして天命を待つ「南無三」の精神〜
最近「方針に納得できない時のお作法」という記事を目にした。
https://konifar-zatsu.hatenadiary.jp/entry/2024/11/05/192421
上記の記事は、「組織の中で生きる作法」「世代を超えた対話をどうしたらいいか」という問題に向き合っている。
1. 初手でファイティングポーズを取らない
・まずは深呼吸して初手でファイティングポーズを取りそうになるのを抑えて、「取りまとめありがとう」って感じで相手へのリスペクトを示すとよい
2. 何に納得できないか深掘りする
3. 自分がどうしてほしいかを明確にする
4. 全員が納得する状態がありえる話なのか考える
・合議で満場一致で全てを決められることばかりではないことを理解しよう
5. 直接フィードバックを伝える
6. 進め方のフィードバックは分ける
最も重要な点として 「全員が納得できる解決策が常に存在するわけではない」という現実の受け入れ。
興味深いことに、この記事への若者の反応は
「年寄りの考えだ」「知ったことじゃない」
と言ったものが多数寄せられていた。
この若者たちからの反発は、まさに「全員が納得する答えはない」という記事の主張を実証している。
この皮肉な状況。組織におけるコミュニケーションの難しさが凝縮されているように思った。
私自身、最近若い世代と接する機会が増えている。彼らの情熱的なエネルギーには心を打たれる。その純粋なエネルギーは、普段過ごしている組織やチームに、なにか新しい風を吹き込むエネルギーになると思っている。
しかし、経験を重ねた者として気づくのは、時には「さらり」と流すことの大事さだ。
「なるほどなるほど」と相手の意見を受け止めつつ、「機会があれば検討しましょうか」と柔軟に対応する。
一見、消極的に見えるこの姿勢は、実は「南無三の精神」(宗教的な意味ではなく。詳細は後述します)だと思っている。
若い世代は既存の考えに挑戦し、年長者はその情熱を受け止めながら導く。だが時として、全員が完全には納得できない結論に至ったりもする。それでも、お互いを理解しようとする姿勢を持ち続けることが、組織を前に進める力となるのではないだろうか。
ここまで考えて思うのは、組織の中で生きていくには、「熱さ」と「冷静さ」の両方が必要なのでしょう。
若者の情熱を理解しつつ、時には一歩引いて全体を見渡す視点を持つこと。簡単なことではないけれど、価値のある挑戦だと思う。
「南無三の精神」とは何か。
この言葉は、自己の限界を知り、他者を受け入れ、人事を尽くして天命を待つような精神だ。
「人事を尽くして天命を待つ」とは、人間の能力でできる限りの努力をしたうえで、あとは結果を天の意思に任せるといった意味。
運以外でできることは全部やり尽くす。
それ以上は、ケセラセラ、人間万事塞翁が馬。
なぜなら、一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりする。
幸運か不運かはすぐには判断しがたいのだから。
「南無三の精神」を持つためのポイントは3つ。
・自己受容:自分の限界や弱さを認め、それを受け入れること。
・ 感謝の心:日常の中での小さな幸せや、支えてくれる人々への感謝の心を持つこと。
・コミュニケーション:他者とのコミュニケーションを大切にし、共に問題を解決することを心がける。
若者たちは燃えている。その炎は美しい。「これが若さか」と感動する瞬間。でも、その炎は時に周りを焼き尽くしそうになる。
だから、果報は寝て待つ。さらっと流す技術を身につける。
しかし、これは年齢を重ねて得た叡智か、それとも諦めか。