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たけしの自立はわたしの自立

2019年10月4日、京都市立芸大の赤松学長と対談した。
テーマは「問題行動と表現未満、」。その報告は、レッツのHP内にある、「表現未満、」にアップしています。

赤松学長は46歳で出産し、中学1年生のダウン症のお子さんがいる。どの親もが通るように支援級の先生、福祉関係者との関わり合いをとても良好に作られているようだった。さすが京都市立芸大初の女性学長になる方だから物腰が柔らかく、さまざまな課題もしなやかに対処されてこられてきたことがよくわかる。またパートナーが外国籍の方らしくグローバルな視点で子どもに向き合っていることが想像できた。今は、イタリアにお子さんは居てそこで教育を受けているそうだ。

「子育ては母親がするんだろ」的な慣習がまだまだ強くある地方都市で、私自身の資質もあると思うが(跳ね返り)すったもんだしてき我が身と違って、しなやかに乗り超えていかれるのだろうなあと思うと、ほとほと自分の未熟さを痛感した(反省!)。

「親なき後」の話にもなった。
学長は「親なき後が心配、なくなっても幸せに生きていくためになにが必要か考えている」とおっしゃった。
私もたけしが中学1年生の時に、まさか今のような状況になるなんて夢にも思っていなかった。目の前のことしか考えていなくて、親が亡くなった後のことなんか考える余裕もなかったと思い返す。しかし、こんなに素敵でしっかりされている方でも、「親なき後」を考えるのだなあと少し驚いた。

いつも言っているが私は「親なき後」という言葉には違和感がある。それは「親が死んだ後にこの子は不幸になる」ということが前提になっている気がしてならない。だから「親が何とかしなければ」となる。
果たしてそうだろうか。
私は23歳になったたけしを前に、もう頑張りたくないと正直思う。
それは私にもたけしの幸せはわからないからだ。
何が彼にとっていいのか。そんなこと親がわかるはずもない。
いつまでも親に決めさせないでほしい。

だから私は「親が手を早くに離したほうが彼ら幸せになる」と考えている。
それは普通の子どもと同じように、彼らは彼らの人生を自分で作っていけると思うからだ。
そしてたとえそこが失敗したとしてもそれは親のせいではない。それも本人の人生なのだ。

私は人には自由が必要だと思う。
自由に生きる。
そして自分で選択する。
重度障害者であっても自由に生きることができる。
その自由を親がつくれるとは到底考えられない。

とはいえ、なんでたけし文化センター連尺町の3階にシェアハウスとゲストハウスをつくったかといえば、たけしの自由を今の浜松の福祉では作れないと思ったからだ。
たけしが自由に生きるために必要なのはケアの手ではないように思う。
たけしは重度知的障害、障害区分6、強度行動障害があるからケアは前提条件としても、
たけし自身の力でそうではない人とつながっていく、そのチャンスはある程度施設や福祉関係者が用意するべきだと考えた。そこが肝だと思う。
だからゲストハウスもとりあえず併設させて実験してみたい。(そう、たけし君は実験台なのだ)

私はレッツの経営者だから大枠の枠組みは作る。つまり場所をつくったり、資金を集めて来たりはする。しかし、内容をつくるのは私がやるべきではない。
それは絶対に親の感覚になる。
今でもそうだが、10月7日からたけしの3階での生活が始まると思うと、私は実は気が気ではないし、気になって仕方がない。ご飯は食べれるのか、寝れるのか、洗濯はどうするのか‥、あーだこーだ気になる。
まっ、それが親というものだが。
こっそり弁当作ったり掃除ぐらいはするけれど、私が指示しだしたら元も子もない。

そしてここからは最も重要なのだけれど、たけしの自立は私の自立でもある。
ここ何十年と家族のためにやってきた(あんまり向いていないにも関わらず)。全く自由がない生活をしてしまった。
共に戦った夫は先立ってしまった。
私はここからもう一度自分の人生をつくらなければいけない。
誰と住んで何をするのだろうか。
他人事ではない。
自分の人生をちゃんと考えないと。
こんな日が来るとはやはりも夢にも思っていなかった。
人生は本当にわからない。安寧な毎日はむしろ私に訪れるのだろうか。
あーしんぱい(自分にです)
たけしの方がよっぽど、うまく生きていけるのではないかと思える今日この頃です。

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