やきとりキングのこちら側から(1) 山を眺める日曜夕方
<<やきとりキングのこちら側から(0)焼鳥屋さんが哲学すること
16時半。夕方の繁忙期にあわせて山積みにした焼鳥の前にたたずんでいた。
日曜日は夕暮れ前からお客さんが押し寄せる。一週間の中で売り上げが見込めるし定休日前ということで、お店にとっても大事な週末なのだ。ところが先週あたりから土日の動きが悪くなった。ちょうど新型コロナウイルス感染が再拡大し始めたのと急に寒さが広がったことが原因だと思うが、とにかく街は静かになった。それでも僕は基本的に「ルーティーンは状況に合わせすぎて変化させてははいけない」と考えているので、いつも通り夕方に合わせて焼きまくった。それにしても今年は新型コロナウイルスの感染拡大で社会は混乱し続けている。昨年までの予測はほとんど役に立たなくなった。
感染拡大によって様々な業界が方向転換を余儀なくされた。リモートワーク化、コンサートの無観客ライブ配信化、と一気に加速していった。その波に乗れる人は良いが、そういう人ばかりではない。その場にいないと出来ない仕事は山ほどあって、社会が感謝の意を送り続けている医療関係だけではなくインフラストラクチャーの仕事や、それこそ僕たちのような食品加工業もその場に行かなければ出来ない。というかそもそもそういう仕事なしにリモートは不可能なのだ。
行政の休業要請に当てはまらなかった東長崎の焼鳥惣菜屋は休業する訳にもいかず通常通り営業していた。とりあえず頑張るしかないと。ところが街の様子は一変した。ニュースでは新宿や池袋は百貨店をはじめとする大型ショッピングビルや会社が休業し、ゴーストタウンのように静まり返っていると言われていた。東長崎はというと商店街には昭和の商店街隆盛時を彷彿させるほどに人があふれ僕らのようなテイクアウトの店は製造販売に忙殺された。うちも過去最高の売り上げを達成した。売り上げが上がる事は嬉しい事だが、それはイコール製造をしなければいけなく毎日早朝から夜遅くまで対応に追われた。でもその頃はみんな変なテンションに陥っていたのか、疲れはあったが元気があった。むしろ今頃になってたまりにたまった疲れを感じている。
山積みの焼鳥を両親が見て心配していた。16時45分。たまに来るのは若いカップルで4、5本程度しか買わない。確実に減ってきているはずなのに減っている気がしない。「これ全部売れるのですか?」とお客さんに聞かれる。「もちろん売れますよ」と即座に答えたが実は心配していた。僕は陳列棚を写真に撮ってインスタグラムにアップした。
そもそも山積みにするようになったのは試行錯誤の結果だ。僕が両親が営むお店に入ったのは20代後半。最初は当時のバイト先と兼務で段階的に移行し30歳の時に完全に移った。入った当初は大量に積むことに否定的だった。お客さんはなるべく温かいものを食べたいに違いない。それならば常に焼きたてが陳列されているように量を調整すべきだと考えていた。ところがある日僕は気づいた。
「10本下さい」と言われた時にその数が揃っていない事の方が問題なのでは?欲しい商品が欲しい時に揃っていない状況は販売機会損失を生んでいた。その解決に向けて「惣菜屋とは」という問いかけを毎日焼鳥を焼きながら考えた。現代は家庭の基本装備として電子レンジがある。スーパーの惣菜は電子レンジで温めることを前提に置かれている。それまでの僕はそんなスーパーとの差異ばかり考えていた。スーパーの大量生産を批判的に捉えていた。スーパーには出来ない温かいものが価値だと思っていた。でもそれは間違っていた。確かに出来立てというのは食品にとって大きな価値だ。焼きたて揚げたてに勝るものはない。でもそれは総菜屋の役割ではない。それは焼鳥居酒屋の役割だ。居酒屋なら待っている間にビールで乾杯、飲み物追加などで売っていけるが、総菜屋ではそれは出来ない。手間をかけても焼鳥10本のお金しかもらえない。そうやって自分の仕事の価値が下がってしまっていた。それにお客さんは焼きたてではない事にクレームは入れない。やはり欲しい時に欲しい本数揃えられる事が重要なのだ。
そこに気づいてから僕は売れ筋を選定した。売れ方でランク付けをして積む量を営業時間の推移に合わせて理論化していった。その理論は企業秘密なんだけどね。いつか書いてみてもいいかもしれない。ただそれはうちの店にしか当てはまらないかもしれない。きっと普遍性のある議論じゃない。そもそも僕はそういうハウツー的なものは好きじゃない。
17時。両親のため息が聞こえてきた。
次の瞬間、突然店に列が出来た。17時の時報がきっかけか、両親のため息がトリガーだったのかわからないが、よーいどんをしたかのように一気にお客さんが集まっていた。次々と売れていく。売り子をしている母の声が途切れない。父親は慌てて唐揚げを揚げている。積み上げてあった焼鳥の山はどんどん減ってきた。
「よし、きた!」
僕は追加を焼き台いっぱいに並べた。
春先とはだいぶ変わってきたけどやっぱり日曜日だ。僕はDNAにもともと組み込まれたかのように商人としての血が沸いていた。
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