やきとりキングのこちら側から (6) 戦争と焼鳥
2月27日の営業が終わろうとしてる。2022年2月の最終営業日だ。次店が開くのは3月2日(水)だ。明日は知り合いのボクシングタイトルマッチを見に行くし、火曜日は越谷レイクタウンから亀戸に移転したラヴィラ・ド・ピクルスのグランドオープンに行く。今週は1名の病欠(コロナじゃないよ)でかなり疲れたので、英気を養う週明けになりそうだ。
しかしながら僕の中には憂鬱な気持ちがベッタリと張り付いたままだ。もうお分かりだと思う。2月24日(木)ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻を指示。ウクライナ領土内での戦争が始まった。2022年というこの時代において、古典的な侵略戦争がはじまるとは思ってもみなかった。
僕はやきとりキングの仕事をしながらも手元のスマホで情報収集に勤しんだ。Twitter、ロイターのキエフ定点カメラ、その他通信社のYouTube、取り憑かれたように調べた。悲惨なことにならないようにと祈りながらも、この時代に生きている人間として見届ける義務がある、という立て付けで「凄いものを見たい」という欲望に抗えない自分を感じて自己嫌悪に陥った。
その日の夜、哲学者の東浩紀さんがシラスで突発配信をするという通知が入った。
長年にわたり経営する会社ゲンロンでチェルノブイリツアーを運営していて、ウクライナの首都キエフにも観光客としてよく訪れていた東氏がこの戦争について語る言葉を僕は必要とした。眠い目を擦りながら聞いていた。とても重要な話をしていた。これは東浩紀氏の言葉で聞いて欲しい。過去の写真をいくつか見せてくれた。そしてそこにあるウクライナの実情を観光客としての視点で紐解いてくれた。しかし途中で寝落ち(翌日全部見た)。再三にわたり中断して寝るように促していた妻はついに怒って口を聞いてくれなくなった。僕が戦況に気を取られすぎて妻の話をスルーしていたのが原因だ。翌朝、僕は反省して深く謝罪した。妻は許してくれたが、ウクライナの戦争はエスカレートしていく。僕の心は晴れなかった。
キエフ陥落は時間の問題と言われながらも、そううまくはいかないようだ。ウクライナ軍が善戦しているという話を聞く。キエフ市内のマンションにミサイルが着弾した映像、ロシア軍の戦車がウクライナ市民の乗用車を踏み潰す映像(運転手は奇跡的に生還)、刺激の強い映像がTwitterを通じて伝わってきた。
爆発に巻き込まれて子供が死んだというニュースに心砕かれた。情報に接しすぎるのは良くないと進言された。
ウクライナのゼレンスキー大統領の立ち振る舞いが注目されるようになった。危険が迫る中キエフに残り市民とともに戦う意志を示した。戦う意思のある市民には武器を提供し、各家庭で火炎瓶を用意するように指示した。国土を賭けて戦うというのはそういうことなのかもしれないと納得させるだけの説得力が、ゼレンスキー氏の発言や行動にはあると思う。だけどそこに多くの市民が賛同する姿には日本人としての僕は違和感も感じた。ウクライナが支援を求めるものNATO軍は動かず。武器などの支援物資を送るということに留まっている。
ウクライナ日本領事館はTwitterで資金支援を求めるツイートをした。支援する人はかなりいるだろう。だけどその金は武器や戦闘の支援に使われる。そのことを僕はどう考えれば良いのか判断に困った。
ロシア兵の死者が3500人でウクライナ善戦と伝えられた。まるでスポーツニュースのようだと感じた。残存戦力の細かい数字まで提示され、あたかも戦略シミュレーションゲームのようにも感じた。よく考えてみたら先の第二次世界大戦時にはネットはなかった。戦況は新聞やラジオで伝えられたからタイムラグとかなりの編集があったと思われる。それが今回は一分一秒の単位でリアルタイムに伝わってくる。定点カメラ映像のリアルタイム視聴者数もかなりの人数になっていた。開戦当日その一部になってリアルタイムで情報を漁っていた自分の姿がそこには見えた。恐ろしくなった。
今回の戦争は明らかにロシア大統領のプーチンが悪である。どんな事情があったとしても、1人の人間の判断で隣国を侵略していい言われはない。でもその前提に立ちながらも国際社会や人間の世界の複雑さに困惑する必要が僕達人類には必要なことだ。ウクライナの反露感情の強さというのは、やはり社会として教化された部分も多いように見受けられる。開戦前に市民にインタビューした動画を先程見た。在ウクライナ日系カナダ人のYouTuberが投稿した動画には、ロシアが攻めてきたら必ず武器を持って交戦する意志を、男女問わずハッキリとした口調で宣言していた。国土を守るという事への一市民としての覚悟は批判できる余地はなかった。僕には理解できない何かだ。同じような立場になった時、僕達は何を思い、何をするのだろう。
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