明日私が死ぬとして

明日私が死ぬとして、
私はその瞬間、悲しむだろうか。

私はあんまり悲しくないかもな。
だって、私は結構幸せな人生を送れた自覚がある。

もちろん、この先も生きて、いろんな人と出会って、辛い思いもたくさんして、それでもやっぱり幸せな私でいられたらすごく嬉しい。

けど、今この瞬間、この人生が終わってしまったとして、悔しいとか、悲しいとか、あんまりないかも。

きっとすごく悲しんでくれる人もいる。その人たちには悲しい思いをさせてしまって申し訳ない。その気持ちはある。けど、私自身のために、悔しいとか、悲しいとかはないな。

むしろ、幸せすぎちゃってずるいかもな、私。
今まで家族や友達や経験に恵まれた幸せな人生を送ってきて、これから今までにないような困難が待ち受けていたかもしれないのに、美味しいとこだけ生きて。ずるいかもな。

うん、やっぱりずるいよな。与えてもらってばっかりで、たくさん愛されてきて、これからその愛を返したり回したりしていくはずだったのに、これからは与える側の人間になるはずだったのに、もらうだけもらって死んじゃうなんてずるいよな。

でも、そんなもんかな。

他には、あんまりないなー。思うこと。

変かな。普通もっと、生きることへの執着とかがあるものなのかな。

でも、命なんて案外そういうもの。何かの拍子に、あまりにあっけなく、突拍子もなく、終わってしまったりする。

それが、世界。それが、現実。

いつかは死ぬのが人間で、それが早いか遅いかの話。

もし明日死んだら、今LINEで話してる人も、取り組んでることも、編みかけの編み物も、全部その先はないんだな。諦めたり手放したりすることになるんだな。まあ、死ぬんだからしょうがないか、

案外簡単に諦められるもんだな。

きれいさっぱり。

みんな,今までありがとう。

って。

思うとさ、逆にさ、もっと大事に使いたくなるよね。残りの人生。
自分のために。
自分の大切な人のために。
自分のやりたいことのために。
自分が変えたいことのために。

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