素の自分の不在
私は大学で、ある出会いをするまでは、自分を追い込んでばっかりで、人にどう思われるかとかをすごい気にしてました。
でも、もっと自分に自由に生きてる人たちに出会って、私ももっと自分らしくいていいんだ、自分を出していいんだ、人と違っていいし、自分が楽しんでいればいいんだ、って思えるようになりました。
それから、自分を追い込むのをやめました。
自分はどうしたいの?ってその時の自分の感情に耳を傾けるようにしました。
ああ、これは好きでやってたんだな、これはやりたくないのにやってたんだな、ってよく分かりました。
素の自分に出来るだけ選択をさせるようにしました。
すると、素の自分は何がしたいんだろう、結局私はどこを目指しているんだろう、何のために生きたいんだろう、と考えて、素の自分が空っぽなことに気付きました。
あんなに簡単に明確に言葉にできた自分の夢ややりたいことも、それが本当に喉の奥から手が出るほどやりたいことなのか、たいしてやりたくないんじゃないか、なら、私のやりたいことはなんなの?何にもないのか、、?と思いました。
耳を傾ける過ぎると、問いかけすぎると黙るのは他人だけでなく自分にも言えることのようで、素の自分が何をしたいのか、さっぱりわからなくなりました。
前はもっと、やる気とか情熱とか、あったのにな、、、
と思ったとき、私は自分を甘やかすのをやめました。
私は、少し厳しく自分を追い込むくらいがちょうどいいのかもしれません。
でも今回、少し自分が揺らいだことで、また自分について知れました。新たな経験ができました。夢が見つからなくて悩む人のことも理解できるようになりました。
まだまだ、揺らぎながら自分になっていきたいです。
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