あの頃、ナイフも持てなかった僕へ
エッセイ。今でも思い出す子供の頃のとある一日について。
パンクロックは熱狂するけれど、優しい音楽だ。
『少年の詩』を書いた甲本さんも温かいまなざしを持った人だ。
こればかりは感覚なのでどうしても伝わらない。ブルーハーツだけでなく、ブルーハーツ解散後に甲本さんが作ったハイロウズやクロマニヨンズの曲も聴いてもらえたら嬉しいと思う。
ナイフを持っているというのがこの曲では重要だ。野暮な読み方かもしれないが、鉄砲ではダメなんだと思う。簡単に手に入れることができないし、引き金を引くだけで相手は傷付き、当たりどころが悪ければ死んでしまう。
ナイフは振り回せるから良い。若いから余計に力任せに振り回すことができる。
振り回されたナイフを見て、近付いてくる人はいない。でも、近付いて欲しい。
そんな寂しさも同時に孕んでいるのではないか。
そして、僕はこんなふうに思ってしまう。
ナイフを持たなければならなかった、自分のことをわかって欲しい。
この曲の中では少年はナイフを振り回すこともせず、ただ立っているだけだ。
誰かを傷付ける意図なんてないのかもしれないし、これから傷付けることになるのかもしれない。でもナイフを手にする必然性はあった。
色々な気持ちは消化されないまま曲は終わる。
「深夜の音楽食堂」という番組でパーソナリティの松重豊さんとゲストに招かれた甲本さんがこのように語っている。
このやり取りを聞いた時にとても納得するものがあった。
明確に喜ばせてやりたいと思う過去の自分がいたからだ。
早々に人生の挫折を感じた中学受験生時代の話は以前noteに書いた通りなのだが、今回はとある日の「ナイフも持てなかった自分の姿」について書きたい。
それは雪が降ってから数日経った冬の日のことだった。
休日にも関わらず、塾で講習を受けて午後には最寄り駅に帰ってきたのだが、急遽仕事の都合で母が迎えに来られなくなってしまった。
今考えれば、駅から家までは子供の足でも30〜40分くらい歩けば帰れるし、鍵も持っていたはずなのだが、その時は母が来てくれるまで待つことにした。
駅前にあった、一度溶けて固まった雪はかちかちに凍っていた。やることもなく、それをかかとで割っては遠くに蹴っ飛ばすことを繰り返していた。
友達とも遊ぶ時間が減り、その分時間をかけているはずの勉強も上手くいかない。引っ込み思案で気持ちを伝えるのが苦手だった僕は、さみしさや不安な気持ちを抱えながらどうすることもできなかった。
心も体もどこにも行くことができずに、ただ固まった雪を蹴っ飛ばすことしかできなかった。泣きたいのに泣くことはできなかった。あの時期の象徴的な出来事だと思う。
もしかすると、今生きている理由のひとつはそこにあるのかもしれない。子供の頃よりもずっとできることは増えた。だからこそ、きちんと自己満足したいと思う。あいつを喜ばせてやらないと。
駅前でさびしそうにしている自分を見かけたら、胸を張って「こんなに毎日楽しく生きてるから大丈夫だよ」と言ってあげたい。そのためにも一生懸命やらなくちゃ。立ち止まろうとするたびに、あの少年の日を思い出す。
余談なのだが、甲本さんと松重さんは下北沢にある「珉亭」で同じ日にアルバイトを始めたという逸話がある。このお店のラーメンとチャーハンは絶品だ。近くに行くことがあったら、ぜひ食べてみて欲しい。
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