3か月ゆるふわニート体験、2ヶ月目の振り返り
今年の5, 6, 7月と3ヶ月の間ニートを体験した。
今までは2週間や1ヶ月スパンで仕事を大幅に制限することはあったものの、全く仕事をせずに収入ゼロの3ヶ月を迎えるのは今回が初めて。
この3ヶ月、暇と退屈を持て余しながら様々な葛藤を抱え、時には旅をしたり、時には離れた友達を訪ね、時には座禅修行に行った。
今回のnoteではそんな3ヶ月間で時系列順に日々感じていたことを書き留めた日記をもとに改めて3ヶ月のゆるふわニート体験を振り返る。
今回は2ヶ月目、6月です。
前回のおさらい
ニュージーランド・北島の様々な土地を巡りながら旅をする1か月だった。各地を巡ってのんびり旅したり、現地ローカルの人の家にホームステイして謎に馬の世話やストロベリー畑を作った。
その中で「旅を続ける難しさ」「住み続ける難しさ」について考察した。
ニート2ヶ月目 (6月)
そして今回は日本に帰国し、実家ステイ、京都での座禅修行、和歌山ステイと、まさに暇を持て余し愉しんだ1ヶ月の模様を伝える。それぞれが濃かったので、既にnoteに掲載した京都での座禅修行を省き、事の詳細は下記に記しておく。
実家ステイ
日本に帰国して、3週間ほどは実家に滞在した。これまで断続的に帰省することはあったが、どれも2, 3日ほど、長くても1週間だったのでこの10年ほどでは最長の期間だった。
既に転職を気に九州に引っ越すことが決まっていたので3週間後には出ていくのが確定していたので限定的な実家生活。それでも最初の3日で実家生活に飽き、とにかく暇をもて余す。
この頃に副業で行っていた留学・英語コーチング事業を少しずつリスタートさせ、新たにコーチを目指す人の養成講座も講師として受託して少しずつ社会?復帰していった。この時点で欲に負けた、もはやニート終了である。
ただそれでも時間は有り余るので、せっかくだからと決行したのが「プチ終活」。
それは文字通り、死んだ後を見越して長らく放置していた自分の恥ずかしい所有物を断捨離する。
保育園の時に書いた謎絵や、
小4の時に女子からもらったプロフィールや友達からの年賀状 (なぜ残して置いたのかは謎)
初めて出来た彼女と行った際に観た映画のチケットなど。
薄れかけたその時々の感情や思い出に浸り、それでも容赦なくバイバイとごみ袋に放り投げる作業を繰り返す。おかげで幼少期から今までの記憶をたどる豪速球の旅を経て、一区切りをつけることが出来た。
そして、ついでに遺書を書いた。
僕はかねてから60歳で安楽死する (それまでに日本で法改正がされ合法になることを切に願う)人生を前提に生きている。
あと2年で30歳、人生の半分が終了し、折返し30年がまた始まる。半分を生き抜けたことにまず感謝し、残り30年はいつ死んでも良いように良い"死ぬ準備"ができた終活だった。
和歌山トモダチステイ
座禅修行の後、そのまま直行で和歌山は下津町。ここで大学時代の友達がみかん農家をしているということで、お手伝いも兼ねて農家ステイをした。
友達といっても、会うのは5, 6年ぶり。SNSでは繋がっていたものの、連絡を取るのは極稀。再開が楽しみでもあり少し緊張をした。これから約72時間同じ時間を過ごす訳だが、ちゃんと話しができるだろうか?
その杞憂は取るに足りないものだった。僕たちは3日間の間、世にいうマシンガントークをひっきりなしに続けた。マシンガンでも、取り分け最強種と言われるMP5並みの装填と発射インターバル速度で。
この世界をどう解釈し、どこに向かうと思うか?
狂うように好きな人が国家テロリストだったら?
倫理と友情の間にあるグレーゾーンとは?
今までに自分が犯した非人道的な行動とは?
抽象度が高めのテーマや、あり得ない妄想 (もはや病気)が入り混じった話を三日三晩続けるのは、正直しんどかった。疲れ果てた。でも、それ以上に楽しかった。
我ながら、こんな友を持てたことは幸せの他ない。ありがとう!
※※※
ニート体験2ヶ月目の気付き・思ったこと
6月に付けていた日記より抜粋。
人生の幸福度=稀にしか現れないレアキャラを掴まれられるか?
真の意思疎通をするには、自分の考えを全てさらけ出して相手の思考世界に深く入り込む必要がある。稀に双方の瞬間的一致(ビビッとくる)が発生することも。だからこそ価値観の合う人、意思疎通が取りやすい人は【稀にしか現れないレアキャラ】なので本当に大切にするべき存在。
分かり合うことを"諦める"重要性
宗教や文化、政治的立場の異なる海外の人はもちろん、同じ社会を生きる日本人の家族間でさえコミュニケーションにおける完全なる一致は存在しない。なぜなら人の考えは、その人の持つ数々の知識や経験によって構成され守られているから。所詮は他人は他人、自分は自分。異なる価値観を持つ、違う生き物
自分哲学を作る
あまりにも色んな情報や価値観が多すぎて分からなくなっている現代だからこそ、大きな有用性を感じる。テクノロジーの急激な発達とか世界的な災害、戦争経てもう一度古代ギリシャにあったような"生きる意味"的な哲学を考え始める時代になったのかと思うと面白い
もちろん哲学者によって時代背景が違うからこそ、今の時代に当てはまらない考えも多くある。ただ自分が共感した部分だけをピックアップして独自の哲学を作る。この過程を通して知らなかった自分の見方・価値観を知ったり整理するのが、たまらなく楽しい。
コインの表と裏
「素早い決断・判断力」と「忍耐弱さ」はコインの表と裏みたいなもので、今回もたった3ヶ月でNZから帰国判断して良いのかすごく葛藤した。この決断が良かったのか、悪かったのかは将来の自分に委ねられている。その覚悟はしっかり持たないといけない。失敗を失敗のまま終わらせるのか、成功に変えれるのかは自分次第。
生産的ニート
「何もしていない」ことが、何かの「はたらき」になっている場合もある。つまり大きく見れば『無用』と思うことも、実はマイクロ的に役に立つことがある。散歩中に蹴った小石、猫のあくび、ゲリラ豪雨。すべて世界のために役立っている。
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