算命学に聞いてみな 第1部第5回「人工呼吸器と『納音の警告』」
●一歩手前
深夜、ICU(集中治療室)と化した病室に、無骨な形をした機械が運びこまれました。
人工呼吸器でした。
夜勤の医師が、盛んに何かを私に説明しています。
しかし私にはもう、その内容を理解する力がありません。
意識が朦朧とし、頭は霧がかかったように白く濁っていました。
そんな私の反応に、医師や看護師の緊迫感が増しました。
ベッドの周囲を、白衣を着た大勢の人たちが慌ただしく出入りするバタバタした様子を、脳髄が白濁しかけた私はただぼうっと、他人事のように見ていました。
死の一歩手前って、あんな感じなのかもしれませんね。
なんだかふわふわし始めていました。
現実から、すーっと遠ざかっていく感覚。
自分がこの世にいるのかどうかすら曖昧になっていくような、そんな境界上に私はいました。
●呼吸の至福
そのときです。
突然、口に何かが押し込まれる感触がしました。
それは、挿管チューブという合成樹脂製の器具でした。
くわえ込むには不自然なほど大きく、顎が無理やりこじ開けられた痛みは、40年経った今でも鮮明に覚えています。
「痛み」の記憶は、永遠なのかもしれません。
口を大きく開けたまま挿管チューブを装着された私の横で、セッティングされた人工呼吸器がけたたましい音を立てて稼働し始めました。
その音の、うるさいこと、うるさいこと。
しかしすさまじい騒音を伴いながら、たしかに私の肺には酸素が送り込まれてきます。
ああ、助かった。
息苦しさから解放された私は、久しぶりに「呼吸の至福」を味わいながら、深い安堵感を覚えました。
人工呼吸器は、規則正しいやかましさで、私の肺に酸素を供給してくれます。
ラクになりました。
ふつうに呼吸できることが、こんなに幸せだったなんて。
酸素が身体中に染み渡る感覚。
息を吸うたびに「生き返った」と思えました。
やがて、主治医のY先生が病室に飛びこんできました。
Y先生は私の顔を覗き込んで優しく微笑みながら「もう大丈夫だからね」と声をかけてくれました。
緊急事態の連絡を受け、慌てて病院に戻ってきたのだと、後で聞かされました。
久方ぶりに体内に酸素を取り込めた私は、先生の笑顔がどこかぎこちないことに気づきつつも、ついに心身の限界を迎え、いつしか深い眠りに落ちていきました。
●「納音」が告げていた運命
ここでもう一度、「納音(なっちん)」という算命学の概念について触れておきます。
干支歴(算命学が使う暦)における「甲子」(1984年の年運干支)と、「甲午」(そのときの私の大運干支)は、特別な関係を持つ組み合わせです。
上段の十干が同じ:両方とも「甲」。
下段の十二支が対極にあるもの同士:「子」(冬)と「午」(夏)。
このふたつの条件が揃うことで成立するのが「納音(なっちん)」です。
納音は、人生に180度の転換をもたらす時期を示唆するとされています。
つまり1984年の私には、この「納音」の影響が強く働いていたのです。
しかしその当時、私は算命学の知識など持ち合わせておらず、ただ運命の流れに翻弄されるだけでした。
後年この事実を知ったとき、私は時間が止まったかのような衝撃を受けたものです。
しかも、驚きはそれだけに留まりませんでした。
その時私の運勢に発生していた「納音」は、1つだけではなかったのです。
●重なる「納音」
さらに詳しく、その年の私の運勢を調べてみると、1984年12月には「月運干支」(月ごとに変わる干支)である「丙子」が加わります。
この「丙子」を組み合わせてもう一度確認すると、新たな納音が発生していたことがわかったのです。
ちょっと説明が難しくなりますが、このエッセイは算命学の専門家のためのものではなく、「算命学なんて知らないよ」というかたに、算命学の不思議さ、おもしろさを伝えたいと思って書いているものです。
ですので、とてもざっくりとした説明になりますが、十干十二支の世界には、Aという「干」(あるいは「支」)とBという「干」(あるいは「支」)がくっつくと、まったく別の「干」(あるいは「支」)に変化することがあるという法則があるんです。
そして、そんな変化後の組み合わせを見てみると、最終的にこのときの私の運勢は――
こうなったのです。
すると……分かりますか?
今まで説明していた「甲午」と「甲子」による「納音」だけでなく……
もうひとつの「納音」が、忽然と姿を現したのです。
「大運干支」「年運干支」「月運干支」のいずれもが納音の条件を満たしている――これは、そうあることではありません。
非常に稀といっていい状況であり、そのとき私の運命に襲いかかってきていた魔物のとんでもない破壊力を物語るものでした。
1984年12月、私の運命は「納音の二重構造」という恐るべき状態にあったのです。
「納音」は、ひとつあるだけでも相当な凶悪さです。
それがWで、生身の私を競いあうように破壊しにきていたのです。
●とうとう身体にメスが入る
人工呼吸器に繋がれたままの状態で、私は新しい朝を迎えました。
しかしその朝も、平穏とは程遠いものでした。
なにしろ口が開きっぱなしです。
その痛みは、まるで上顎と下顎を何者かに強引に引き離されているような感覚でした。
これまでの人生で経験したことのない激痛です。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
誰か気がついて。
痛い。
声を限りに訴えたいのに、悲しいかな、もう私の身体は完全に全身麻痺になっていました。
自分の思いを伝えるすべがありません。
後で知ったことでしたが、その頃にはすでに私の麻痺は表情筋にまで及んでいました。
表情すら、もうない。
へたをしたら瞼を閉じる筋力さえ奪われかねない重篤な危機を迎えていたのです。
もしもそうなったら、私は湿ったガーゼで両目を覆われ、いよいよ視界さえ奪われることになります。
それはともかく、とにかく顎が痛い。
しかし看病をする母から見たら、私は落ちつきなく目だけは動かすものの、あとはじっと仰向けに横たわっているだけの「物言わぬ静物」です。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
誰か気がついて。
お願いだから。
誰か。
誰か。
痛い。
痛い、痛い、痛い。
私は声にならない声をあげ、動かない身体を懸命に動かそうとしました。
息子がなにか言っている。でも、なにを言っているのか分からない――母はパニックになりました。
意思を伝えられなくなっていた私がどうやって痛みを分かってもらえたのか、今となっては記憶にありません。
しかしもしかしたら、医療の専門家である医師たちには、挿管からの経過時間を考えれば、なにも言わずともわかっていたのかもしれません。
私を診察するY先生の表情は重苦しいものでした。
何人もの医師たちが入れ替わり立ち替わりやってきては、私の状態を確かめました。
「○○君、よく聞いて」
やがて、私と母はY先生から告げられました。
「いつまでもこのままではいられないんだ。顎が固定しちゃって、閉じなくなってしまうからね」
苦渋に満ちた顔つきで、先生はさらに言いました。
「だからね……これから器官切開をします。首にメスを入れて穴を開け、そこに挿管チューブをセットします」
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