234日後に推しが解散するオタク
2021年11月1日
26年活動してきた私の推しが解散する。
いつも通り仕事をしていつも通りメールを開いた。
そこにはファンクラブからのメールが一通。
いつも通り番宣だろうなと思いつつ開く。
そこにはいつも通りではない「大切なお知らせ」の文字。
「16時に会員サイトにログインして欲しい」という内容で、パソコンの時計を見ると16時を少し回っていた。
なんのお知らせだろう?誰か結婚かな?それはめでたいなあと思いながらスマホを取った。
ゆっくりと血の気が引いていく音を聞いた気がする。
2021年11月1日をもちまして、あれ、頭にはいってこない。
不意にバタバタと階段を駆け降り走ってくる先輩の姿が見えた。
「大丈夫か?」
確か、そんな言葉だった気がする。
先輩足が痛いって言っていたのに走って大丈夫なんですかとか、そんなことを思いながら私は少し笑っていた。
言葉が上手く出てこなくて、息苦しくて、で、もうよくわかんないけど会員サイトにある動画をみた。
そしたら涙がばかみたいに出てきてしまった。
いま仕事中だっていうのも忘れて嗚咽した。
推しをもったことが無い人にはきっと理解できないと思う。
なぜそこまで悲しむのか?
好きな芸能人の話で?
「推し」というのは、生きる糧。すべてのパワーの源なのだ。
あなたは思ったことがあるだろうか。
この道の地続きに推しがいて今日も息をしている。それだけでなんて幸せなんだろう、と。自分の幸せを数値にして届ける、最大限の拍手、感謝の花束、それが推しへのお金だ。なんのために稼ぐのか、推しのためだ。猛烈に愛しいと感じる、かっこいい、かわいい、たのしい、ああもっと世間に需要があると感じてほしい。仕事でどんなことがあっても推しがいる自分は幸せ。
芥川賞を受賞した宇佐見りん『推し、燃ゆ』だったり、上映中の松坂桃李主演映画『あの頃。』だったり、推しを思う気持ちを描く作品が今多くあって、それは誰かを推して生きてきた人たちが共感出来るだろうと思ってのことで、つまり推しというのはこの閉鎖的で陰鬱としたどうしようもない時に明かりを灯してくれる存在だからじゃないか。きっとこれは宗教の亜種、個人的に信仰の仕方は異なるけど。
そのすべての中心である、推しが。
「なんだか体に力が入らなくて指先にも感覚がないから今すべての細胞が死へと向かってる可能性がある」
上記は連絡をくれた友達に対しての返信です。
心配をしてくれた沢山の方々、ありがとうございます。嬉しかった。
母からの着信、たっぷりの沈黙のあとの第一声は「元気?」
ごめんなさいお母さん。娘は元気じゃありません。
今はただただ悲しい。
悲しみは比べるものじゃない。
私の悲しみは私のものだ。
アドバイスも慰めもポジティブな意見も今は受け付けない。
今夜だけは嘆かせてほしい。
悲しみは期限付きでたっぷり悲しむべきだと思っている。
明日からは前を向く。
あーどうか、朝5時に起きれますように。
いつも通りに仕事へ行くために。
そしていつも通り、推しの幸せを自分勝手に願う私になりますように。
(きっとこれが最善の選択で最善のタイミング。惜しまれつつ辞める、有終の美。26年間アイドルとしてここまで活動してくれて本当に本当に感謝しかない。1人脱退じゃなく、解散を選んだことも、ありがとう。生きたいように生きてほしい。6人のファンでよかった。私はこれからも変わらず6人をずっと推していく。)
頭で思っても心では言えないことも、明日には言えてるはず。
おやすみなさい。